ペルーの日記2 (2008年10月25日〜2008年11月1日)

■一足早い仮日本
2008/11/01
リマ最終日。ペルー最終日。南米最終日。
ホテルからホルヘチャベス空港までは、流しのタクシーをひろいました。このタクシーがなんと、正規のものではなくて、自称タクシーだったのでちょっと心配でしたが、結果的にはなんと15ソルで済んでしまい、とってもお得だったのでした。

3時間前からチェックイン開始、ちょうどその頃ついたのでカウンターへ行ってみると、すでに長蛇の列。予約がとりずらかっただけあるなぁ、としみじみしてしまいました。列の構成員をよくよく見ると、驚くべきことにほとんどが日本人。大手ツアーの参加者さん達でした。

そんなわけで終始あちらこちらから飛び交う日本語。こういう時、不思議なことに私達自由旅行者と、ツアー団体の人とは、日本人だと知ってもあまり話をしません。なんでだろう。

座席は予定通り一番うしろ。気にすることなくリクライニングできるーと思っていたのに、最後部の席はリクライニングがほんの少ししか倒れないようになっていました。同じ金額払ってるのに、こんなの詐欺だ。

一人一人の席にモニターがついていて、映画を見たりゲームをしたりできるので、調子にのってバックギャモンをやっていたら初の飛行機酔い。その後はひたすら寝ていました。
■全てのフライト確定
2008/10/31
色々な逡巡の結果、この先のフライトが日本帰国まで全て確定しました。matuのお友達に日本でほとんどの手配をしていただき、今日我々で最後の関門を突破してきました。さすがにアメリカがからんでくると利用客もぐっと増えるのか、とりづらい路線が多くて苦労しました。アメリカがらみの路線は比較的早めに取った方がいいみたいです。
最後の関門だったニューヨーク−シアトルも航空券の種類を格下げしてなんとか押さえることができました。

ただし、座席はどれも一番うしろ。並びで取ろうと思ったらもうそこしか空いてなかった。トイレ待ちの人とかが列つくったりして、うるさいんだろうなぁ。。。憂鬱。
ニューヨーク−シアトルに至っては、席の確定すらできず。フライトぎりぎりになったらキャンセルとかで席も空いてくるでしょう、きっと。

アラスカ行きの飛行機も、マイル特典で無事に手配終了。オーロラを見るための宿泊先も確保。防寒具に不安があるものの、準備は整いました。

全部が決まってしまって旅行の終わりが見えてしまってかなしく思う反面、懸念材料が減ってほっとしたような気もします。
■再びリマ
2008/10/30
CIALという会社のバスに乗って、リマへ帰ってきました。これで南米旅行もおしまいです。悲しい。
朝6時にバスが出ると聞いていましたが、クスコ始発のバスは遅れに遅れ、7時半頃やっとやってきました。私達は2階の最前列を取っていたのですが、1階のいいクラスの席に空きがあるから、とそちらに案内されました。ラッキー。

リマまでは7時間ちょっと。日中の移動だったのですが、バスの中ではやることなどなく、ひたすら睡眠。1階の席は揺れないし、シートも良いからとっても寝やすいです。

リマには大きなバスターミナルがなく、会社ごとに終着地点が違いますが、CIALは大きな通りに面していて、タクシーをひろうにも便利な場所にありました。

久々のリマの景色はグレー一色。曇りだった、というだけですが、これで終わってしまったなという私の心を映しているようで、空気が重い気がしました。
■ナスカの地上絵
2008/10/29
ナスカの地上絵の観光については、賛否両論色々あります。
たった30分のフライトの割りに高いとか、セスナに酔ってしまって地上絵どころではなかったとか、せっかくセスナに乗ったのにあまりよく見えなかったとか。まぁ、どちらかと言えば悪い噂をよく耳にしました。

日本のあるガイドブックでは、「テレビで見たものを自分で見たという感動しか残らない」とまで書いてあります。まるで観光に値しない、と言っているような書き方。。。

それでもやっぱりここまで来たら見てみたいと思ってバスでやってきたナスカ。町は地上絵をモチーフにした絵でいっぱい。

ツアー会社を通して、夕方4時からのフライトを申込みました。少し高いのかもしれないけど、評判の良い会社だったし客引きと交渉はめんどうだったので、決めました。

セスナは3人乗りの小型機。その後部に我々ふたりは座ることになり、パイロットの隣にはロシア人の女性が座りました。この機体の場合、後部のほうが窓が大きく、景観を遮る部品もないので良かったのかもしれません。

緊張していたのは飛び始めるまで。かつてヘリコプターに乗ったことが2回あり、まぁだいたいそれと変わらない滑り出し。5分ほどで最初の地上絵、ホエールに到着です。

ホエール、ガチャピン(宇宙飛行士)、犬、さる、コンドル、ハチドリ、フラミンゴ、ペリカン、木、手、ミラドール、などの地上絵をまわります。
右に座った乗客にも、左に座った乗客にも、公平に地上絵を見せるためにパイロットは地上絵上をくるくる旋廻してくれます。これがセスナ酔いの原因になる場合も。

あまり良く見えない、と聞いていたのに、ものすごくくっきりはっきり綺麗に見える地上絵たち。期待していなかったからかもしれないけど、大感動でした。あれは絶対見るべきです!特によく見えたのは、さる、ハチドリ。他の線があまり周囲になかったのかとってもくっきり見えました。ガチャピンはフライトの最初の方で見るのですが、最初なだけに心構えや写真をどう撮ったらいいかコツがまだつかめておらず、楽しみにしていたのにちょっとがっかりでした。

地上絵が続くあたりでは集中していたせいか具合が悪くなることはありませんでしたが、最後ナスカの空港まで帰る途中で徐々に酔ってきました。最後の地上絵から空港まで10分ほどあります。この10分がきつい。空港に着陸するのがあと3分遅かったら、きっとげろげろだったでしょう。。。
■予定は未定であり決定ではないのだ
2008/10/28
今日は1日ネット三昧。チェックアウトまでホテルの部屋でネット。その後はWIFIカフェでネット。で、最後の締めはレストランでネット。今後のホテル予約を入れたり、飛行機のチケットを画策したり、いろいろすることがあるんです。

そして夜。オルメーニョ、というペルーでは大手のバス会社のナスカ行きチケットを事前に購入していました。発車時刻は22時。翌朝6時頃ナスカ着の予定です。いや、予定、でした。

21時半、バスターミナルにつきました。オルメーニョのカウンターはなぜかがらがら?すでにいやな予感。。。
荷物を預けるべくカウンターに近寄ると、係員のお姉さんがなにやらスペイン語で話しかけてきました。
「22時のバスはなくなった。翌朝1時発になったから。座席も変わるからね。」

ナスカに早く着いて、その日の朝の地上絵フライトに参加してしまおう、と考えていたのに、3時間も遅れるだなんて。。。

隣のクルスデルスル社のバスは時刻どおり発車の気配。まだチケットがある、というのでオルメーニョに払い戻しを訴えるも、「できません」の一点張り!matuはこういう時いつもキレるけど、さすがの私も今回はキレました。「ポルケー?」(なんで?)って。

出来ないスペイン語だけど一生懸命単語を並べて、なんで22時のバスがないの?と聞いてみたところ、理由はあっさり。「お客さん少ないから」。それだけ。でもそんなのひどくない?余計にむかついて、今度は日本語で抗議したけど、それはやっぱり通じなかった。

クルスデルスルも行っちゃったし、もう抗議しても仕方がないので観念して、以後はおとなしく待合室でその時がくるのを待っていました。結局バスはさらに30分遅れ、ナスカについたのは午前10時。朝のフライトなんて全く実現不可能な時間に到着したのでした。

お客さんも集められない、落ちぶれた大手、オルメーニョですが、サービスはまぁ普通でした。車体は古くて座席のネジが欠けていたけどまぁ快適、朝食もまぁこんなもんだろうというレベル。クルスデルスルとそんなに大きな差はない気がします。
これで時間さえしっかりしてくれたら、もう少しお客さんも集まるんじゃないかと思うけど。

ペルーのバス移動は、余裕を持った日程作成がまだまだ欠かせないな、と思いました。
■コンドルは飛んでいく、の?
2008/10/27
夜中の2時半。ツアーのお迎えがきました。この時間に出ないと、コンドル観察ポイント「クルスデルコンドル」に午前中につくことができないのです。日帰りツアーは真夜中の戦いなのです。

途中の村チバイまでの間に約4800mのこのツアー最高所があります。そこへ近づくに連れて寒さが増します。かなり着込んできましたがそれでも足りず、ツアーが用意してくれていた綺麗な毛布にくるまってやっと眠れました。
6時頃チバイで朝食。あまりゆっくりする時間もなくまたミニバスに乗り込みます。

私はこのツアーで、棚田を見るのを楽しみにしていました。matuはコンドルを楽しみにしていました。
クスルデルコンドルでは1時間半の自由時間があります。いつもであれば、この1時間半で目の前を優雅に飛ぶコンドルを見ることができるのだそうです。しかし今日は待てど暮らせど、たったの1羽もあらわれません。結局見ることができず、ガイドさんが謝る始末。

でも棚田はたーっくさん見ることができました。ペルーではマチュピチュといい、ここといい、棚田がとっても多いです。山がちな土地をあれだけ有効に使おうと工夫したインカの人々は偉大だなと思います。

よって、満足した私と、不完全燃焼なmatu。対照的。
お昼休憩でよった場所で「タビゴコローズ」のマサさんあゆみさんとお会いしたのですが、その時あゆみさんが指人形のコンドルを持っていました。matuがそれを羨ましがって、結局私達も1つ購入。指人形のコンドルを自分達で一生懸命ペルーの大地に飛ばしたのでした。
■寝袋パン
2008/10/26
カジノ疲れ、移動疲れで全く起きられず、朝食は10時過ぎ。その後ネットをしたりして、部屋を出たのはなんと12時過ぎ。だらだら生活です。

明日、コンドルを見るツアーに参加することにして、今日はだらだらを楽しむことにしました。アレキパの町はアルマス広場を中心に広がっています。クスコのアルマス広場と雰囲気が似ています。

スーパーへ行ったり、おいしいソフトクリームを食べたり、日本の休日とあまり変わらない時間を過ごしました。

そんな中見つけたグレイトなパンをご紹介。
「寝袋パン」
普通のパンかと思いきや、よく、よく、見てください。
人の顔がついています。

発想が◎!
インドから始まった寝袋生活をとても懐かしく思い出したのでした。
(今も続いているのだけれど。。。)
■この旅最後の陸路国境超え
2008/10/25
結局一睡もせず、荷物をまとめて移動することにしました。どうせバスの中で寝れるだろうし。
アリカのバスターミナルまでタクシーで行き、さらにバスターミナルからペルーの国境を越えてタクナの町までは乗り合いタクシー(コレクティーボ)で。タクナから次の目的地アレキパまでは大型バスでの移動になります。アリカからアレキパまで直行大型バスが出ているけど、それより分けて行った方が安く移動できます。

タクシーは人が集まり次第出発なのですが、すぐに人が来るので待ち時間はほぼありません。国境までは15分程度。入国のときが嘘みたいに出国はあっさりしています。イミグレ係員のやる気も全くなくて、出国スタンプ押すのを忘れられそうになりました。

ペルー側のイミグレまでは少し距離があります。タクシーに乗っていたのですぐでしたが、歩いたらかなりありそうでした。ペルー側の入国は一応の荷物チェックがあります。ノートパソコンを持っているとひっかかります。

タクナまではここから25分ほど。バスターミナルまで連れて行ってくれますが、アレキパ行きのターミナルは隣の建物。ここでは勝手にバス会社を紹介してチップをねだる若者がいるので、注意しましょう。
そうそう。注意と言えば、時差。チリからペルーに入ると、2時間の時差が生じます。時計を戻さないと、バスの時間もなぞなぞ状態。

いくつかのバス会社がある中で、すぐに出発するところを選びました。タクナは特に見たい場所もないし、バスターミナルは置き引きとかスリとかに合う可能性も高いし、何よりアレキパに早くつきたかったし。バスは事前に聞いていた金額よりも安かったので心配でしたが、とてもきれいでした。上階の最前列を陣取って、超快適移動。お手洗い付きのバスだったのですが、今まで乗ったバスの中で1番清潔!紙もしっかりついていました。

朝7時半に出発してアレキパには午後2時過ぎに到着。ホテル探しにも支障のない時間につけました。
アレキパはペルー第3の都市で、標高もそんなに高くないので、過ごしやすいところ。レストランやカフェが多く、食い倒れの町でもあります。食べ過ぎないように気をつけようと思います。