マリの日記 (2008年4月16日〜2008年4月23日)

■コーラの実
2008/04/23
斡旋してもらったガイドさんはドゴンの村の住人さん。ドゥールーという村に住んでいるのだそうです。彼に連れられて、朝7時からドゴンの村を見学しました。

ジギボンボ・カニコンボレ・テリ・エンデの順に4つの村に行きました。ジギボンボは崖の上にある集落で、とんがり屋根のおうちが特徴的です。そこからカニコンボレまで2キロを、崖くだりハイキング。カニコンボレは崖の下にある集落です。
一番楽しかったのが、テリです。テリは、崖の途中に岩を積んで泥を運んで作った集落です。今はみんな崖の下に降りて生活をしているので、実際に使われてはいないのですが、つい100年前まではここで生活していたそうです。上り下りが運動不足の私にはとてもつらかった。水を運ぶのが大変で崖下での生活に切り替えたとガイドさんは言っていました。使われていない今でも集落の長、オゴンの家だけは入ることができません。外から見るだけです。
エンデはお土産屋さんだらけで、全くおもしろくなかった。

どこの集落にもモスクがありました。ジェンネで見たのと同じ、泥のモスクです。中がどうなってるのかちょっと興味あるけど異教徒は入れません。

ドゴンではみんな、お金より「コーラの実」を欲しがります。人の写真を撮るときにはコーラの実と引き換えです。だから行く前にコーラの実を仕入れていくのですが、1日の日帰りで1キロはちょっと多かったかも。それに、聞いていたのとは違ってコーラの実をあげても写真を撮らせてくれない人のほうが多い。何のためのコーラなんだか。
「コーラの実」というのは、熱帯アフリカ原産の木、コーラの種子のことで、「コカコーラ」の原料でもあります。コーラナッツとも呼ばれ、カフェインやコラニンを含んでいます。それを食べると心臓に覚醒作用があり、元気になるんだそうなのです。現地の人はそれを私たちも生食するので、見習って食べてみたのですが、苦くってとてもじゃないけど食べられません。
マリは熱帯アフリカではないので、熱帯アフリカであるガーナから輸入しているそうです。輸入品だから高価です。

ガイドさんいわく、ベニマトやドゥールーの方が美しい、とのことなので、次の機会があったらそちらへ行ってみたいと思います。いずれにしても1日日帰りは短すぎました。3泊くらいの余裕を持った方が楽しめると思います。
■移動休養デー
2008/04/22
朝、意味もなく早起きして、朝ごはんが6時。
食べ終わってチェックアウト。でも次にどこに行くか悩んだまま。

ガイドとの交渉とか、村への謝礼とか、そういうの、めんどくさくてドゴンへは行かないつもりでした。
今日、一気にコロまで出て、ブルキナファソに抜けちゃう予定でした。

でもやっぱりもうマリにはこれないかもしれない。そうするとここまできてドゴンに行かない、ということに後ろ髪をひかれはじめてしまいました。ダカールで相当日数を浪費しちゃったし西アフリカはもうそろそろ急いで抜けたいけど、せめて日帰りコースでいいから行っとくか。

そんなわけで急遽、バンディアガラへ行き先を変更。
ミニバスの人数待ちで3時間、乗った時間は1時間。
昼にはバンディアガラに到着しました。

バンディアガラはとても小さい町です。ドゴンの入り口としてガイドブックに紹介されています。
道路が舗装されていないので、赤い土がむきだしです。で、風が吹くたび砂が舞う。気管支の弱い私にはとてもつらいところです。

ガイドは、バンディアガラについた瞬間声をかけてきた人に斡旋してもらうことにしました。めんどくさいのはいやなので。
バンディアガラを出発して、4つの村を見学、ゴールはバンカスでお願いしました。これを1日で消化。結構強硬な日程です。
■バシェ
2008/04/21
今日はとても早起きをしてジェンネに行ってきました。
ジェンネでは月曜市というのがあって、毎週月曜に大きな市があるのですが、今日はちょうどその日。女性が着飾ってくるとかガイドブックに書いてあったのでとても楽しみにしていました。

あいかわらずの暑さの中、少年ガイドに案内してもらうこと1時間。そんなに広い町でもないのにもうバテバテ。今日は本当にお金を持ってき忘れて超ド貧乏だったこともあり、その1時間でジェンネ観光は終了。ガイド料は1,000CFAきっかり。モスクに特に思い入れがあるとか、よっぽど気に入ったとかじゃなければ1時間でも充分だった気がする。

モスクや市場の中を歩いて色々見たはずなんだけど、あまり感動はなかった。あぁ、こんなもんか、という感じ。女性の衣装も特に何か変わってたわけじゃないし全く記憶に残ってない。それよりいい思い出になったのは帰りのバシェ。

バシェというのは、ミニバンの後部座席をぶっ潰して木のベンチで四方を囲った乗り合いバスのことです。これでジェンネからセヴァレまで一気に帰ることができます。1,750CFA。きっと地元の人もこの価格?西アフリカに来ているのに、今まで未経験でした。

ジェンネはもちろん始発。13時発と聞いていたので10分前に乗り込みました。この時点ですでにぎゅうぎゅう。それなのに全く出発の気配はありません。

13時といえば、日差しが一番強い頃。窓もろくに開かないミニバンの後部に、18人の大人と10人程の子供。人口密度もさることながら暑さが半端じゃありません。みんな汗だらっだら。どこまで汗が出るのかわからないけれど、ふいてもふいても全くキリがありません。現地の子供たちなんて、あんなちっちゃい体で全身からだらだら汗流して、水分全部消えちゃいそうだった。

それでもやっぱり出発しない。気づけばもう14時。さすがにみんなイライラしだした。この暑いのに、こんなにぎゅうぎゅうなのに。
14時を少し回ったあたりでようやく運転手が席について出発。大拍手。
最終的には20人の大人と10人くらいの子供があの中につめこまれていました。乗ってみなきゃこのつらさはわからないと思うけど、matuなんて「もう西アフリカは充分だ。もういいよ。」だって。体が大きい分つらかっただろうな。私も足がしびれだして、それでも動けなくて、最後には感覚さえなくなっていました。

途中、隣に座った小さな女の子が、自分と違う色の私の手をおそるおそる触ってきた。しばらくすると大胆になって、手をつないでくれた。ものすごい暑さだったんだけど、彼女の手の温度はとても心地よかった。

17時少し前にセヴァレに到着。約3時間。みんな待たされたせいで疲れきった顔をしてた。現地の人の交通手段だから慣れているのかと思ったけど、やっぱり疲れるよね。一緒に乗ってたイタリア人が、「日本のラッシュアワーのようだ」だって。そう言われれば似ていたかも。。。でも全く身動きが取れない分、バシェのほうがつらかった。3時間、誰も降りないんだもん。
■奪い合い
2008/04/20
バマコからバスに乗ってセヴァレにきた。
ここを拠点にしてジェンネを観光、そのあとブルキナファソに抜ける予定。

セヴァレ自体には何もない。
ドゴンの村やジェンネに行く観光客をつかまえる自称ガイドはいるみたいだけど。
バマコも暑かったけど、セヴァレも暑い。
ホテルのクーラーが全くきかないほど、灼熱。

バスターミナルで夕飯を食べた。
フランスパンに煮たじゃがいもをはさんだだけのサンドウィッチと、同じく牛肉を煮込んだものをはさんだサンドウィッチ。

あまりおいしくなかった。実際、味もおいしくなかった。
だけどそれより目が痛かった。子供たちの目が。
帽子を目深にかぶって、視線を避けた。でも気配は伝わる。

子供たちは喜捨してもらうための空き缶を持って、ぼろぼろの服を着て、うつろな目でこちらを見ている。
こんなに小さいのに、うつろな目をして。

私たちが食べ終わったのを見計らって、彼らが動く。
目の前の皿をくれ、と言っている。
皿にのっているのは、私が避けた牛肉のすじや脂や骨だけだ。
それを彼らは奪い合って、食べた。
赤土の上に落としてしまったじゃがいももあっという間に消えた。

ショックだった。知っていたのに、ショックだった。
■バマコ
2008/04/19
泊まっている宿はバマコセントラルから2キロ程離れています。でも近くにスーパーはあるし、レストランもちょっと高いけどあるし、不自由はありません。昨日セントラルで宿を探してみたけど同じ値段でも質がかなり落ちる。セントラルじゃなきゃだめっていう理由も特に見つからない。セントラルだと食事の幅が広がるくらいかなぁ。
バマコでは主要道路以外は舗装されておらず、赤土が剥きだし。風が吹くと砂埃で自分も赤くなります。コンタクトレンズはアフリカ用に買ってきた使い捨てにチェンジ。
セネガルよりは少ないけど、路上物売りもいます。売っているものはCD。アフリカンミュージックらしいけどあぁやって売ってるものを買う人っているのかな?と疑問です。
そしてセネガルと同じくらいいて、セネガルよりしつこいのが物乞い。そして彼らは目ざとい。それだけセネガルより貧困が激しい、ということ。バマコの物乞いはそのほとんどが子供たち。子供と言えど、しっかりした稼ぎ手なのであって、ぬくぬく甘えるなんて許されない子もいる。
「地理」という学問では、バマコという町がアフリカのマリにあるということや暑い地域であることは学ぶけど、住民の生活まではわからない。地図上の世界を知っていたくらいで満足してはいけないな、と思った。
■バス会社選び
2008/04/18
マリ1日目。さすがに電車の疲れがどっと出てきて昼間ではホテルでぐったり。どろどろの洗濯物を洗ったりもしてました。
午後から活動開始。外に1歩出た瞬間、外出をやめようかと思うほどの熱気。水と帽子は欠かせません。
次の目的地、モプティまでのバスチケットを買いにバスターミナルへ。バスターミナルはバマコセントラルから6キロほど南に行ったところにあります。バス会社によってターミナルが違うので目的の会社がある場合には注意。
私たちはまず「ソマトラ」という会社を探しにソゴニコというバスターミナルへ。バスターミナルにつくと、ものすごい客引きにあいます。
ソマトラ含め何社か見て、値段とバスを比較しました。その中で決めた会社は「ガナ」というところ。エアコンバスだったのと、バス自体が新しかったから。そしてチケット売り場のおじさんがジュースをおごってくれたから。ジンジャージュース、ものすごいショウガで美味。ぴりぴり。モプティへは20日に移動します。
ちなみに、マリの物価ですが、セネガルより安いなんてことはありません。セネガル並みです。がっかり。ロンプラに載っているレストランは軒並み値上げ。お水はセネガルより高い。安いのはパンくらいのもの。
■国際列車スケジュール
2008/04/17
水のことばかりで、肝心な情報がありませんでしたね。
国境越えについてです。

過去の色々な情報があって、賄賂がどうの、真夜中がどうの、と心配事はつきませんでした。
でも、結果は心配なんていりませんでした。

まず、セネガル出国。
フロンティア、キディラにつく4,5時間前にパスポートを係員に電車の中で(私たちの時は私たちのコンパートメントで)見せます。係員がそのまま出国スタンプを押し、パスポートは返却されます。
これで出国手続きはおしまい。キディラで何かする必要はありません。

そしてマリ入国。
マリの領土内に電車が進むと、マリの係員がパスポートを見にやってきます。この時はマリのビザがあるかを確認するだけ。私たち外人(隣国の人以外)はカヤの駅で一旦降り、駅の外にあるポリスでスタンプとサインをもらわなくてはいけません。ものすごく感じがよくて、賄賂なんて全く要求されませんでした。

・1日目 14時頃ダカールハン駅発
・2日目 20時頃電車内でパスポートに出国スタンプを押してもらう
     23時頃セネガル側国境キディラ駅着
・3日目 1時頃マリの係員が電車内でビザチェック
     4時頃カヤ駅到着 駅の外にあるポリスでスタンプをもらう
     20時頃バマコ駅到着

こんなスケジュール。電車が真夜中にバマコ到着、ということもありません。その代わり、2日目の夜は暑さと手続きであまり寝れません。

今回、この電車には私たちのほかに、オランダ人の女の子とイギリス人の女の子が乗っていました。(彼女たちが英語もフランス語もできて、通訳してくれてものすごく助かった。)黒人じゃないのはこの4人のみ。でも同じ車両には電車関係者の方が多く乗っていて、車掌さんのお部屋もあったので、危険な感じはありませんでした。スリもいなかった。

そんなわけで、電車のハード面に耐えられるなら、ここの国境越えは電車も一考の余地ありです。

永遠に続く地獄だったような、あっという間のいい思い出のような。

同じコンパートメントや同じ車両のセネガル人とも仲良くなれます。
旅行者の中には「人の西アフリカ、自然の東アフリカ」という人もいるくらい、現地の人はみんな親切。飲み物の件だけでなく、例のセネガル人のおじさんはその後もあれやこれやと面倒をみてくれ、3日目の朝食はごちそうしてくれたし、マリ版うちわを貸してくれたし、駅につくたびここは何駅だと教えてくれました。フランス語がわからないお客さんが私たちだけだったので、疎外感を与えないように気を使ってくれたのでしょう。嬉しかったです。だからできる限りのフランス語を単語でもいいから話すようにしていました。

他にも、席がなくて廊下に座り込んでるお兄ちゃん達も陽気に話しかけてきてくれたし、牛乳の粉を手のひらいっぱいにくれたおばちゃんもいました。この2泊3日の間、私はとっても幸せでした。これまでの人生で1度もないほどの悪臭を発していたけどね。
■脱水
2008/04/16
昨日15日に電車は本当に出発しました。
13時50分初予定で、14時ちょっとすぎには出発。意外なことにたいした遅れもなく順調でした。2泊3日でセネガルのダカールからマリのバマコへ。

出発は順調だったんだけど、問題なのはハード面。
クシェという一番いい寝台の席なのですが、乗った瞬間凍りつくほどひどいものでした。
・寝台のクッションはスポンジがそのままだし、変色したり凹んでたり欠けてたり。
・その上のシーツがまた破れている。そしてノミがぴょんぴょん。
・2階の寝台の下部に大きな穴が4つあいていて、そこからスポンジのカスがぱらぱら1階に降ってくる。
・天井には穴が開いていて、雨が降ったら雨漏りは避けられない。
・廊下はところどころ木板が腐って穴があき、それをビニールのカバーで補強。
・みんなが食べかすを床に散らかすからゴキちゃん含め虫が結構いる。
・エアコンはもちろんないので窓も扉も開けっ放し。砂埃がひどい。
あげていったらキリがない。

4人用のコンパートメントで、私たちは二人とも下段。2駅先くらいまでふたりだけだったので、心細く、余計なことばかり考えていました。途中から上段のセネガル人が乗ってきて、それもちょっと緩和。彼らが普通にしていたから。あぁ、これがセネガルの普通なんだな、と思ったら楽になった。車両の上に乗ってる人もいるくらいだし、これでも1番いい席なんだから文句言ってる場合じゃないものね。
現地の人は、席にぎゅうぎゅうになりながらも電車にものすごい量の荷物を持ち込みます。荷物代はただだからね。せっかくなら乗せてやろうってことみたい。荷物置き場の争奪戦は結構激しいです。

食事は途中の駅でサンドウィッチやセネガル料理・チェブジェンなどを買うことができます。ただ、食事時に必ず止まるわけではないので、予備は絶対必要。これは飲み物にも言えます。
途中駅で売っている「水」はミネラルウォーターではありません。1度使ったペットボトルに水が入っている、というもの。水道水かもしれない、と思うと手が出ません。あとは、1.25リットルの炭酸ジュースが6本セットになったもの。これも最初のうちは「そんなにいらない」と思いがち。だけどね、その考えは甘いの。

この時期、セネガルの夜は寒いのです。だから最初の出発した日の夜は凍えながら寝ることになります。それなのに、次の日、隣国マリのは半端なく暑いのです。昼だけではなく、もちろん夜も暑い。日中には40度は軽く超えているでしょう。4月5月はマリの猛暑の季節です。

電車に乗って、ただ座っているだけなのに息が切れてくる。頭がぼーっとして眠るのが精一杯。風が吹くからと廊下に出るけど座るところはないし、熱い風がいくらふいたところで暑いだけ。コンパートメントの中はサウナ状態なので、それでも廊下に吸い寄せられる人は多い。
水を飲んだそばから汗となってでていくので、水分はかなり必要。汗は勝手に出て行っちゃうから、体の水分を補給しないと、脱水症状。寝ていると服は汗びたし。

そんな2泊目の夕方。私たちは水分の見積もりが甘かったことに気がつきました。手元にあった水は、もう1.5リットルペットボトルに半分以下。それでも喉の渇きは容赦なくやってきます。飲み物を売っている駅にもつかない。夜も遅くなったし、駅についてもお店が閉まってるんじゃないか。このまま脱水症状になってしまうのは時間の問題。matuはぐったりしはじめ、まゆは吐き気が止まらなくなってきました。

あきらめ始めた23時。やっと電車が止まりました。
「キディラ。フロンティア。」
仲良くなったセネガル人のおじさんが教えてくれます。
でも、水が売ってるのか、もう自力で探す気力もなくなっていました。
「ジュヴドレアシュテボワッソン」
文法も発音も全くなっていないフランス語で訴えてみました。
すると、彼は「この駅で買えるからついてこい」と。

あの時ほど、人生の中で「感謝」ということをしたことはありません。
大げさだけど、生と死の狭間にいた時に救われたという感じ。
セネガル人のおじさんは、今回はオフで私用っぽかったけど、お仕事はこの電車のコンダクターだったのです。どこで何を売ってるかはお手の物。的確に飲み物の屋台に向かってくれました。

やっぱりミネラルウォーターはおいてなかったので、買えたのは炭酸ジュースが4本。それでもばら売りしてくれたのは有難かった。

自力で探していてもいつかは見つかったかもしれないけど、もう体がギリギリに近かったので1分でも1秒でも水分に早くたどりつけたのは助かりました。

食べ物なんか2,3日なくても生きてはいける。でも飲み物だけはだめ。この環境下では特にだめ。この時期にこの電車に乗るのなら、荷物で悩んでも、重くても、飲み物だけは必ず持っていってください。