インドの日記 (2008年2月10日〜2008年3月13日)

■インド脱出
2008/03/13
さて。
一ヶ月続いたインドの旅。今日が最終日です。
今、コヴァーラムビーチのネットカフェ。

この後、お昼を食べて、空港に向かいます。
飛行機はこちらの時間の21時過ぎ発のエミレーツです。
日本時間だと、翌日になってるかな、0時30過ぎくらい。
リコンファームしてないんだけど、大丈夫かな?

体調不良は今も続き、昨日からは喉の腫れに苦しんでいます。
まったく声がでません。
腫れに伴って、夜中には熱がでます。
そして、耳鼻咽喉科、とはよく言ったもので、喉が痛いと耳も痛みます。

とにもかくにも、今日の夜中の飛行機で、インドを脱出。
次なる目的地は、ドバイ。
神田うのさんが行ったらしいですね?
私たちは、そんな豪華な旅はできないなー。。。
すでにドバイのホテル代の高さにぐったりしています。
■コヴァーラムビーチ
2008/03/12
カニャークマリからバスでコヴァーラムビーチへ。
コヴァーラムビーチは、インド1と言われるビーチで、トリヴァンドラムのすぐ南にあります。

インド最後の1泊は、あまり見所のないトリヴァンドラムではなく、コヴァーラムビーチで過ごすことにしました。

ところが、バスに乗って少しすると、大雨。どしゃぶりです。
インドでは1回も雨が降った日がなく、快晴続きだったのに、なにもビーチに行くときにふらなくったって。。。

案の定、ビーチは曇ってどんよりです。
せっかくきたのになぁ。。。

でも、もともと泳ぐ気はないし、ビーチで最後のインドをのんびり過ごしていこうと思います。
■太る
2008/03/11
インドに始まった話でもありませんが。。。
旅行に出る前より太った気がしています。二人とも。
体重計がないので、実際のところはわからないけど。

旅行に出て、最初の1ヶ月くらいは痩せました。
それはお互い病気をしたり、まだ旅に慣れていなかったりしたせい。

そこから一気に料理のおいしい国に長居しちゃって。タイとベトナムは本当にお料理がおいしかった。
で、さらにインド料理がどどんと乗っかるわけです。

カレーだけ、と思われがちなインド料理。
それは間違いです。全てがカレー味なだけ。

日本で言うところの煮込料理がインドでのカレーなのかなと。
肉じゃがもきんぴらごぼうも筑前煮も、みんな醤油と砂糖とみりんで味付けするでしょ?
その醤油と砂糖とみりん、がインドではマサラ(カレーのスパイス)になる。

インドには、北ではタリ、南ではミールスと呼ばれるお料理があります。
1つの大きなお皿に、何種類かのカレーとヨーグルト、それからお漬物、そしてナンかライスがのっています。
もうこれだけでものすごい満腹。なのに、他のお料理より安い。

節約したいし、お腹もすいている、という貧乏旅行者にはうってつけの食べ物なのです。
インドに来てからタリを注文することが多く、いつでも満腹状態。

南インドでは、ご飯を食べきるかどうか、というタイミングでお店の人がご飯を足しにきてくれます。
もちろん何回でも。目の前のおじさんが3回くらいもらってて、びっくりしました。

早くインドを出ないと、まんまるになりそうで恐ろしいです(笑)。
■最南端
2008/03/10
コーチンから電車に乗り、インド最南端カニャークマリへ。
カニャークマリは、その電車の終点です。
日中に電車に乗るのは久しぶりだったので、本を読んだり景色を眺めたり、のんびりしていました。

あと1,2時間でカニャークマリにつく、という時に、車掌さんがきました。
「今日はこの電車、カニャークマリには行きません。終点はその手前、ナガルコイルです。」

カニャークマリまでのチケットを買っているのに、ひどい。
結局、その言葉の通り、ナガルコイルで降ろされてしまいました。

そこからはオートリキシャで20分。意外と近くてほっとしました。
予約していたホテルへ直行。お部屋から海の見える、眺めのいいところです。
日の出がお部屋から眺められます。

明日は早起きして、日の出を見ようと思います。

それから体調ですが、熱は下がりました。
でも耳と喉の痛みが強くなってしまっています。
熱が出て、悪い病気に考えがちでしたが、ただの風邪のようですね。
■matu?
2008/03/09
テレビを見ている時のこと。

「あ、この人好みのタイプ」

基本的にはインド人、どの人もこの人もまっっったく好みのタイプでないのですが、この人だけ例外。
他のインド人と違う。色白で、欧米人風。

で、よくよく見ていたら、誰かに似ていることを発見!
matuでした。。。

matuがもっともっと痩せて、無精髭を全部そり落として、もう少し若くなった感じとでもいうか。
知的なメガネさんで、ちょっと弱そうな感じ。

映画をテレビで放送していたのですが、その役どころもまたいい感じ。
ヒロインにいい様に振り回されたあげく、キューピッドまでやって、失恋しちゃう。
一度いい雰囲気になりかけただけに、もう見ていられない。可哀想過ぎる。
と、思っていると、最後に大どんでん返し!

ハッピーエンディングで良かった良かった。

オフィシャルサイトを見つけたけど、みんなに似てない、と言われるのがこわいので、一人で楽しむことにします。。。
■バックウォーターツアー
2008/03/09
朝方、熱が36度台まで落ち着いたので、病院に行かず、
KTDCという政府の観光オフィスへ。

朝8時半からの半日バックウォーターツアーに混ぜてもらおうという魂胆です。
でも、KTDCが開くのは8時。
今日の今日で大丈夫かなぁ、と不安だったのですが、OKがでました。

竹であやつる船に乗って、ヤシの木だらけの水郷地帯をのんびりクルーズ。
途中、南インドの鳥、キングフィッシャーにも遭遇。
一帯の緑に、青い鳥がよく映えます。

インドで欠かせないのが、チャイの時間。
10時と15時くらいにツアーであっても必ず一息入ります。

戻ってきて、フォートコーチンへ。
今回ゴアには行かなかったんだけど、ゴアもこんな感じかな、と思うくらいのリゾート。
お高いホテルがずらり。
私の熱が復活してきたこともあり、そのうちのひとつに入ってお昼。

コーチンは海辺の街だけあって、お魚料理、有名です。
そんなわけで、フィッシュカレー。
お魚をカレーに。。。最初はちょっとした抵抗を感じたのですが、これが超美味。
白身魚の意外な料理法を学びました。

夕暮れ時にはチャイニーズフィッシングネットの並ぶ海辺へ。
matuもサンセット大好きだけど、インド人も同じらしい。

熱がまだまだ続いているので、ちょっと心配ですが、
どうせ悪くなるならドバイの病院に行こうと思ってます。
そうこうしている間に、また38度になりつつあります。
■湿気と虫
2008/03/08
昼から高熱を出したので、ホテルでおとなしく寝ていました。
今いる部屋はエアコンのない部屋です。
今まで、どこの街に行っても、夜はとても過ごしやすく、
寒いくらいの街もありました。

そこで、エアコンなしでもいいね、と思いこの部屋に。
ところが、ここ、コーチンは夜が蒸し暑い。
私たちのお部屋も例外ではありません。

窓を開ければいいのかもしれません。
でも、網戸がありません。
窓を開けたら、蚊とか、蚊とか、蚊とか。。。
入り放題。

さて、あなたなら、どちらを選びますか?
窓を開けて湿気は飛ぶもの、蚊も飛び放題。
窓を閉めて湿気だらけだけど、蚊はシャットアウト。

私は間違いなく、後者です。
そんなわけで湿気だらけの中、高熱でうなってます。
■スリーパークラス
2008/03/07
そんなわがままのせいで、コーチンまでのチケットはキャンセル。
出発後も50%は戻ってきますが、50%は無駄になりました。

早速、コーチンまでの新しいチケットを購入しに駅へ。
カウンターは8時からです。

「今日出発のコーチンまでのチケット2枚ありますか?」

「エアコン車両はありません。ファンの車両で行くのがベター」

初のエアコンなし車両。スリーパークラスです。

インドの電車は、同じ電車でも座席の種類によって価格がだいぶ変わってきます。
今回、2Aで支払っていた額の半分以下。これはお安い。
エアコンのあるなしで、相当差が開きます。

夕方、駅に向かいました。
昨日と同じ電車、同じプラットフォームです。
違うのは座席の種類。。。

心配していた周囲の人も、とてもいい人だらけで、女性もいて、安心。
外国人も私たちのほかに2組ほど同じ車両にいました。

座席の形態も3Aとまったく同じ。
エアコンのあるなしだけでした。

今の季節、インドの夜は過ごしやすいです。
でもやっぱり電車となると話が違って、エアコンがないと寒い。
窓をあけている人もいるし、閉めていても隙間風が入ってきます。

おかげですっかり風邪をひいた模様。
意外と弱い自分にがっくりです。
現在38度5分。
明日までにさがるといいな。
■パーカー
2008/03/06
今日の夜発の電車で、コーチンに向かう予定でした。
でも、電車には乗りませんでした。

夜まで時間があるので、ホテルをチェックアウトした後、
バックパックをホテルのクロークで預かってもらいました。

その時、夜の電車で使うから、と思って、パーカーを
バックパックとその上にかけてあるバックパックカバーの間に
ぽいっと、挟んだだけにしてしまいました。

夕方、バックパックを受け取って、駅へ。
出発30分前、という時になって、パーカーがなくなっていることに気がつきました。

「パーカーがない、パーカーがない。」

どこに入れたかも思い出せずに、部屋に忘れたと勘違いしたのですが、
バックパックとカバーの間に入れたのは確か。
だとすれば、クロークで落とされたと考えるしかない!

英語ができず、自分で電話もできないので、matuにお願いしました。
出発15分前のことです。もう電車に乗っていました。

「ホテルにあるらしい。」

もうホテルには戻れないし、日本に送ってもらおうと思いました。
でも、matuが、そんなに大事なものなら取りに戻ろうよ。
どうせずっと気になって仕方ないんでしょ?と言ってくれて。

お洋服1枚くらいのことで、と思うでしょ?
このパーカーにはちょっとした思い入れがあって、
どうしてもどうしても、あきらめることができなかった。

他の服ならどれをなくしてもあきらめられるのに。

席に固定していた荷物のチェーンをほどき、電車を降り、
今降りたばかりの乗る予定だった電車を見送り、
パーカーを取りにホテルに戻ったのでした。

大事なパーカーは、ホテルで無事に受け取りました。
あぁ、良かった。

一緒にホテルへ戻ってくれたmatuに感謝。

謝ったのだけど、
「そんなに大事なものなら日本に送り返しなさい。」
と言われてしまいました。

日本に送ると、届かない可能性もあるので、持って行きたい。
充分反省しているのし、絶対にもうなくさないから。

わがままなのは、わかっているけど。
■バターボール
2008/03/05
チェンナイからバスに乗って約2時間。
ママラプラム、という街があります。
ここには、世界遺産となっている海岸寺院がります。

当初行く予定ではなかったのですが、ガイドブックを見ていて、行ってみたいね、と追加。
やっぱりガイドブックは重要。

海岸寺院、ファイブラタ、アルジュナの苦行、などいろいろある中で、一番気になっていたのがバターボール。
クリシュナのバターボールって知っていますか?
坂道の途中にバターボールのような大きな岩が止まったままになっているものです。

他の見所を差し置いて、とにもかくにもバターボールへ。
「意外と低いところにあるね。。。」
一瞬拍子抜けだったのですが、それでもよく見ていると迫力は充分。

坂の上に登って、バターボールを後ろからみると、バターナイフで切ったようにまっ平ら。

大昔、ゾウをつかって動かそうとしたものの、動かなかった、というバターボール。
今ならば、機器を使えば動きそうな気もします。。。
■予約完了
2008/03/04
フライトチケットを確定させに、エミレーツオフィスへ行ってきました。
宿泊しているエグモア駅の近くからそのオフィスまではオートリキシャで。

航空会社のオフィスって、どうしてあんなに綺麗なんでしょ。
どこの航空会社もどの国でもものすごく清潔感いっぱいに作ってある。
航空会社って、その国の顔なんだろっかね。

私たちの希望を伝え、席を確定してくれるよう頼むと、
「これはコードシェア便だから、エミレーツではできない」
とのお返事。(のような、気がした)

「KLMのオフィスで、このペーパーにサインをもらってくれ」
そう言われたと理解した私たち。

次の目的地はKLMオフィス。これは宿のすぐ近く。
エミレーツでもらった紙を見せながら、担当者に話すんだけど、
なぜか通じません。

担当者が、色んなところに電話をかけ、理解してくれたらしく、
やっと予約完了。

あとで調べてみたんだけど、エミレーツって、KLMとのコードシェアなんて、してないみたい。
もしかしたら私たちの英語の解釈が間違っていたのかもしれない。
KLMの担当者さん、だいぶ困ってたみたいだったし。。。

インド脱出は、もうすぐです。
■バナナとクッキー
2008/03/03
今日はひな祭りですね。
あー、桜餅食べたーい。さすがにインドに餅はないもんな。

チェンナイ到着。チェンナイは、大きな駅だと期待していたら、今までの駅とそんなに変わりませんでした。
予約していたホテルにチェックイン。新しいところだと思っていたのに、バスルームがイマイチ。

matuの体調不良により、本日も無理せずのんびり。ATMも探したかったし。
matuは腹痛。そして私は胃痛。加えて白髪が一気に増えました。。。ばあちゃんです。

この旅行に来て、食欲が減るかと思っていたのに、逆に増幅。日本ではありえないほど食べています。
3食はまず欠かさないし、それどころかアイスやお菓子、フルーツシェイクなどなど。
今ならTさんに勝てる!と思ってたくらい。
さすがにインドに来て少し食べる量は減ったと思っていましたが、そうでもなかったみたい。

ここにきて胃が悲鳴をあげました。
気持ちは、あれもこれも全部食べたい、と思うのに、少し食べたところで胃が痛みます。
そして、消化がとっても遅い。お昼に食べたものが夜にまだ胃の中にある。
お腹がすく、という感覚がほぼありません。なのに頭はお腹がすいた気がする。
食べたいのに、食べれない。

matuも腹痛は一向に治らず、お互いに食欲もあまりなく、今日はバナナとクッキーが主食。
インドの南部はバナナがおいしいし、安いし、インドはビスケットやクッキーの種類が豊富。
何日かはこんな食生活が続く予感です。

ところで。
そろそろインドを出る飛行機の予約を入れなくてはいけません。
トリヴァンドラム(ティルヴァナンタプラム)という街からドバイへ抜ける予定です。
飛行機会社はエミレーツ。ちょっと楽しみ。

チェンナイにもエミレーツのオフィスがあるので、ここで確定させてきちゃおうと思います。
トリヴァンドラムまで行って、満席満席で足止め、なんて、嫌だから。
■手で食べてみる
2008/03/02
ハイデラバード到着。
今日はこの後、夕方の電車に乗って、チェンナイを目指します。
よって、ハイデラバードには6時間くらいしかいられません。

昨日、おとといよりは、幾分体調がましになったものの、無理は禁物、ということでリタイアリングルームで休憩。
ハイデラバードの日差しはものすごくきつく、気温も上昇する一方。30度なんて余裕で超えているはず。

ハイデラバードはイスラム教の街。ノンベジの人が多い街でもあります。
レストランに行けば、肉料理のメニューが並んでいます。他の街だと、肉料理のメニューはほんの少しなのに。
ベジレストランも見当たりません。

そんなハイデラバードでのお昼。
何気なく、いつものイメージで、ベジタブルビリヤーニ(チャーハンみたいなもの)と、ベジタブルヌードルを頼みました。
店員さんも、普通にオーダーをとってくれて、なんの注意もありません。

ところが。
出てきた料理にもうびっくり。
多すぎる。。。
ラーメンどんぶりすりきり一杯はあろうかというビリヤーニ。そして同じ量のヌードル。

スプーンもフォークもなかったので、自分のお皿にとって、まわりの人と同じように手ですくって食べてみました。
これが、意外と料理が熱いので、大変。ビリヤーニもおにぎりみたくお皿に押し付けて固めて、やっと口にはこべる感じ。
途中でギブアップしてスプーンに切り替えちゃいました。
■エローラ
2008/03/01
朝起きて、しばらく調子が悪かったものの、なんとかバスに乗れそうなくらいには落ち着いたので、エローラへ。
お腹、というより、胃とお腹の間、とでもいうか、微妙なところが昨日からずっと針で刺したように痛んでいました。
そこで、なんとなく、絶食してみよう、という気になり、本日は絶食。個人的なラマダンです。

エローラはアジャンタよりも後期にできた石窟です。
34番まである石窟はその宗教により3つに大きく分類されます。仏教、ヒンズー教、ジャイナ教です。
中でも一番有名なのが、ヒンズー教遺跡である16番、カイラーサナータ寺院。
これはもう、石窟ではなく、石でできた建築物です。

シヴァ神を祀ってある寺院なので、シヴァ神の彫刻がいっぱいです。
他にもラーマーヤナ、マハーバーラタの彫刻もあります。
100年以上かけて完成させたそうですが、100年でここまでできる、ということに驚きました。
一体何人くらいで作ったのか、とても興味があります。

他の石窟も特徴のあるものが多く、変化に富んでいたので、楽しく見学できました。
特に29番は、ちょっと場所的に離れていて、そこまでたどり着くのがちょっとしたスリル。
細ーい崖道を200mくらい進むのですが、崖下には緑がかった水たまりがあります。
もし、落ちたら。。。と考えたら、足がすくんじゃいました。

私の体調も良くないし、時間もなくて、30〜34番のジャイナ教石窟は見れなかったのが、残念。

この後は、電車にのってハイデラバードへ向かいます。
■体調不良
2008/02/29
今日は4年に一度のお得な日。私たち、がんばれば365日じゃなくて366日旅行ができるんですね。

さて、そんなお得な日は、移動日でした。
ファルダプルからアウランガーバードへ、ローカルバスで約2時間。
バックパックを持っているので、ぎゅうぎゅう混み混みのローカルバスに乗れるか心配だったのですが、運よく始発がありました。
始発とはいえ、満席。3人がけシートに私たちと、インド人男性で。

私は真ん中に座っていたのですが、matuも大きいし、インド人も相当大きいし、大きいのに挟まれて、とっても窮屈。
しかも途中から日差しが強くなって、バスの気温も上昇。両隣の体温も上昇。暑い。。。

そんなこともあってか、体調不良復活。熱が出たらどうしよう。
こういう時って、何故か自分の症状を悪い病気へ悪い病気へと当てはめて、必要以上に不安になるものですね。
A型肝炎かも、と思っていたりもして。細菌性の腹痛くらいだと思うんだけど。

明日はエローラを観光して、夜にはアウランガーバードから電車に乗る予定。
ハイデラバードを経由地にして、次の目的地はチェンナイです。
チェンナイなら大きな病院があるから、もし大きな病気でも、そこまでは行きたいな。

(実際には、翌日良くなったので、ただの取越苦労でした。。。)
■アジャンタ
2008/02/28
ちょっと早起きしてアジャンタ遺跡へ。アジャンタ遺跡は壁画で有名です。
宿泊しているファルダプルからは、オートリキシャで。
オートリキシャはアジャンタジャンクションまでしか入れません。
そこからシャトルバス乗り場へ歩きます。

シャトルバス乗り場までの道のりが、お土産屋さんになっていて、買うつもりのない私たちにはうっとうしい。
帰りは散々客引きに声かけられるんだろうなと、ちょこっと憂鬱。

シャトルバスを降りて、急坂を登り、やっと入り口へ。
入ってすぐに1番の見所、第1窟があります。
全26窟が川の曲がりに沿ってUの字型に並んでいます。

だいたいの石窟には仏陀が彫られていて、そのまわりに壁画が描かれています。
アジャンタ遺跡の石窟は、紀元前に作られたもの(前期窟)と、後に作られたもの(後期窟)とがありますが、彫刻と壁画を見ているとだんだん仏教がヒンズー教と一体化していくのがわかります。
前期窟は仏陀が単独なのに対し、後期窟では仏陀のまわりに何か小さい神々(?)が飛んでいます。

壁画というのも綺麗だし細かいしすごいんだけど、石を彫って、その中に修行の場を作ってしまう、そのことがとてもすごい。
無宗教の私には、宗教のため、修行のためにそこまでできるという気持ちを理解するのが難しい。
権力を見せつけるため、とか、大富豪の道楽、とか、そういうのならわかりやすいんだけど。
宗教遺跡というのはたくさんあるけど、ここみたいに権力者の命ではなく、純粋に修行僧が作り始めた遺跡は他にあるのかな?

第10窟には、このアジャンタ遺跡を発見したジョンススミス氏のサインが残っています。
泥に埋もれた遺跡を発見したときの心境ってどんなだろう。

ものすごい快晴で、気温も上昇。1リットルのペットボトルの水を飲み干しつつ、一応ほぼ全部の石窟を見学できました。

恐れていたお土産屋さんの客引きですが、なんと全く声がかからず。
というのも、ある方法を発見したのです。
それは、ツアー客と一緒に歩く、というもの。

特に助かるのが、欧米人の年配の方々のツアー。
彼らは客引きからパンフレットやら、絵葉書やら、結構購入するので、客引きもそちらへ行きたがるのです。
■インドテレビ事情
2008/02/27
昼前に電車がジャルガオンに着き、そこからバスでアジャンタ手前のファンダプルへ。
13時にはホテルでチェックインができました。
電車といい、バスといい、移動に疲れてしまったので、今日はどこへも行かず休養を。

インドの宿には、テレビのあるところがたまにあります。東南アジアと違って、NHKは映りません。
だからテレビをつけても、言葉のわからないインドのドラマとか、ニュースを見ることになります。
ニュースは英語でやっているものもありますが、さすがにドラマは現地の言葉。ヒンズー語かな。

だけど、ドラマの内容はだいたい日本と同じ。恨み、嫉妬、恋愛、いじめ。ちょっと古典的な感じ。
面白いのは、そのドラマのカットワークと効果音。
人物のアップがやたらと続いたり、ショッキングな発言とともに何度も何度も同じ場面を映したり。
それと同時にやたらと効果音が使われています。
くどすぎて、さすがに見てて飽き飽きすることも。

昔、日本でも何か仕掛けてドッキリ系みたいなテレビがあったけど、それと似たような番組もありました。
インドにもお笑い芸人がいて、その人達が街に出て、一般市民に何か仕掛ける、という感じ。

歌番組、というのは見ていないけど、プロモーションビデオはたくさんCMで流れています。
ノースリーブはだめ、膝上のスカートなんてもってのほか!という国のはずなのに、女性シンガー達はみんなコウダクミ(漢字わからず。。)さんみたいな露出系。
バックダンサーが必ずいるんだけど、それがこれまた日本の昔を思い出す、スクールメイツみたいで懐かしい。
当時のスクールメイツよりはよっぽど高度なダンスなんだけどね。
■リタイアリングルーム
2008/02/26
インドの主要な鉄道駅には、必ずリタイアリングルームというものがあります。
夜遅い電車に乗る人や、夜遅くに到着した人が利用する、お部屋のことです。

今回、23時台に出発する電車に乗るので、利用してみることにしました。
アーメダバード駅のリタイアリングルームは2階にあります。
ファンのみのお部屋が315ルピー。今の季節、日陰であればエアコンはいりません。

ちゃんとシャワーやトイレ(洋式)もあり、ベッドのほかにソファーと鏡台があります。
広さも充分。これで315ルピーなら結構お得かも。
(だけどシャワーはちょっと使う気にならない。。。)
清潔とまでは言えないものの、思っていたよりも綺麗だし。

本来なら荷物を駅のクロークに預けて、少ししか滞在できないアーメダバードを観光してまわるべきなんだろうけど、いかんせん体調が悪くって。
2人ともまだ腹痛が治らず、無理はできません。お薬飲んでるのになー。

次に目指す目的地アジャンタはとても有名な壁画がある場所なので、そこまでには治してしっかり見てきたい、と思ってはいます。
■オートリキシャ
2008/02/25
アーメダバードに着いて、バックパックをしょって、ホテル探し。
いくつか目星をつけておいたのに、一つは満室、一つはホテル自体がなくなっていました。

体調も良くないし(腹痛)、しょうがないので道端にバックパックを置き、matuが「いくつか周辺を見に行ってくる」と、出かけていきました。
少し待った後。matuがリキシャを引き連れて帰ってきました。

「何、その人。」
「ホテル紹介してくれるって。」
「えーっ!」

というわけで、そのオートリキシャのおじさんにいくつか物件を紹介してもらうことに。

最初のホテルはまだ建設中。2部屋のみ完成しているとのこと。一応新築ね。
砂ホコリの舞うエントランスをくぐって、matuがお部屋チェックに。
結局、お手洗いがインド式なのと、建築の音がうるさくって、×。

2件目のホテルは大きな通り沿いのホテル。
ちょっとエントランスとかいい感じかなと思ったんだけど、お部屋を見てみたら壁がピンク色だし、お風呂の天井がプラスチックのトタン屋根みたいな感じで穴があいてるし、なんか落ち着かないのでここも×。

そして3件目。大通りからちょっと入ったところにあるホテルで、レセプションがやたらとしっかりしているホテル。
matuが見に行って、ここなら大丈夫、と言うので、ついに決定。ちょっとぼろいし、床が絨毯で綺麗に見えないけど、浴室は綺麗でした。

どこのガイドブックにも載ってないんだろうと思うけど、しっかりウェブサイトもあって、インド人はたくさん宿泊していました。

インドではこうやってオートリキシャのおじさんが、バックパッカーと見るや宿を紹介し、宿から報酬を受けるらしい。
知ってはいたけど実際つかまってみたのははじめてだったので、まぁこういうものか、と納得。
だけど、最初matuが連れてきたときは、相当不安でした。無事でよかったです。
■3A
2008/02/24
インドの電車、初の3A席です。ジャイプルからアーメダバードまで約12時間。
今までずっと2Aという2段寝台で移動していました。今回の3Aというのは、その寝台が3段になります。
3段になるということは、1段1段の間隔がとても狭くなる、ということ。

一番上と、一番下の席だった私たち。
一番上には、体を全く起こすことができない、外に行くのに気が引ける、等のデメリットがあり、
一番下には、いろんな人が通るのが気になる、上の人達が移動するたびうるさい、荷物に気をつかう、等のデメリットがありました。

話すことも思うようにできず、もう寝るしかないね、ということで、就寝。
朝は朝で身の回りの準備をするにも自分の席では体を起こすこともできないので、本当に大変でした。

体を起こすことができない、というのは、そう思うだけで相当ストレスになりますね。
なんだかイライラして、なかなか寝付けませんでした。

2Aと違って、寝台を区切るカーテンがないのも、荷物を管理する上でちょっと気になります。

同じ車両には、インド人ばかり。こういう状況も初めてだったので、少し身構えたこともあるのでしょうけれど。
この電車は人気がある時間帯だったようで、満席。さすがに息苦しい感じもしました。

2Aのありがたみを充分に知った一日でした。
■ピザハット
2008/02/23
何かにあたって二人ともおなかを壊しています。歩けないほどではないので、観光はしています。
今日はアンベール城へ。市バスに揺られて行ってきました。

夕飯は、安全なものにしたいね、という二人の希望で、アメリカンなピザハットへ。
おなかを壊しているときは少しでも安全なものを、慣れているものを食べたくなります。

ピザハットは、そこがインドとは思えない程綺麗で明るい空間。
久々の生野菜に、贅沢チーズ。そしてアメリカ的な笑顔の店員達。
私には、やはりそちらのほうがほっとできるようです。

幸せ気分で食べながら、あたりを見回すと、予想に反してインド人ばかり。
ピザハットでの食事はやっぱり贅沢品に該当するので、価格は高めです。

今まで、観光地に行っては物乞いの子供たちや、リクシャーのぼろぼろ服のおじさんを見てきました。
ところがここ、ピザハットには、真新しい綺麗なお洋服を着た子供たちがいて、ノートパソコンを持って商談する大人がいます。
言葉も違います。北インドでは、ほどんどの人がヒンズー語を共通語として使っています。
でもここにいるインド人はみんな英語で話しています。子供ももちろん。

旅行者にあめ玉一つを必死に乞う子供たち、ピザハットで好きなものを注文し食べる子供たち。
これがカーストか、と見せ付けられた感じがしました。
そして、日本に生まれた、というだけで、その現実を客観的に見ている私たち。
さて、世の中は平等にできているのでしょうか?

一生抜け出すことのできないカースト制度。でもそれによって職業を保障されている面もあって、なかなかなくならないそうです。
上層の人々はもちろんカースト制度があったほうがいいですもんね。
下層の人々は改宗したりして抜け出そうとしているみたい。

日本には表立ってカースト制度のような差別はほぼないものの、個々人の中にはやっぱりあるんじゃないかと思っています。
弁護士、といえばすごいと思うし、無職、と聞けばその人の年齢によってはがんばれよもう少しと思ったりもします。
誰にでもそういうの、あるんじゃないかなと思うけど。自分基準のカースト制度みたいなものが。
■盗難
2008/02/22
ジャイプルは旧市街に見所がたくさんあります。
シティパレス、風の宮殿、ジャンタルマンタル。今日はそれを見に旧市街へ。

サイクルリキシャのおじいちゃんが間違えてあちこちしましたが、なんとか風の宮殿に到着。
おじいちゃん、自分が道を散々間違えて遠回りしたあげく、その分のペイまで要求してきた。
ちょこっとだけ上乗せしてあげて、退散。

風の宮殿は、修復中。裏側から中に入ることもできるのですが、建物自体がとても薄っぺらいため、なんか頼りなくてこわいです。
表から見るととても立派に見えるのに。

ジャンタルマンタルというのは、天文観測儀がたくさんおいてある広場のことです。
ジャイプルを作ったマハラジャが、天文に興味を持って作ったものらしく、種類がたくさんあります。

で、風の宮殿からそこへ移動しているとき。
ジャンタルマンタルの入り口がわからなくてうろうろしていると、地元の子供たちに囲まれました。
「ジャンタルマンタルはあっちだよ」
案内されるままについていくと、ものすごく細い路地を通っていきます。
異変に気づいたのは、そのとき。

誰かがリュックにさわってる!!
私の前を行くmatuはもちろんそんなことには気がつきません。
リュックを前に持ち直して、よく見てみると、リュックの外側ポケットにいれてあったものが無くなっていました。

やられた。。。
子供たちはあっという間にいなくなっていました。

被害にあったのは、折り紙2組と、matuのおばあちゃんからいただいたお守り。
折り紙はどうでもいいけど、お守りはショックです。
でも、何かの身代わりになってくれたのかな、とも思います。
お金とかカードとか、カメラにパソコン。そして、何より人命。
あんな細い路地に連れてかれたら、昼間とはいえ何があっても不思議じゃないですから。

せっかくのジャイプル初日にいやな思い出となりましたが、これを反省して以後気をつけます。
おばあちゃん、ごめんなさい。そしてありがとうございました。
■寝坊
2008/02/21
アグラフォート駅を朝7時40分発の電車でジャイプルへ行くつもりで、チケットを買っていました。
朝早いので、昨日の夜、しっかり目覚ましをかけてから寝ました。

ところが。

寝袋が意外と暑く、自然と目が覚めた時。ふと気になって時計をみると7時10分!
あわててmatuを起こし、どたばたと準備開始。
チェックアウトを終えて、オートリキシャに乗り込んで駅へ。8時頃駅につきました。

列車案内掲示板を見ると、私たちの乗る予定の電車が2時間遅れ、とのこと。
乗り遅れずにすみました。ラッキー。

インドでは本当によく電車が遅れます。始発ではなく途中で乗る場合、2、3時間待たされるのはよくあること。
いつもならイライラする待ち時間ですが、今日はおかげで間に合った、というわけです。

ジャイプルへの到着は3時間半遅れ。昼過ぎにつくはずが、夕方になりました。
ジャイプルは別名ピンクシティ、とも呼ばれる町です。旧市街の建物が、全てピンク色らしい。
どぎつい色ではなくて、土気色、みたいなピンク。明日はその旧市街を観光予定です。楽しみ。

私がインドで楽しみにしている観光地は、タージマハルとここジャイプル、そしてインドを去ることになる地、トリヴァンドラム周辺です。
なかでもジャイプルは一番楽しみにしていた場所なので、しっかり見てこようと思います。
■ファテーブルシークリー
2008/02/20
アグラにあるもうひとつの世界遺産、ファテーブルシークリーに行ってきました。
アグラのイードガーバスステーションから市バスで1時間30分くらい。
ファテーブルシークリーは、アクバル帝が首都として築き上げたお城です。
水不足で14年間しか使用されていないため、とても綺麗な状態で残っています。

大きく、モスク地区と宮廷地区の二つにわかれていて、モスク地区は無料で入場できます。
そのモスク地区を歩いていたときのこと。

「私、ボランティア、学生してます」と、若いインド人男子が話しかけてきました。
「この紐結ぶと願い事かなうよ」「無料、無料、心配ないね」

そこから勝手についてきてはガイドをはじめ、matuのカメラを使って我々の写真をとってくれたりしていました。
まぁ、写真も撮ってくれるし、英語もわかりやすいし、役に立ってるからいいかぁ。なんて。

ところが、最後にモスク地区の外側を案内されたとき、様子が一変します。

「私のお兄さん、ここでお土産売ってるよ」「学生のハンドメイドね、だから安いよ」
「これ、10だよ、10、安いね、10ドル」「じゃあいくらならこれ買う!」「いくら!」

全く買うつもりのない私はいらないを繰り返し、ちょっと買う気をみせちゃったmatuは執拗に「買え」と攻撃されてました。
matuいわく、ガイド料込みで1個買ってもいいかなぁと思ったんだよね。だって。

結局断りながら歩き続けたらついてこなくなって、ガイド料も払わずに終わっちゃいました。
色々やってくれてたから、こんなことさえなければいくらか払おうと思ってたのに。

宮廷地区は入場料がかかるだけあって、とても静か。落ち着いてのんびり見学できました。
■タージマハル
2008/02/19
2時間20分遅れで電車がアグラフォート駅に到着。
インドの電車は遅れることが珍しくありません。
乗り継ぎはしっかり時間に余裕を持たないと難しいです。

早速タージマハルへ。
財力と権力、両方を手にしたとしても、あれだけのお墓を奥様のためだけに作らせるというのは、すごい。
matuに、「僕だってタージマハルくらい作るよ。」とか言ったらどう?って言ってみたら、「ミニチュアならね。」だって。ひどーい。

シャージャハーンが、本当に対岸に黒のタージマハルを作るつもりだったのか今となってはわからないけど、見てみたかったな。
だけど、黒のタージマハルはシャージャハーン、本人のお墓のつもりだとすれば、やっぱり今のほうがいいのかな。
タージマハルには、奥様だけではなくシャージャハーンも一緒に眠っています。
それだけ愛する奥様とは、川を挟むより、隣で眠ったほうがいいもんね。

インドを代表するタージマハルだけあって、海外の観光客よりインド国内の観光客が圧倒的に多いです。
真っ白のタージマハルに、色とりどりのサリがとても印象的。
だけどカーストの高い女性たちは、もうサリを着ていません。ジーンズをはいて颯爽と歩いています。
カーストがなくならない限り、サリがなくなることはないと思うけど、やっぱりどこの国でも民族衣装は消えていくみたいです。
今のところはサリを着てる人が圧倒的に多いんだけど。
■人見知り
2008/02/18
今日は移動日。17時20分発の電車でアグラへ。昼過ぎにはもう駅に向かい、先々の切符を手配することにしました。
ジャイプルまでのチケットはもう手配済みなので、その先です。
ジャイプルからアーマダバード、そしてジャルガオンへ。
直通がないので、アーマダバードは経由地です。
ジャルガオンは、有名なアジャンタ遺跡への入り口。また、周辺にはエローラ遺跡もあるので、そちらも観光します。

インターネットや、先日購入した時刻表を見ながら、下調べはしています。
空席情報も、金額も、インターネットで出ているし、そこから予約もできます。
インドの電車は便利ですね。

希望の電車はとれたものの、希望のクラスにはなりませんでした。アーマダバードまでは初の3Aです。
今までは2A。2Aは、上下2段の寝台で、3Aは、上中下3段の寝台です。
2段でもちょっと苦しいのに、3段になったらどうなることやら。

その後、ジャルガオンではなく、エローラに近いアウランガーバード駅から南へ行く予定ですが、この先のチケットはまた今度。

今日乗る電車はヴァラナシ始発。周りの席はあいているのに、私たちのところだけ満席。外国人用の席なのかもしれません。
ドイツ人の女性二人としばらくお話。私は英語があまりできないので、聞いているだけ。
全部が理解できるわけでもなく、話の半分くらいしかわからず、参加できません。

よく、「英語なんかわからなくったって、とにかく飛び出そうぜ!」みたいな本がでていたりします。
だけど、やっぱり英語はわかったほうがいい。わかったほうが断然旅は楽しいです。
私を含め、あまり英語ができもしないのに、旅に飛び出しているのは日本人くらいのものです。

でも、話の内容とか、英語とか、そういう問題ではなく、自分の性格の問題なのかな、とも思います。
日本人と会話していたって、自分から積極的に話すタイプではないですから。

そのかわり、matuが色々お話をしていました。matuはあまり人見知りはしないようです。積極的、とまでは言えないですが。
■おにごっこ
2008/02/17
「ハロゥ、ミスター、ハロゥ!」
ガンガー沿いのガートにある階段をのぼっていた私たちに声がかかる。
振り向くと、そこには。。。
ミスターラジ!まずい、逃げろっ。

昨日の夕方、ボートに乗りました。ガンガーを渡って対岸に行き、その後ダシャーシュワメートガートのプージャをボートの上から、というコース。
所要時間は2時間で、1人100ルピー。まぁ悪くはないかなと思いました。ボートは小さい木製です。
ボートのこぎ手はミスターラジ。大学生だそうで、早朝と夕方のみおじいちゃんのお手伝いをしている、とのこと。
おじいちゃんがボートの仕事をしているけど、もう年だから、って。

最初は、他愛のない世間話からスタート。兄弟は?とか、仕事何してるの?とか。
ところが途中から会話の雲行きがあやしくなります。

「僕は日本にお友達いっぱいいるよ。ムロイシゲルを知ってるかい?彼女は僕の親友なんだよ。」
「ヴァラナシはシルクが有名だけどもう見た?」
「おじいちゃんはボートの仕事、お父さんはシルクのお店をやっている。」
「10分でいいからこのあと一緒にお店に行こう。」
「家族や友達にいいお土産になるから。ムロイシゲルも来たんだよ。」

ボートというだけでなんとなくやな予感がしてたんだけど、見事的中。。。
こちらも嘘を並べて、応戦。

「友達とディナーの約束があって今日は無理。」
 (ディナーを一緒するような友達はいないけど。)
「明日は夕方の電車でヴァラナシを出るから色々忙しいんだ。」
 (本当は明後日の夕方だけど。。。)

ミスターラジは、それで一旦ひくものの、記憶喪失のごとく2、3分黙ったあと、また同じ問答を繰り返します。
「いらない、行かない」と言うと、必ず次には「ホワーィ?」。
「たったの10分でいいんだ、どうして来てくれないの?」
「明日はなんとかなるんだろう?何時頃来れる?」「ムロイシゲルはたくさん買ったよ。」

2時間がたち、ボートを降りて支払いをすると、ミスターラジはチップを要求してきます。
なぬ?あれだけ自分のお店の宣伝ばかりで、断っても断ってもしつこくって、不愉快な思いをしたのに、チップだと?
チップというのは、いいサービスを受けたときに払うものであるわけで。

もちろんチップも払わず、目もくれず、立ち去りました。

そんなミスターラジとは、あるガートで知り合いました。そこにボートがとめてあったので、いつもその辺で客引きをしているのでしょう。
今日がヴァラナシ実質上最後となる私たち。ガンガーも見納め、ということで川沿いにガートからガートへ歩くことに決めました。
時はちょうど夕暮れ。昨日ミスターラジと出会った時間です。

「あのガートまで行かなければ大丈夫だよ、一つ手前のガートから車道に抜けよう」
matuが提案します。まぁ、それもそうかな、と思い、のんびりお散歩。

でも現実は、そう甘くない。matuはなんとなく、目立つのだ。
例のガートの一つ手前、さぁ車道に出よう、と階段をのぼり始めたとき。

「ハロゥ、ミスター、ハロゥ!」

振り向く私たち。そこには!ミスターラジっ!

「!!!」

色々と嘘をついてたこともあって、バツが悪いのと、ついてくるミスターラジが、
「お店を見に来たんだろう、ねぇ、ねぇ。」
と声をかけながらよってくるのが恐ろしくって、パニック状態で半ば逃げるように車道へ。

ガートから車道までの道は、とても細い入り組んだ路地になっていて、なんとかミスターラジを撒くことに成功。
よく考えたら、そんなにまでして逃げる理由は何もなかったんだけど、あの瞬間はとにかく「逃げなくちゃっ!」という思いにかられて。
その後しばらくどの道を歩いてても、また、「ハロゥ。」とミスターラジが現れるのではないかと、冷や冷やでした。
あー、びっくりした。

ちなみに、インドにラジという名前の男子はたーくさんいます。とてもポピュラーな名前のようです。
■ドラクエ
2008/02/16
昼夜の寒暖の差か、客引きにぐったりしているのか、道を歩くのに足元に気を使っているからか、インドはものすごく疲れます。
一日が終わると、ばったり眠れます。なのに疲れは全くとれていない気がしています。

インドの町を歩いていると、ドラクエを思い出します。
道の落し物をよけては、「注意力が1あがった」、客引きをあしらっては、「戦闘力が1あがった」とか。
もちろんいろんなものにやられて下がることもあるんだけど、あがるほうが多いかな。

客引きと戦う元気がある日もあれば、無視せずにはやってられない日もあります。
matuは今日、とてもお疲れの様子。お昼寝しています。
ホイミみたいな呪文があればいいのにね。

今日のヴァラナシは快晴。日向は日差しが強くて暑いのに、日陰は冷たい風が吹いて寒いくらい。
空気はとても乾燥しています。砂埃もすごいので、鼻や口だけじゃなく、顔そのものもざらついています。

明日はオートリキシャーのおじさんと約束しちゃったので、サールナートへ日帰りで行ってきます。
こないだ乗ったリキシャーのおじさんに昨日ばったり会っちゃって。まぁいい人そうだったからいいかなぁと。

インドを出るまでに、どれだけレベルがあがるかな。
matuいわく、東南アジア、インド、アフリカ、という旅の順番は、アフリカへ向けた準備期間だそうで。
アフリカに向けて、どんどんレベルをあげておかないと。
■食べ歩き
2008/02/15
昨晩は、やはり寝袋デビュー。寝袋って意外に快適。とても暖かい。
コルカタもそうでしたが、ヴァラナシも夜はとても寒いのです。
寝袋は顔の部分をきゅっと締めると、キューピーたらこ、そのもの。

朝ごはんを食べに外へ。
普段朝ごはんは、前日にパンを買ってお部屋で食べることが多いです。
今日は、どうしてもお部屋で食べたくなかったので。

ガイドブックにのっていないレストランに入るときには、外国人がいるかどうか、を目安にしています。
今日のお店もそれを重視して決定。ベジタリアンレストラン。

メニューがなくて、何を注文していいかわからずにいると、向こうが何やら地元の言葉で行ってきました。
よくわからないのにmatuがうなずきます。

でてきたのは、とっても辛いベジタブルカレーと中が空洞になってふくれたロティのようなパンが4つ。
結構おなかいっぱいになって、10ルピー。30円です。

そのパンの隣に、とてもつやつやした揚げ物が。これは何?とたずねると、「スイーツ」とのこと。
買ってみようか相談してたら、おじさんが1個ずつ味見にプレゼントしてくれました。
はちみつでもかかっているのか、とっても甘い。さくっとしてるかと思ったら中はふわり。

次のお店はラッシーのみを扱う露店。焼物の器を見かけたので、チャイのお店かな、とのぞいてみると、円形のなべのような入れ物にラッシーがたっぷり。
おじさんが一生懸命かき混ぜていました。ラッシーってかき混ぜて作るのかな?
2つ注文すると、隣にあった冷蔵庫から焼物の器にはいったラッシーをとりだしました。
どうやらかき混ぜてるのはまだ作りかけのようです。

ものすごく冷えてるし、口当たりがなめらか。ヨーグルトのような食感で、味はラッシー。今までのラッシーの中では絶対一番です。
ヴァラナシに行くときは、ゴウドウリヤーから徒歩5分の看板もないラッシー屋さんを是非探してください。オススメです。
■寝袋デビュー
2008/02/14
さて、今日はバレンタインデー。でもそんなの関係ねぇ、です。(もう古いのかな?)

コルカタと違って、ヴァラナシ駅のチケットセンターは狭いです。発券できるPCも1台しかありません。
部屋にそって置かれているソファーに順番にくるっと待っている人が座っています。

それに加えて、一人一人に時間がかかるため、進むのが遅い。ほんの10組しかいなくても、1時間はかかります。
ヴァラナシについてすぐ、あと1時間というときに行って、明日こい、と追い返されたのがよくわかりました。

1時間半待って、やっと我々の番に。次の移動地はアグラ。
ぎりぎりになってチケットを取ろうとしたから、やはり希望日はなく、少し先になってしまいました。
せっかく長い時間並んだので、さらにその先のチケットも購入。
アグラの次はジャイプルへ行ってきます。ジャイプルは見所たくさん。とても楽しみです。

インドの滞在は1ヶ月を目安にしています。行きたいところ全部をまわると、とても足りません。
そういうわけで、大都市は今回はずすことにしました。デリーにもムンバイにも行きません。
ムンバイは、宿の価格相場が高いみたいで。

宿、といえば。今日の宿はとても不安です。古いし、綺麗じゃない。ある程度の安宿はがんばれるけど、今日は不安。
満室だと断られ続けて、やっと空いてたところで、スタッフの感じがいいから決めてしまったけど、落ち着いて考えたら不安になってきました。
2泊するって言っちゃったし、どうにかがんばります。
寝袋デビューとなりそうです。。。
■どこでもトイレ
2008/02/13
(お食事中の人は読まずに飛ばしてくださいね。)

コルカタでびっくりしたことがいくつかあります。その中で一番びっくりしたのが、男子達。
道端でおもむろに用を足しはじめます。。。
ものすごく細い路地であっても、真昼間であっても、誰が見ていても、まったくお構いなし。
これはまさに、「どこでもトイレ」状態。
道理で道を歩くと匂いがするはずだ。と、ちょっと納得したりして。

そんな「どこでもトイレ」な状況で、そのまさに同じ道端にチャイ屋さんや食堂があります。
私にはちょっとしたためらいが感じられるのですが、インド人はお構いなし。平気で飲食。

こんな状態はコルカタだけだ、と何故か勝手に思っていたのですが、ヴァラナシにきて、早速打ち砕かれる出来事がありました。
コルカタはなんだかんだ言っても、小、だけだったんです。
でも、ここヴァラナシは。。。

聖なるガンガーを眺めながら、階段の一番上で、というのは、開放感はあるかもしれませんね。
私が目撃しちゃったのは子供だったので、きっと子供だけなんだろうな、とは思うのだけど。
こんな状態だから、ガートからガートへ川沿いを歩くときにはとても気を使います。

大きな道路だろうと、路地だろうと、牛やヤギ、羊がいて、彼らの落し物ももちろんいっぱいです。
だから、人間だけではないんだけどね。それだから、やっぱり余計に気を使うんだよね。
■ヴァラナシ
2008/02/13
朝8時台出発の電車でヴァラナシへ。ベトナムやタイと違って、インドの電車はセカンドクラスの寝台はコンパートメントになっていません。
上下2段が向かい合って4つのベッドがカーテンで廊下と仕切れるだけ。人が通る気配も物音も全部伝わってきます。
外国人用の席なのか、私たちの向かいのお客さんがおらず、カーテンで仕切ってしまえば私たちだけ。
チャイやコーヒー、サモサなど飲食物を売りにくる人もいます。お昼時にはお弁当の注文をとりにもきました。
お弁当、といっても、やっぱりインド。ベジかノンベジかを選ぶだけで、結局両方カレーです。

ヴァラナシには日が暮れて19時頃到着。途中遅れ気味だった電車もここへきて速度をあげたのか、さほど遅れもせず。
駅にいることだしせっかくだから次の都市までのチケットをとろう、と思いチケットセンターへ。
すると、あと1時間で閉めるのにこんなに並んでいるんだから明日にしてくれ、と。
6組くらいしかいないのに!その様子を見て、並んでいた西洋系のおじさんが私たちに一言。「インディア」だって。
■写真
2008/02/12
私たちの泊まっている宿は、同じ敷地内に民家があり、そこの子供たちがよく遊んでいます。
昨日、夕飯後部屋に帰ろうとそこを通ると、大音量の音楽の中に神様(ヴィシュヌ神だと思われる)が祭ってあり、大人を含め数人が集まっていました。
私たちは予想どおりお呼ばれし、神様にご挨拶して、ヨーグルトときゅうりをいただきました。
ヨーグルトもきゅうりも右手の手のひらにのせてもらって、手で食べます。
きゅうりはともかく、ヨーグルトは食べた後もべたつくなーと思っていると、「インド人のみんなが髪の毛につけろ」、と言い始めました。
郷に入っては郷に従え。もちろん言うとおりに髪の毛に。

お礼に、ありきたりだけど和紙の折り紙を持ってきたので、二人で1羽ずつ、鶴を折ってもっていくと、不信そうでしたが受け取ってくれました。
その後、matuが写真を撮り始めます。すると、みんなが寄ってきて、「私も撮って」と積極的によってきました。
その中に、中学生くらいの女の子がいて、「その写真がほしいのです」と懇願。
日本に帰ったら送るよ、なんて言ったものの、日本に帰るのは12月。ちょっと心が痛んでいました。

お昼を食べるレストランを探しながら歩いていると、「DPE」発見。デジタルプリントOK。早速プリントしてもらうことができました。
1枚20ルピー。日本円で約60円。安くはないけど、早く渡してあげたかったから。

宿の前には彼女がいて、今度はフルーツを手のひらにのせてくれました。
写真を見せると大喜び。食い入るように写真に見入っていました。
プリントしてきて、本当に良かった〜。
■鉄道
2008/02/11
コルカタを3日くらいであとにして、次の目的地はヴァラナシ。ベナレスとも言うそうです。
今日は朝早起きして、チケットを買いに行ってきました。
営業開始少し前について、同様の目的で来た人たちと一緒に入り口前で待っていました。
扉が開くと、まずブッキングシートが配られます。それに購入希望のチケットの詳細を記入します。
そのシートの右上に番号が書いてあって、それがウェイティングナンバー。順番に呼んでくれます。
私たちは7番。20分くらい待ったでしょうか。

早起きの甲斐あって、希望していた日のいい時間に出る電車のチケットが買えました。
インドの鉄道は初なので(matuは2度目)まずは日中の電車からにして様子を見ようと。
ヴァラナシにつくのが日が暮れてからになるので、それは心配なんだけどね。

チケットセンターで日本人の女の子に会いました。一人旅で、今はマザーハウスのお手伝いをしているとのこと。
死を待つ人の家で2、3日のお手伝いらしいけど、とても充実していると言っていました。
私たちには、いや少なくとも私にはできそうもないので、尊敬してしまいました。
■人間不信
2008/02/10
ガイドブックを読んで、とても不安でいっぱいだったコルカタへついてしまいました。
空港を出ないうちからびくびくして、見る人見る人、みんな詐欺師としか思えない状態。
プリペイドタクシーでサダルストリートまで。運転手さんはやっぱり安い宿を勧めてきたけどそこは否定。
ちゃんと目的の場所まで運んでくれました。

その後、宿へ。1軒目で決めてしまったのがまずかったけど、設備の割りに高い感じ。
明日からは値段相応のところへ移ることにしました。

サダルストリートには、日本語を話すインド人が結構います。片言の人もいれば、ペラペラの人も。
あと、怖いのは、日本語を聞けば意味がわかるけれど、話すことはできない人。
日本語で何か相談していると、全部筒抜けです。

お昼を食べようと外に出て、日本語ペラペラのインド人に出会いました。
世間話から始まって、カレー屋さんで別れて、そして、食べ終わった頃。
彼が私たちの席にやってきました。要は、ガイドするけど、どう?と。
しつこい感じではなく、やんわりお断りしたらわかってくれたけど、なんか後味が良くない。
だまそうとしてるのか、だまされる我々を守ろうとしているのかわからない。

二人だけでチョウロンギー通りを歩いていると、今度は英語を流暢に話すアッサム人男子が。
「バレンタインの買い物のために昨日コルカタに来た」とのこと。
スーパーマーケットに行きたいという私たちに「道を教えてあげる」と言って歩いていったところが、サリー屋さん。
インドの民族衣装ですね。「彼女にプレゼントするためにオーダーしてるんだ、見る?」とか言ってお店にひきずりこもうとします。
さすがにあからさまだし、これはない、ということで、「いや、見ない」と退散。

インドでは英語ができないふりをするのと、とにかくNOと言うに限る、と学んだ初日でした。