続いて午後の部。
月影 ほーき よっしーさん(五十音順)と合流すべく再び京都駅に。そこからクルマで数分、泉涌寺へ。
■三尊仏(鎌倉時代)+仏殿(江戸時代
重文)
徒歩で行くと、ここに入っていいのかな?と思うようなたいそうな道を通って、自然と仏殿の横にでるが、クルマで行くと駐車場から「大門」に着く。ここから仏殿を坂の下に見下ろす構図がなんとも面
白い。いや、むしろ不思議な空間の感覚を味わえるので泉涌寺は大門から入ったほうがよい。
禅宗っぽい建築の仏殿は塗り壁を使わない唐様式の建築で、床が無くオール土間で、巨大な涅槃図が吊るせるように中央が開けてある。その空間を隔ててわりと高い位
置に空のような絵を背景に伝・運慶作 釈迦、阿弥陀、弥勒三尊坐像という興味深い組み合わせの三体が並ぶ。(よく考えるとすごく変わってる)立派な肘掛けの付いたイスみたいな変った光背だ。
建物内部の天井部分はずーっと上まで垂木が組まれているのが望め、最上部に狩野探幽の龍図が飾られている。
建築として面白く、仏像と空間のバランスが興味深いので建物に興味の無い人でも一見の価値はある。
■楊貴妃観音 (宋時代)
宋より伝わった観音像、昔は秘仏であったという。
香木に彫られた観音坐像は、世界三大美女の楊貴妃をモチーフとする、よく考えたら不思議な仏像だ。一番に顔に目が行く。大きな宝冠は珊瑚などを用いたもので、手に持った茎が長くカーブを描く花との連続感も美しく、仕上りの奇麗な像という点ではなかなかのものだろう。
楊貴妃の最後のイメージからか目のあたりに哀愁が漂うが、口のまわりのヒゲのように見える例の表現は、やはり顔にヒゲという感じで、蛇足…という気持ちも昔からあったが、ウズマキ感がネパールなどの建物に描いてある顔の口の部分と似ているから、これは「佛アイテム」だ。美女像じゃなくって観音像、しかも中国様式なのだからヒゲは受け入れよう。
中国には魚籃観音(ぎょらん〜魚籠とも記す、魚を入れた籠を持った観音像=明らかに女性)という中国逸話に基づいた、インド発祥ではない佛があるから楊貴妃だって観音になったっていいじゃないか。
胴体はかなりあっさりしている。岩座に座っているようでいて、よく見るとクッションみたいな敷物があってかわいい。お尻痛いもんね。
◆阿弥陀如来&二十五菩薩坐像
(平安時代後期 重文)
即成院は立て札に源平合戦「那須与一墓」とあるのでヒット系の御利益があるので有名だ。
一般観光客が境内に入っても、まさか二十五菩薩像がるとはあまり気がつかないと思う。しかし、仏像の本には掲載されているのでお目当ての人も多いと思うが、表向き「重文坐像」とも、「拝観料〜」何も書いていないので、いきなり行っても拝観できないようなので要注意だ。
中央の阿弥陀如来坐像は本体2m少し、二十五菩薩像はパンフに150cmとありますが、像本体は1mくらいの高さと思われる。後で行く三千院と同じ「倭坐り」(NHKの国宝への招待「三千院」で「倭座りは他に殆ど例が無い」と言ったが・・)の観音&勢至菩薩が阿弥陀如来の脇に、そして左右に三列×四段の棚に菩薩たちがあまり間隔を置かず並んでいらっしゃる。観音&勢至も含め皆さんリング型光背を持つ。
が、ただ一体、光背が無い如意輪観音が下段左隅にいらっしゃって「ちょっと私だけ違うみたいなのよね・・・」と例のポーズで妙にかわいい。
大勢が楽器を持って、口を開けて歯並びくっきりの方もいらして本当に音楽、歌声が聞こえそうな雰囲気だ。
じつは、ここの菩薩さんたち、各地の博物館に貸し出されることがあるそうですが、幸いこの日は全菩薩像が集合しているという最高の状態でお逢いできました。
江戸時代の補作というが、まったく馴染んでいて違和感はない。大きなパネルに「〜菩薩=重文・持ち物○○」というように説明が詳しく手書きされている。
志納制で、金額的には一人あたり二十五菩薩大判写真セット(¥1,000)を購入したらいいのではないでしょうか。帰りに目に入ったのだがパネルに1,000円と書いてあるのは、そーゆう意味かな?違う?
次は隣の戒光寺に。両寺院は外に出なくても内部でつながっています。
◆釈迦如来立像(鎌倉時代
重文)
こちらの釈迦如来は像高さ約5.5m台座の高さ約1m、光背の先端まで10m近くある大きな仏像である。とても寺の雰囲気から、そんな大仏があるとは思えないのが意外なところ。内陣の結界ぎりぎりまで近づいても光背の上は梁の影になって完全には見えない。その光背がまた凝ったデザインである。
この戒光寺の「丈六さん」は首から上の病気などに御利益があるので京都では有名で、私も知り合い二人のことを拝んだが「完治率100%」だ。
だから昔はてっきり、薬師如来かと思ってたよ!それにあんまり真言宗寺院に釈迦如来が無いもんだから。個人的にも釈迦如来は京都では清涼寺の例の左右対称ドレープ感の釈迦如来や、奈良の古いスタイルもイメージが強いこともあり、この彩
色のはっきりした像を釈迦如来と認識していなかったようだ。(そのくせ御利益を望むのだからあつかましい・・・)
印象は先ず、当然大きい!から始まるが・・・よく見ると、衣の彩色がかなりハッキリしている→光背がすごい→すべてにバランスがいい→トータルきれいだ!と先ず感動してから、「ちょっと良すぎない?」と思いつつ、もう2ラウンドくらい見て完全にひれ伏してしまう。
数年前から「運慶・湛慶父子の合作・重文 釈迦如来 高さ10メートル」の看板が立ち、今はその看板が少し大きくなってる。(「運慶・湛慶「天気予報!」とつい口ずさみそうになる)
再び、仏像に手を合わそう。
「幸せになりますように」といった願かけでもいいから仏像には手をあわせたいものである。
この仏像の頭の付近に銀色の防火シートが畳んで収納されているのが見えるけど、防火システムを取り付けたり文化財の保護にはけっこう金がかかるものだ。火災で文化財が焼けるニュースほど痛ましいものもない。とくにここは拝観料をとってないから一円でもいいからお賽銭をあげておきたい。
先ほども述べたが、仏像だって激動の歴史を乗り越えて、今、ここでこうしてお逢いできるのだから「やっと会えたね」(苦笑なフレーズですが)という、その「縁」に感謝をこめて、一つ手を合わそう。
いや、じつは仏のほうも私たちに「やっと会えたね」と思ってくれてるハズだ。もし、そうだとしたらウレシイじゃないか!
私は博物館でも合掌している。わざわざ寺から出てきてもらっているのだから。
こんな話し、宗教じみてイヤ?じゃあ、インド雑貨とか好きだろう、先方はインドのヒトだ、合掌してインドの挨拶だと思えばいいことで「お釈迦さんナマステ」でもでいいじゃないか。
昨年秋に秘仏が初めて御開帳されたという三千院、普段も休日にごった返している様子が「各地の行楽地はにぎわいました」と放映される場面
を見て、どうも京都に住んでいるとなかなか行く気が起きないところだ。
年末、福井や滋賀北部に帰省する人たちのルートにあたるだけに混雑しないか心配だったが道はガラガラ。道路に雪もなく順調に到着した。
昔行ったときは寂光院から歩いていったので、直接クルマで三千院に来たことがない。あたりは茅葺き民家も多い地帯、とりあえず手近な私設駐車場(500円)に駐車したら多少歩くことになった。当然、もっと近い距離に駐車場がたくさんあったのでした・・・。しかし、クルマで行くとバスから参道というルートと違うので、女性の好きそうなお菓子や土産の屋台を見るという楽しみが無くなるようですが。(年末は閉まってるか・・)
◆往生極楽院 ・阿弥陀三尊像(国宝)
ここの阿弥陀三尊像はメインの阿弥陀如来より脇侍の二尊が目をひきます。内陣に近づくと、距離も近く仏様の設置場所が床からそう高くないため、こっちが立っているとどうも二尊を見下ろす関係になってしまい、平然とつっ立ってはいられません。
勢至菩薩は頭の上のものはなんですか?と、いつえさんが質問、今まで知らなかったが宝瓶というか、ボトル状のものが乗ってたんですね。
私って、けっこう勘違いしてたのか、二尊の腰が浮いたスタイルだと思ってましたけど完全に正座なんです。やや、足が広がってますが。
観音、勢至菩薩は脇侍だけあって、仕事が多いものです。例えば、当麻寺の二十五菩薩練り供養で結構派手にアクションしてるんですよ、だから中腰のようなスタイルがどのようにでも動けるので彼らには、そのポーズがピッタリかなという先入観か、立っていくように「見えた」のかもしれない。
それと一般に「ハーレム状態」のような絵図では、一人は膝まづいた女性が混じっているから、それと混同しているフシもあるな・・・奉仕の姿勢というか。
お堂は前面の扉だけ全開にされてますが、けっこう暗いんです。おまけに曇り空だったのですが、なんと!庭に積もった雪のレフ効果
で、なんともいえない微妙な明るさを与えて頂いたのが小さな幸福でした。こればかりは「日頃の行いが良い」からかな?!
いつえさんは名古屋へ帰らなくてはなので夕食は早めにしましょう。例によってJR京都駅に帰りやすい地下鉄付近の京風創作料理「ほっとけ屋」で宴会、掘りごたつ席であっという間に入店から4時間!が経過?!早いなぁ〜・・
半日で希望寺院を確実にカヴァーしただけですが、観光バスもびっくりの結構濃い内容と喜んでいただいて嬉しいです。
ま、またの機会に第五希望以下行きましょうね。それから暖かくなったら是非「太陽の塔」拝みに行きましょう!私たちの聖地へ。
午後の部おわり
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