◆広島県尾道市 大本山 浄土寺◆
中国観音霊場第九番札所 真言宗泉涌寺派 (尾道市東久保町20-28)
616年、聖徳太子開基と伝えられ、鎌倉時代末期に再興 今日に至るという瀬戸内海に面
する尾道市の寺院。
商店街から東へ歩いていくと「→浄土寺」の看板が見える頃には周囲の陸地がかなり狭くなっていて、すぐ向こうの空を
「しまなみ街道 本四連絡橋」が横切っている。後は海、前は国道を挟んで、ちょっと急な石段の上に山門が見えた。
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山門から外を望む |
石段の途中をJR山陽本線の大きな高架が横切る構造はなんとも珍しいので妙に興奮!トンネルを抜けるとまた急な石段が・・高架になる前は踏み切りだったんだろうか??
山門が小さいし、地形的にも奥行きの無い寺域を想像したが、なんのなんの、朱色の多宝塔(国宝)や同じく朱色の鎌倉時代の本堂(国宝)、阿弥陀堂(重文) や重厚な庫裏が並び伽藍を形成しているのです。
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本四架橋も見える境内 |
また、尾道といえば大林監督の映画で「ロープウェイの通る岩山」のイメージがありますが、あの山とは違う別
の岩山がすぐ背後にそびえ、「奥の院」らしき建物や修行に使うのかハシゴのようなものが岩肌に見えて、この寺院をよりいっそう広大、荘厳な雰囲気にしておりました。
「仏像巡礼辞典(第1版1986年)」には後述の文殊菩薩騎獅像が掲載されており、解説には「中国地方屈指の名刹」とある。えらいところへ来てしまったものだと改めて思った。
「ハトのエサ」だけが置いてある小さなブースまで立派な木造亙葺きになってたもんなぁ〜、いや〜名刹はやはり違う!!
拝観のしおりを見て驚くのが、国宝の堂塔以外にも庫裏、客殿、方丈、茶室、山門から裏門、石塔にいたるまで諸堂・施設のことごとく重文、貴重な仏画や図像、仏具、書も多くトータルな「寺好き」にはたまらない! さ、仏像、仏像!
※とくに時代を記述していない仏像はすべて鎌倉時代の作です。
この寺院は海のすぐ近くなので潮風で表面が傷みやすいんじゃないか?とか邪推していたが、どの仏像も美しかった。瀬戸内式気候は湿り気が少なく温度が安定しているからでしょうかね?(憶測)
県重要文化財の金剛界大日如来を本尊に釈迦如来、薬師如来の坐像が安置されていますが、通
常は非公開のようです。このような三尊の形式は本当に珍しいのでとても気になるところ。
では、宝物館から
二階からの吹き抜けに吊られた巨大な涅槃図(江戸時代)が。カワセミ等、種類の区別
がハッキリわかる鳥たちや猫まで描かれ、涅槃図ではあるが「図鑑」的要素が強い作品で、なかなか味のあるものです。
鍛えてます、目測
「何メートル離れたところに高さ何センチのものがある」という目測の技術は仏像を拝む際に結構役立つ。普段から鍛えておこう。
(以下は目測なので数センチの誤差はあることを御了承ください。)
太子像を見ると邪念が・・?
聖徳太子展でお目にかかった聖徳太子立像、出来がよくて印象に残った像はここの所蔵だったのか〜と驚く。
年齢の違いによって70cm 1m、1.3mくらい(目測)の太子像が拝見できます。
あの展覧会では、お馴染みの昔の一万円札の肖像とか出てなかったねぇ、一万円札の原版とか。パロディ広告で、よく「儲かりまっせ!」みたいなイラストに化けてるから、「ヒゲの太子」は景気が良くて好きなんだけど。
そんなことや、太子像がじつは「からくり人形」で、すーっと前に来たら恐いよなぁ〜とか、こんなことばかり考えていたオレなのさ、という当時の記憶も蘇る。きっと仏像ほど気合を入れて観てなかったからだろう。
そこで太子像はデティールを楽しんでみよう。
では小さい順に
小・南無仏太子像(合掌、上半身裸体で丸坊主子供の像)
下半身を包んでいる衣装は赤い袴。ヒダがシャープに入っていて上半身のまろやかさとバランスがいい。
中・孝養像(香炉を持った少年の像)
着衣は丸首の装束に袈裟を着用。袈裟の表面には切り金による文様がはっきり見ることができる。
袈裟と反対側の右肩に掛かる被皮(おおひ)を肩から外して、その端を左手で身体の正面
で持っている孝養像キメのスタイルだ。
大・摂政像(青年の像)
装束の表面の彩色がかなり残っており美しい。金泥も使った紺色牡丹唐花文様地に彩
色された袈裟には大きな輪宝と羯磨を厚みのある塗料で立体的に描きこんであったりとゴージャスだ。
金剛界&胎臓界大日如来
ともに平安後期の作で80cmくらい、両方とも蓮華座に乗るが、胎蔵界のみ蓮華唐草文様の船形光背が付属。
本体、光背も金箔、漆がごっそり剥げ落ちていて、まったくのムクの木造に見え、とくに金剛界のほうは顔の中心、鼻から同心円状に年輪が入った顔面
になっている。木目を観察していたら、臂釧もきれいに彫られていました。時代的に衣の彫りかたはソフトですね。
文殊菩薩
小ぶりの柴犬くらいありそうな獅子に乗っていらっしゃる。微笑んでいるかのようなお顔がかわいいが、それにくらべたら獅子は迫力があって、細部の表現も凝っている。
菩薩本体は小さくても玉眼が施してあり、左足を下ろしたシルエットもなかなか堂々としたもので、もう一度自分の片目を押さえて菩薩像から視点をズームアウトする、おお、カッコいいこと!
この写真は「仏像巡礼辞典」に載っているが、スケール感がわからなかった。「先入観・写
真で受けた印象より小さく感じる」という例か。
不動明王脇侍の童子
セイタカ童子とコンガラ童子、変換するのが面倒だ。
ふつうは不動明王に目が行くので、あんまり顔をしっかり見てもらえない童子だが、至近で拝見するとなかなかのものだ。
表情も豊かで、とくに衣の表現も美しく、写真で拝した不動明王像(後述・やや特異)と調和したカッコいいセットになっていることだろう。
(護摩堂・不動明王脇侍だが、この二体は宝物館にある。)
持国天 広目天
四天王像は本堂と分けてニ体が宝物館にある。80cm級
火炎付き輪宝光背を持つ四天王、鎧に施された凝った彩色がけっこう残っており、その文様や互いに細部のデザインを少し異なった仕上げにしてあるので個性が際立つ。とくに、広目天の腹には赤い宝珠が彫られている。(他は獅噛)
四天王自体かなりアクション表現の効いたポーズだが、目を下にもっていくと、玉
眼入りの邪鬼がこれまた思いきり暴れている、この連続的なパワフルな表現、これで終わらず邪鬼の下にさらに磐座があるのでジオラマみたいだからか、単体としても、またグループとしても(ここでは二体ですが)像の躍動感をいっそう盛り上げている。
本尊の十一面観音立像は平安時代後期の作で国の重文。秘仏なので未公開だが、実物大の(170cm級)大きなカラー写
真があった。表面の金がよく残っており、蓮華の入った花瓶を持っていらっしゃる。
この観音像の写真で見る限り腕がわりと太くて、ずーと長ーいのが目立つ。お顔もわりとふっくらした感じ。全体にはぐっと締まった、均整のとれたスタイルの観音さまです。
愛染明王
本尊の脇侍が愛染明王と不動明王をフォワードに、その後に四天王の多聞天、増長天がバックスに配置されるというフォーメーションで容易に突破できるものではない強固な守りだ。
不動明王は青色で、まぁフツウ・・。(時代が新しいかも)
愛染明王も顔は地味だし、蓮のつぼみと五鈷杵以外の弓矢などの装備が全く無くなっているものの、一見そうは見えない存在感があるのは腕やボディの造形になかなかのボリューム感があるからでしょう。
また、愛染明王特有の台座=壺型に表現された青いリボンも綺麗な色が残ってました。
阿弥陀如来座像約90cm
寄せ木作り 平安時代末期作。 時代的に目は彫眼、白毫は水晶製の仏舎利内蔵式で印相は上品上生印。
表面は金泥塗りが全体に細かく均一に剥がれた感じ、ちょうどスプレーで剥がしたという感じか。仏像表面
の色合いは絹目のように細かくざらついてに見えます。
サイドから拝見すると上半身がわりと薄い感じであるが、それがまた全体にあっさりとした、きれいな阿弥陀さまです。
他にも護摩堂にも不動明王がおわすが、こちらは拝観できず写
真でガマン。(寸法不明)
表情ががシンメトリーに造られて両眼で睨みつけるタイプは迫力がある。しかも、左肩〜左胸あたりの袈裟の表現がすごいリアルでドギモを抜かれた。前述の童子も衣の表現は優れていたものね。
不思議なのは頭頂部の球形の髪?なのです、驚くべきことに蓮花座の上に宝珠が乗ってるんですって。これはぜひ実物を拝みたいものだ。不動の頭のてっぺんは蓮華になっていることが多いが、この写
真を見ると他のがモノ足りなく思えてくる・・・?!
いや、やりすぎ?だが、その頭に接するような火炎光背が隠し絵みたいにカルラ炎になっていることが宝珠を目立たせすぎないのが良いのだと思う。
浄土寺本堂、阿弥陀堂の拝観は受付に申告制。宝物館は常時拝観はできないようなので確認、問いあわせが必要でしょう。
煙突用の金属屋根をかぶった地蔵さん、頭にピッタリ、実用的だ。
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