先ず、どこを拝みに行きましょうか?・・お好み通
り何処でも参りますよ、てなわけで〜いつえさんのご希望を伺って、第一希望から四寺院くらいまわることにしました。
当初、始発に乗ってでも行きます!とお返事頂きましたが、朝は早いにこしたことないけど京都市内のオープン時刻は六波羅蜜寺の八時以外はだいたい九時。
コースは「初めての六波羅蜜寺」→「大好き三十三間堂」→昼食→他のメンバーと合流→第二希望・泉涌寺→第一希望・三千院→宴会という予定で行くことになりました。
前日は湖東方面が雪で京都行きに支障がないかと心配でしたが、東海道線で無事午前9時に京都駅八条口に到着。六波羅蜜寺へはクルマで十分ちょっと。駐車場(参拝者無料)は万寿寺通
りに二台分しかないけど、最近コインパーキングが近くにできました。
六波羅蜜寺は初めてとのこと、なんといってもあの「空也上人」に会えるというわけですよ。
先ず、入り口傍のスリランカから勧請した金ピカでシタール?のような楽器を持った弁財天に技芸上達を祈願、続いて本堂の柱の彩
色を見上げつつ、本尊十一面観音(御開帳まであと10年・・・余談だがこの前の御開帳のとき、顔に白い布がかかってました。内陣に上がって観音さんと糸で繋がった五鈷杵を持ってご祈祷(数十秒・志納金)してもらう位
置に行くとよく拝めますが、順番がつかえているので、すぐ移動せざるをえません。しかし、23日の勤労感謝の日に行ったら顔の白布が外されていたし、人も少なかったです)閉じた御厨子を拝んで重文いならぶ宝物館へ。いつえさん、よく拝まれますので対佛態度に感心。
■空也上人像(鎌倉時代 重文)
◆空也像に驚く
宝物館は引き戸を自分で開けて入るのだが、うっかり開けると空也上人像がいきなり目に飛び込んでくるので心して開けなければならない。
さぁ、初めてのご対面!堂内は受付の爺さん以外誰もいなくて静か・・・。
年に一回は拝んでるけど、私が入室してから出るまでずーっと空也前に置かれたノートに書き込んでいる若い女性が時々いる。床にしゃがんで記帳するローアングルから見るのもまた味があるものだ。
空也像を初めて拝んだいつえさんは大きな衝撃を受けていらした!
今まで写真で見た空也像は「枯れた味わい」が魅力なのだと思っていたけど、実物を見て、こんなに生き生きしたお方とは知らなかった!!という感想を頂きました。「やはり実物を見るまでわかりませんね〜
」とのこと。
◆参考のため空也&仏像のキャラクターを知ろう
空也上人は「南無阿弥陀仏で極楽往生」(←ラップ?)という宗教を広めたわけでは「ない」。そんなお題目で死んでからの極楽浄土を説く宗教家が現れるず〜と前から、往生よりも、今ここで人々をいかに救済するかをテーマに現場で活動した人だ。
そのせいか、この寺は昔から阿弥陀如来像はない。「現場で救済する地蔵菩薩」立像はすごく優しいし、坐像(運慶)はパワフルな味がある。
立像にはこんな伝説がある。〜母親の埋葬に困っていた娘のところに僧侶が現われて弔ってくれた。後日、地蔵尊を拝みに行ったら土で汚れていて遺髪を握っていたという。今も握られている髪の毛の由来だ。
上人は当時の人には劇的に効いたであろう「青竹で入れた梅昆布茶をふるまい、念仏を唱え歓喜踊躍(ゆやく)して疫病を退散させたという。」(「」内六波羅蜜寺パンフより引用)
本尊御開帳のときネット公開されたのは、観音像を車に乗せて街を曳いた故事〜外へ出して拝んでもらう〜に由来する。
◆踊る空也上人
さて、空也像は人物にリアリティがある一方、ホトケが口から並んで出ているという超現実的表現がすごい。慶派=写
実といわれるが、これは写実ではないし、このアタッチメントが空也像を絶対の存在にしている。
玉眼の工法が完成した時期の作であるから、この寺院にある他の人物像=運慶像は瞳がすごくハッキリしていて、目線が鋭い。一方、やや目の濁った感じのする平清盛像は目線が定まってないようだが、手紙のような紙を持って読んでいるから、ここに焦点があっていると解釈できる。
空也さんは人々のことを思い、一心に念仏を唱え歓喜踊躍しているから、いわば念仏ハイの表情。まっすぐな恍惚感の漂う目と私は見る。
そして、明らかに空也上人は踊っている。今にも槌で鐘を打ち、杖で地面
を突き、踵を次の瞬間踏み下ろすのか、それとも、今上げたのか、空也ステップが見えて来ないだろうか。
隣の地蔵菩薩を拝みながら時々、空也さんのほうをサッとふり返る!すると私の目が向いていないとき、彼は歓喜踊躍を続けていたのを中断してピタッとフリーズするのだが、私には残像が見える。再び別
の仏像を向く・・彼は踊りだす、そこをすかさず振り向く。彼は踊りを止める。と、いった「だるまさんが転んだ」(関西では「坊さんが屁をこいだ」)をする、というのが空也像における楽しい妄想だ。
だから、宝物館の扉を開けるまでは中で踊っているのだ。扉を開けた瞬間、空也は像になる。そして扉を閉めるとまた、空也は踊っているのだ。人々のために念仏を唱えながら。
■蓮華王院 三十三間堂 二十八部衆立像(国宝),
千手観音坐像(国宝), 千手観音立像(重文) |
クルマで数分、三十三間堂に到着。駐車場は東(山手)側が入り口で拝観者40分無料。
じつは私、ここは18年ぶりなのでワクワクする。
チケット売り場で子供が「なんの映画観るの〜?」と聞いている。ふふふ、お嬢ちゃん 最近の映画なんかよりずーっと面
白いヨ。
■二十八部衆立像(国宝)
◆28クラブ(部)メンバー(衆)
かつては二十八部衆がお堂の裏にあったのに、今は1001体千手観音の前に配置されているため、「観音ズ」を拝観する距離が遠ざかってしまっているのが惜しい。以前はすべてがもっと間近で拝めたものだ。
二十八部衆は堂の裏で台に乗っていて、左右からも近づけた。すごく見上げる位
置にあったのも懐かしいが、低い台で前身無理なく拝める今のスタイルもありがたいと思う。いや、今となっては「観音ズ」のフォワードを28部衆が勤めるこの構図はカッコいいと実感できるものがある。人間、過去にとらわれて変化を恐れていてはいけない。そのことを三十三間堂は教えてくれている。何時だって今がステキだよ。
28部衆は興福寺で有名な八部衆〜バラモン教に由来する神々は最初は仏敵、邪神だが仏教に帰依して守護者となったという設定〜にいろいろ加っている。
風神雷神は今、調べているのだが、このイメージは三十三間堂のこのモデルから確立したのではないだろうか?
日本も多神教的というか、アニミズムというか森羅万象に超越したものが存在する観念があるから、多いほうがありがたいということもあろう。
例えば悪鬼、鬼子母神から子供を守る天になった小さなシンバルを持つ神母天王像のお顔をよく見よう。眉間に少し力の入ったすごい美女!(人妻)・・・「誘拐・食人」「自分の子供がいない!」と、プロジェクトXみたいなイキサツがあったわけだよ。過去のあるキャラクターは魅力が深い。
慶派の仏像を見て、どこかに書いてあったのか「写実主義が云々・・・」とか言ってはいけない。これじゃ映画の話題で「ゴダール云々・・・」と言ってるのと同じで、スカしてるみたいで、ちぃ〜とも面
白くない。妄想でもいいから自分の意見を持たなきゃ。
その造型にかなりの妄想、思い入れが入っており、それを実体化する腕前が異常に高いのだ、と言いたい。仏は超現実的存在であるから、単に写
実で片付く問題ではない。
そうでなければここまで魅力的な異国の、しかも異形の神像は創造できないし、だいいち現代に「残らない」ではないだろうか?
今、仏像に出会えるということ
仏像は見て楽しむものではないからだ。
戦乱に恐怖し、食べ物も無く、親や子供の病気の原因もわからずバタバタ死んだ時代の人たちが必死で生き抜きながら救いを求めて何世代も拝み続けてきたものだ。消防も無い時代に火の手が迫っても必死で守られてきたから、今ここで出会えるのだという、その有り難さに感謝して一つ手を合わせてほしいものだ。
(説教じみてるので一旦、自分の世界に入ります、この話題は後半の戒光寺
釈迦如来で、いよいよ核心に!)
カルラだって攻撃態勢に入れば笛を吹くのをやめて、クチバシからキェーッ〜と超音波を発して、ギャオスみたいにスパスパ破壊しそうだし、名前を見るとバアさんと間違えそうだが単なる爺さんみたいな婆藪仙人ってのも、「酔拳」みたいに次の瞬間すごいワザをかけてきそうで怖い。
皆が「一発なにか、しでかしそうな迫力」=吉本新喜劇、プロレス、怪獣に通
じる味わいだ。
小林旭みたいに弦楽器を弾きながら迫る摩ゴ羅王(キカイダーでもいいよ)、難陀龍王なんか「なんだぁ〜!龍王や〜」と叫び、かついでる龍もアンギャ〜と吼えそうだ。
我が国のサブカルチャーのキャラクターの歴史をふり返ると天下泰平の江戸時代に妖怪が多数「発生」した。怪獣、変身ヒーロー、ビックリマン、ポケモンと日本人はキャラクターを階層的に多く派生させるのが好きで、立体化したいという欲望も強い。玉
眼を考案しただけに人形の目玉を作る技術と生産量は日本が世界一らしいけど。
その根源が三十三間堂二十八部衆の個性的でパワフルな造型から始まったのではないかとすら思う。
さっき信仰のような話しをしていたのに、どうしたのだオマエは?!と思われるかもしれないが、これが私の持ち味なのだよ。
「鉄人28号」の28という数字はこれに由来しているのかもしれないしな。
■千手観音立像(重文)
◆1001ゴールドアームズ
観音さまが1001体・・・
この千一躰千手観音を前にして、世界とか宇宙とかコムツカシイこと言う必要は全くない!配置がどうの視界がどうの読書感想文の宿題じゃないんだから言葉を並べて字数をかせぐのは全く無意味だ。ここに関してあえて何も言わなくていい。この、いつえさんのことばがすべてを物語っているからだ。
「ここに一週間居ろと言われても居れますよね〜」
まさに至言ですな!!かつて、これほど端的にココの魅力を語った人があっただろうか?
そして、私もこう言おう「三十三間堂は永遠の万博だ」と。
今日はなんだか絶好調だぞ!
そこからクルマで30秒くらいの方広寺大仏跡へ。
※方広寺大仏とは? (写
真もあるよ)
今日は珍しく「国家安康 君臣豊楽の梵鐘」の柵が開いてると思ったら、時々タクシーの運転手さんが鍵を借りて開けてるようだ。最近まで駐車場の脇に放置してあった大仏の残骸らしきモノが鐘楼の中に収納されている。
宝くじ一等が当たったら「中に入場できて、目からサーチライトが出る大仏」を寄進したいけど迷惑だろうな、きっと。
昼食はすぐ傍の智積院会館・一休庵へ。成田山や川崎大師の総本山にあたる寺院で国宝・障壁画(万博記念切手の題材)がある。お店のほうは滋賀県でよく看板を見るだけに、湖東方面
に展開しているが京都ではここだけかも。新鮮なコンニャクを使ったリーズナブルな精進料理が味わえた。
午前の部おわり
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