飾り罫 【さなぎまん】



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イラスト S君の生まれ育った町は、田んぼに囲まれていた。高校に入学したころ、S君は、毎日その風景を眺めながら暮らしていたはずだが、田んぼなど目に入っておらず、女の子のことばかり考えていた。ただしS君は、勉強はまあまあできたけれど、服装のセンスその他がまるで欠けていて外見が見苦しかったし、他人とのコミュニケーションが下手くそな上に、そのことにコンプレックスを感じてますますぎこちなくなるような少年だった。さらにつけ加えるならば、男子高に通っていたこともあって、S君は同年代の女性と出会うチャンスをほとんど持たなかった。だからS君の頭を占領していたのは特定の少女のことではなくて、使うとき以外はベッドの下に隠してあるエッチな雑誌のグラビアなどを見て勝手に膨張させた好みの女の子の漠然としたイメージだった。S君は、いつかそのような女の子の肉体を思いどおりにしてみたいものだと考えていたが、そこに至るまでに自分がたどるであろう道すじを明瞭に想像することはできなかった。ただ、もっと女の子と身近に接する機会があったなら、何かの巡り合わせで誰かと深い関係にみちびかれるようなこともおこるのではないかと、甘美な白昼夢のように思い描いていたのだ。

ある日S君は、となり町にある大きな書店を目指して自転車をこぎ、農道を走っていた。すると向こうから、高校生とおぼしき男女がスクーターに二人乗りしてやってきた。近づいて見ると運転している男は、S君もよく知っている本多君という少年だった。本多君とは、中学生のとき同級生で、その後彼がとなり町に引っ越してしまってから会っていなかった。久しぶりに見る本多君は、中学時代と同じように、がっしりした大柄な体と血色のいいきれいなほほが印象的だった。

本多君は昔から、快活で、まわりの人を引きつける魅力を持っていた。そして話し方や身ぶりで他人を楽しい気分にさせ、いうことを聞かせるのが上手だった。先生までもがにやにや笑いながら彼のいいなりになった。S君がいつも担任の先生に素っ気なく扱われているのと対照的に。でもその一方で、本多君はこの田舎町でできるかぎりの不良行為に手を染めているといううわさもあった。そうであっても不思議でないと思わせる何かが、本多君にはあった。本多君を見ていると、S君はいつもこう思った。「マンガなんかでは、真面目な秀才少年が先生にえこひいきされて、悪ガキは差別されることになっているけど、実際には先生は、勉強なんかあまりできなくても、多少悪いことをやっていても、わんぱくで元気な生徒が好きなんだよな。反対に勉強が多少できてもネクラなヤツは無視するのさ。」でも、ほかの不良がかった生徒たちは、S君のことを相手にせず、S君にしてみればいじめられなくてさいわいだというくらいのものだったが、本多君だけはなぜかS君にいつも話しかけてきて、親密にしてくれた。S君は、本多君に気に入られているらしいことを誇りに思い、でもときどき少し重荷にも感じたりしながら中学生活を送ったのだった。

農道の上、自転車とスクーターは2メートルほどの距離をおいてたがいに止まった。S君は、後ろから本多君にしがみついている女の子を見てはっとなった。美少女としかいいようのない整った顔だちを少しでも親しみやすく見せるために、トーストのようにこんがりと日焼けしてみたという風情の女の子。ちょっと前髪のうるさそうな、無造作にまとめた髪型がとてもよく似合っている。短くつめたスカートから挑発的に飛び出したふとももは、S君のあこがれそのものでできているように見えた。まるで、S君が夢見ている理想のパートナーが現実にあらわれたかのようだった。「せっかく会えたんだからさ、急いでいなかったらちょっと話でもしないか?この辺って喫茶店とかもないから、あそこにあるお宮にでもいって。」本多君は、やや離れたところにある森を指差していった。

神社の境内を見上げるところに雑貨屋があった。3人はそこで缶ジュースを買い、境内の片すみのベンチに座って飲みながら話をした。といっても女の子は何も口をはさまず、ときどきひかえめにほほえみながら、本多君とS君の会話に耳をかたむけているだけだった。女子高生といえばきらきらした言葉の奔流を遠慮なくまきちらすものというイメージを持っていたS君は、彼女の神秘的ともいえる物静かな態度にますます心をうばわれていった。

しばらく本多君と、おたがいの学校の様子などを報告し合ったあと、言葉が途切れたときを見はからって、S君はいってみた。「ねえ、二人はつき合っているの?」本多君は、しばらくきょとんとしたあと、急に彼女がそこにいることを思いだしたかのように振り返った。そして彼女の方をあごで示しながらいった。「ああ、こいつはイセクミコっていうんだ。きれいな女だろ。つき合っているっていうか、最近はいつも一緒にいるんだけどね。」そこで本多君は、いったん言葉を切ったあと、突然明るい色の瞳をいたずらっぽく動かし、こんなことをいい出した。「この女、オレの命令なら、何でもいうとおりにするんだぜ。いいでしょう。そうだ。クミコ、おまえここでおしっこしてみろ。」イセクミコは、本多君の顔を見て首をかしげ、くちびるをわずかに開いた。「え?」という形に見えた。S君がそのくちびるを見つめながら、今本多君がいった言葉の意味を推しはかろうとして思いをめぐらせているうちに、イセクミコはふらりと立ち上がり、スカートのすそに手をかけた。「あっ、あっ、ちょっとまじ?やめなよ、そんなこと。ボクは、ボクはいいよう。」S君は思わず、広げた手のひらを振りまわして、イセクミコの行動を押しとどめながら大声を出していた。なぜそうしたのかは分からない。「そうかい?せっかくなのに・・・。」本多君はやんちゃな顔つきで口をとがらせ、それからいった。「なら、こうしよう。S君、今日はこの女のこと好きにしていいよ。クミコ、おまえ、今日、S君の奴隷な。S君、何してもいいからね。何でもあり。じゃあ、オレ、行くから。また会おうね。」最後の方の言葉は歩き去りながら早口にいって、本多君は石段をかけ下りて姿を消した。しばらくしてからスクーターのエンジンの音がして、それも遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。

境内には、S君とイセクミコだけが残された。しばらくの間、二人はただ黙ってたたずんでいた。イセクミコがさっきからスカートのすそにかけていた手を放し、布地がゆれた。からからに乾いた口をやっとのことで開けて、S君は声をしぼり出した。「ぼ・・・ぼくは・・・。」それをさえぎるようしてイセクミコがいった。「あいつのいったこと、ほんとだよー、Sくん。あたし、何でもいうこと聞くから。いってみて。」あらかじめ録音しておいたような声だった。「で、でも、ど、どうして・・・。」「あたし、ちょっと今こわれちゃってて、もう自分でしたいこととか思いつかないから・・・。けど何もしないでいると、自分がいなくなりそうで、恐くてたまらなくなるから、誰かに命令していてほしいの、どんなひどいことでも。そうしないと生きているっていう感じがまるでしないんだもの。」

これはどういうことだろうかとS君は考えた。夢に見たような美少女を相手に初体験を試す願ってもないチャンスがやってきたということじゃないか。でもその訪れはあまりにも突然で、予想をはるかに超えていた。頭がパニックを起こし、この機会をどうやって利用したらいいか分からない。S君の妄想の中では、そのときがきたら何もかもが仕組まれたかのように動きだし、S君は望ましい方向へと自然に押し流されていくはずだったのに。それなのに、好きにしてとか、何でもいってとか急にいわれても、どうしたらいいんだ。いやそれよりも、このあわれな女の子の心のトラブルにつけ込んでいやらしいことなんかして平気なのか。おまえはそこまで人でなしになる覚悟はあるのか。いや、ボクはプレッシャーから逃れようとしてこんなことを考えているのか。そうだ。これは誰かが仕組んだドッキリカメラみたいなたくらみだとも考えられる。ボクが美味しそうなエサに食いつこうとした瞬間に、ワナにはまり、生き恥をさらすことになるんだ・・・。

いろいろな思考が脳裏でせめぎ合い、S君は気が狂いそうになった。そしてとにかく何かアクションを起こして現実の手ごたえを探ろうと思い、イセクミコにいってみた。「それじゃあ・・・ここで裸になれる?」イセクミコはうつむいて少しだけ考えるようなそぶりをしたあと、すぐに小さな声で「うん」といって制服を脱ぎはじめた。彼女が服を脱いでいる間、その仕草に茫然と見とれていたおかげで、S君は思考の混乱に悩まされずにすんだ。やがてイセクミコは、一糸まとわぬ姿になってS君の眼前にいた。S君の持っている雑誌に出ているグラビアアイドルたちとくらべてもまったく見劣りのしない、みずみずしく発達した、健康的で、そして猥褻な裸体だった。ただ、肉体美や色香を売り物にしている娘たちとちがっているのは、無防備に陽光にさらした肌に、大人っぽい形の水着の跡がくっきりとついていることだった。S君は思わずツバを飲み込んだ。そして昼間、こんな人気のない境内で、全裸になった女の子と二人向かい合ってみると、自分がますますぬきさしならない窮地にいることに気づいた。何とかしなければ。そうだ。この子に、服を着るようにいうんだ。そして、馬鹿なことはやめなよとか、もっと自分を大事にしなきゃとかみたいなことをやさしくいって家まで送っていってやればいい。そうしたらひょっとしてこの子との間に、何かもっとまともで、ありふれたいいことが起こるかも知れないじゃないか。そうだ。そうしよう。

ところがそんなことを思いながら口を開いたS君は、自分のまったく思いもよらない言葉を発していた。「そのままのかっこうでさっきのお店までいって、アイスキャンディーを買ってきて。」イセクミコは目を心持ち細くして、今度はさっきよりもやや長い間考えていたようだったが、やがて「わかった」といって、右手を差し出した。「な、何?」「アイス代、ちょうだい」S君はあわててポケットを探ったが、5000円札が1枚と10円玉が2つ、3つあるだけだった。5000円ではいけない。全裸のイセクミコがアイスを買うときのやり取りが複雑になり、時間もよけいにかかってしまう。その場面を想像しただけでS君は気絶しそうだった。でももう後もどりはできない。S君は5000円札を手わたすしかなかった。イセクミコはS君から受け取った5000円札に目を落とし、珍しい木の葉でも観察するようにしげしげと見つめた後、くるりときびすを返して石段の方へ向かった。イセクミコの美しい裸体が遠ざかって行くのを見ながら、S君はこの世のすべての女性から見放されたような思いがして疎外感にさいなまれていた。やがてイセクミコは石段にさしかかり、すらりと伸びた足、よくはずむ形のいいヒップ、ひきしまったウエストラインの順で後ろ姿が消えて行き、最後につややかな髪が隠れてしまうと、後には晴れ上がったばかりの宇宙のように無人の境内が広がった。

長い長い時間が立った後、世界のどこかで小さなさけび声が聞こえたような気がした。たちまちS君は焼けつくような恐怖に心臓をわしづかみにされ、くぐもった悲鳴を喉の奥につまらせてその場から逃走した。自転車は石段の下にあるからそっちへは行けない。境内の裏手の門から外へ飛び出し、1キロ近い道のりを走りに走って自宅にかけ込むと、そのまま部屋にカギをかけて閉じこもり、フトンをかぶってうずくまった。ボクは卑猥なことばかり考えている最低な人間だ。でもそのさげすむべき恥知らずな性欲だけは、自分の正味の持ち物として、確かにそこに存在していると思っていた。それが今日、その性欲は空回りするばかりでまるで役に立たず、ボクは劣等感とか被害妄想とかその他わけの分からないいろいろなものに翻弄されて、何一つ意味のある行動をとれなかった。S君はそういうことを筋道立てて考えたわけではないが、漠然とそんな感じがして悲哀につつまれ、いつまでも涙と汗にまみれながら背中を丸めてすごし、やがて日が暮れるころに眠りに落ちた。寝入ったとき、イセクミコがお釣りをかえしにきた夢を見た。イセクミコは裸のままで、やさしくほほえみながら1000円札4枚と小銭とオレンジのアイスキャンディーを差し出した。水着の跡の真っ白な肌に黒ぐろと生い茂った体毛が鮮烈だった。それはやすらぎを帯びたイメージで、S君をそっとふるい立たせ、S君は少しだけ安心しながらさらに深い無意識へと沈んでいった。