見仏記
十二神将&微笑五臓弥陀(名古屋見仏)  
2000年1月21日、22日  by いつえさん

◆鉈<なた>薬師堂:十二神将

●毎月21日は名古屋市千種区覚王山日泰寺の縁日に合わせて近くの鉈<なた>薬師堂というお堂が御開帳されます。 御本尊薬師如来を除く阿弥陀如来、観音菩薩、日光、月光菩薩、それに両側脇壇に十二神将総てが円空作であります。 鉈薬師は中国明朝の亡命帰化人、張振甫が尾張藩の庇護を受け此の地に居住し滅亡した明朝皇帝一族、貴族重臣たちの慰霊のため上野村より堂を譲り受け中国風仏像の造立を円空に託して完成させたものと言う事です。
この十二神将にみる中国風表現は他の円空仏には作例が無く用材は名古屋城築城の余材といわれ角材の制限が独特の形を海レリーフ的な彫刻表現です。(110〜120cm)

●門前には両脇には等身大の石造文人像が御出迎えをしてくださり、土曜日に降った雪で門前からお堂までの10m程、ザクザクと雪を踏み分けて歩きました。 私が到着した9;30頃はまだ人も無くお堂の管理をなさっている年配の御婦人とお手伝いの2人の女性のみでした。なんとこのお堂は個人の所有なのです。辺りは雪明りであくまでも明るく、お堂の中は灯明が揺らめいてまるで此処は小宇宙の中に佇んで入るような心持ちでありました。
いつも私は素晴らしい仏像に巡り会うと一瞬言葉を失い凛とした張り詰めた空気を感じるのですがここの円空仏は違いました。物凄いパワーとエネルギーを感じるのです。実際鉈で彫った訳では無いでしょうが一気に彫りあげたようなスピード感、荒々しさの中にどうしようもないくらいの優しさを感じるのです。
寛大にもお写真をとっても良いというお許しがでたので不覚にもカメラを持ち合わせていなかった私は1km先のコンビニまで走りに走りました。日泰寺の参道の雪のうえを滑るように。お堂に戻った頃は程よい疲れと興奮の為可也紅潮していましたが至福の一時でした。でも覚王山の縁日面 白いですねえ。色んなものを売っていた。毛糸のかせとか縮緬雑魚、心太、花梨等、どてに串カツ!あ〜〜ゆっくりできれば食べたかった〜!!

十二神将の子と丑 十二神将の寅と卯
左から薬師如来 日光菩薩 阿弥陀如来

 

◆栄国寺:微笑五臓弥陀

●さて性懲りも無く次の日は中区東別 院北の栄国寺というお寺へ。
此処は名古屋に城下町のできた江戸時代初期、千本松原と呼ばれ刑場の置かれた場であります。徳川幕府は改宗に応じない尾張のキリスト教徒200余名を此の地で処刑しその後処刑場を土師野に移して跡地に鎮魂の為栄国寺の前身である清涼庵が立てられたとの事です。慰霊碑の前の処刑場跡は言い切れ無程の切なさを感じましたがとなりの幼稚園から聞こえる園児達の笑い声が気持ちを和らげてくれました。

●此処にはインドガンダーラ様式を模した「清涼寺式釈迦如来立像」、体内に五臓を持ち微笑みを称えた珍しい「微笑五臓弥陀像」があります。私のお目当ては此の仏像。お寺の御住居の一部を改装した怪しげな「切支丹博物館」から(此の日は月曜日で本来ならば休館との事でした)御無理を行って本堂に通 して頂きました。
こんな時わざわざ遠くから来ていると度胸がつくものですね。近くに住んでいるといいや、又の機会に。なんて思ってしまう。正に一期一会です。静寂な本堂に独り佇み贅沢な時間を頂きました。体内部は写 真でしか拝見できないのですが理科室に佇んでいた人体模型みたく肋骨、内臓に至る迄丁寧に作られています。生身の肉体苦痛を共有される有り難い仏像とのこと。お医者さんも良くお参りにいらっしゃるらしいです。像容は良く整い左足を下した半踏下げの優しい微笑みで静かに語りかけてくれました。
長くなってしまいました。ごめんなさい。
これからも「私の中の仏」を探してみたいと思っています。

 

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