私はテラスの手摺にもたれ、硫黄岳から赤岳にかけてのみごとな岩壁を見上げていた。あたりは暗くなりかけていたが、ほとんど水平に差し込む夕日を浴びて、岩壁は赤々と輝いていた。
背中でフランス語が聞こえた。振りかえると、二人の男がテラスに設えられたベンチに座って岩壁を見上げていた。二人はひどく親しげであった。一人は七十を過ぎているだろうか。もう一人は五十近くの働き盛りに見えた。二人とも風格のある紳士で、スーツを着て会社にいれば、年老いた会長と若手の社長のようにも見えただろう。
年老いた方は、頭は見事に禿げ、丸い顔の下半分が真っ白い髭に被われていた。口髭も顎髭もよく手入れされており、つやつやと柔らかそうであった。少しグレーがかった青い瞳は知性とともに強い自信を感じさせた。相対的に若い方は、日に焼けした顔に栗色の頭髪がよく似合った。髭はなかった。顔が小さく、それに較べて体ががっしりとしていた。
学生時代にフランス語をかじったことがあったので、私はフランス語で二人に話しかけた。ボージュール・ムッシュ、ケスク・ヴ・フェット、あたりまではよかったが、相手の質問が聞き取れなくなって、英語に切り替えてもらった。老人の方は訛りのある英語だったが、若い方は見事なクイーンズ・イングリッシュを話した。老人はスイスの時計会社で技術者として働いていたそうだ。世界でもっとも高級な時計を作ることで知られる会社の名前を、老人は誇らしげに口にした。若い方はパリで貿易会社をやっていると言った。機転の利く気配りのできる男のように思われた。
「親子なんですか」
と私は訊いてみた。老人がそうだ、と答え、若い方が「血はつながっていないが」と言い添えた。血のつながっていない親子というと、普通は義父だ。老人は、若い方の夫人の親なのだろうと私は思った。そのことを訊くと、老人は「私たちは、もっと自由で大らかな関係なのだ」と言って声をたてて笑った。
「普通父親は息子を選べないし、息子は父を選べない。私たちはたくさんの人の中から素晴らしい相手を見つけた新しい父と子なのです」 と若い方が少しはにかみながら言った。アルプスのトレッキングで知り合い、老人が退職するのを待ってパリ郊外で暮らし始め、もう六年になる、と若い方が言葉を続けた。
盆に載せたビールとワインが運ばれてきた。二人の乾杯に合わせて、私は手にしたジョッキを持ち上げた。二人はワインを一口飲むと、慈しみと尊敬の眼差しでお互いを見つめ、グラスを交換してからもう一口飲んだ。