ヒカリゴケのある森





 原生林の中には人影がなかった。道の両側には柔らかそうな苔が分厚く積み重なっていた。木の間から漏れる丸い光が、苔の上に点々と落ちていた。
 私は振り返り、妻に苔を踏まぬように伝えて細い道を歩き続けた。やがて森の木がまばらになり、あたりが明るくなった。積み重なった岩の表面を背丈の低い木が覆っていた。道はその樹木に見え隠れしながらなだらかな山裾を横切っていた。耳をすますと、かすかに水の音がした。水は岩の下を流れているようだった。
 低い樹木の間をジクザグに走る道を、私たちは再び歩き続けた。背丈の低い木がなくなって笹原になり、やがて笹の中に赤や紫の花をつけた野草が混じり、それがだんだん増えていった。
 道が二つに別れ、峠への道をたどるとすぐ見通しのよい平らな所に出た。正面には大きな丸い山がそびえていた。左手の草むらの中に、赤い屋根のヒュッテがあった。長く裾をひく手前の低い岡と、そのむこうの形のよい丸い山に見覚えがあった。
「この景色、あれだろう」
「ええ、あれ。私もそう思ったの」
妻は太った体を変にねじってリュックサックを背中から降ろし、中から古びたスケッチブックを取り出した。一月ほど前の義父の三回忌の時、古い物を整理していたら出て来たといって妻の姪から手渡されたものだった。義父が工業学校の学生だったころにかいたものらしかった。私と妻はそのスケッチブックに描かれた風景が気に入った。妻は夏の旅行の予定を変更して、義父がその絵を描いた北八ヶ岳に行きたいと言った。
「たしかこれよ、これ」
 妻は隅が黄色く変色した画用紙を勢いよくめくった。何枚目かに峠の道を手前にいれ正面に丸い山を描いた水彩画があらわれた。
「実際とはすこし違うけど、こうやって比べると絵の方がいいな」
「そういえばそうね」
下絵はペンで書かれたものだったが、迷いなく引かれた鮮やかな線が義父の絵の才能を感じさせた。
「父も、本当はこんなこともやりたかったんでしょうけどね」
「そうだったの、おとうさん」
 私の知っている義父は、不況に陥ったアルミの精錬工場でどう採算を取るかばかりを考えている人であった。義父は戦前の工業学校出身であり、学歴が特別偏重される財閥系の大企業で随分苦労した。義父はハンデイをカバーするため人のいやがる仕事をたくさん引き受け、休日にも率先して出勤した。義父の技術者としての腕はなかなかのものであったらしく、いろいろな賞をもらい、定年まぎわには地方の工場長にまでこぎつけた。義父の学歴で工場長になることは、その会社では異例のことらしかった。その工場を退職した後は、アルミの部品をつくる自動車会社の下請け会社に移った。そこでも、会社の赤字経営をどうして立て直すかを懸命に考えていた。
 六十五歳でそこをやめるころ、義父は体の不調を訴え、検査したときにはすでに癌が肝臓に転移していた。義父はそれから一年で亡くなった。
「おとうさん、あのヒュッテに泊まったのかな」
「まさか、ほとんど無銭旅行のようなものだったのよ。汽車にもバスにものらない。それにあの建物なかったんじゃないかしら、そのころは」
 義父は足利にいたはずだ。乗り物を使わずにどうやってここまで来たのだろう。妙義山か荒船山を越え、佐久側からここにのぼったのだろうか。山の中で野宿のようなこともしたのだろうか。
「とにかくお金がなかったみたい。父の家には」
 義父の父親には定職がなくひどく貧乏だったことや、母親は長男である義父に大変な期待をかけていたこと、妹も弟も義父を頼り切っていたことを私は以前に妻から聞いたことがあった。
「さあ、もう宿にいこうね」
 私は妻の表情に疲労の色を読み取ってそう言った。
 私は先にたって赤い屋根の方にむかってなだらかな丘を下っていった。
 ヒュッテの中は外から見るほど立派ではなく、土産物の店を兼ねたロビーは薄暗かった。紙にしきりに数字を書き付けているアルバイト風の若い女性に名前を告げると、その人は壁に貼られたくすんだ図を指さし私たちの部屋を教えた。
 急な階段をのぼり、狭い通路を一番先まですすんで左手のドアを空けると、暗く細長い空間が奥に続いていた。壁際に二段ベッドがあり、反対側にはちょっとしたロッカーがあった。ベッドの先に小さなソファーがあって、小さな窓から花の咲き乱れる斜面が見渡せた。
 早い夕食がすむと、妻はベッドに横になって寝息をたてはじめた。一日中山を歩き回ったのでつかれたのだろう。妻がたびたび休憩を要求し、そのたびに私も休んだので、私は疲れていなかった。私は寝ている妻の顔をながめた。昔はそうでもなかったが、妻はだんだん元気なころの義父に似てきた。顔が丸くて目が細く、唇がうすかった。顔は似ていたが声は似ていなかった。義父はしゃがれた大きな声を出した。もともとはそういう声ではなかったそうで、工場の喧噪の中で意志を通じ合うためにそうなったのだそうだ。妻の声は澄んでいたので私はそれを信じた。
 私は、まだ日の残る森の中が恋しくて、妻をそのままにして外に出た。
斜めに差しかかる赤い夕日が向かいの大きな山を染めていた。私は標識に従って池につながる道を選んだ。道は案外広く、細かく砕いた石が散らばっていた。
 苔の茂った林を抜けると、いきなり目の前に広々と水面が広がった。名前は池だが、湖と呼んだほうがいいくらい大きなものである。日のかげった池にはどこか陰欝な雰囲気がただよっていた。水面に倒れこんだ木立は樹皮が朽ちて、骨のような白い肌を見せていた。義父のスケッチブックに描かれていた池は、高いところから見おろしたような構図であり、水はみごとな藍色にぬられていた。この池がみわたせる山の上から描いたのであろうか。もしこれがあのスケッチブックに描かれた池だとしたら、このあたりにヒカリゴケがあることになる。義父のスケッチブックには池の次のページに暗闇の中であやしげに光るみごとな苔が描かれていたのだ。
 池のほとりの山荘で私はこのあたりにヒカリゴケがあるかどうかを尋ねてみた。 フロントにいた髭面の中年男は本から目をあげ、こともなげに「物置小屋の縁の下にありますから」と言ってすぐに本に視線を落とした。私は半ば拍子抜けした気持で山荘を出て、小屋にむかった。
 ヒカリゴケは、薄暗い縁の下で鈍く光っていた。それは期待していたものとちがって、淡い光のかけらが平面的に岩に張り付いているといった感じだった。停電の時に重要なもののありかを示すために使われる蛍光塗料をぬったテープの光に似ていた。もっと暗くなると鮮やかな光を放つのだろうか。そう思って私は縁の下を時々のぞきながら待ってみた。しかしヒカリゴケの光はだんだん弱くなり、ついに全く見えなくなってしまった。ヒカリゴケは自ら発光するのでなく、光を反射して光っていたようだ。気がつくとあたりはすっかり静かになり、山荘の窓からは暗い光が漏れていた。
 ヒュッテに帰ると、妻はソファに座ってお茶を飲んでいた。私は、妻にスケッチブックを出すように言った。
 義父のスケッチブックに描かれたヒカリゴケは明らかにさっき見たものとは違っていた。そのことを話すと、妻は大きなため息をついた。
「多分、父は想像でかいたんだと思うの。あのあたりにそんなものがあるのを誰かから聞いて。自分だけ山に行ったのが申し訳なくて、妹や弟を喜ばせようとして描いたのよ、きっと。土産なんか買うお金もなかったから、せめて見栄えのする絵をかいたんじゃないのかしら」
 美しいがどこか大まかなところのあるヒカリゴケの絵を目を細めてながめながら、妻は
「父にはそんなところがあったわ」
 と言って寂しげに笑った。 


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