“近ごろの私”


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〈2012年1月2日〉

あけましておめでとうございます。

特に書くこともありませんが、おかげ様で昨年も無事に元気に過ごすことができました。
その感謝の気持ちを込め、年賀絵を描いてみました。
ご笑覧下さい。

〈2011年1月2日〉

あけましておめでとうございます。

サイトもこのブログも完全放置状態で面目ありませんが、 私自身は元気に生息しております。 とりあえず年賀絵のネタが一切思い浮かばなかったので、 普通にウサギ風コスチュームの女の子の絵を描いてみました。 ご笑覧下さい。

〈2010年1月2日〉

あけましておめでとうございます。

私は東京23区内在住なのですが、元日になると大抵富士山の見えるポイントに数年ぶりに行ってみたら、新しいビルができて半分がた隠れていた。正月早々盛り下がるぜ。
気を取り直して年賀の絵を描いてみました。御笑覧下さい。

〈2009年1月2日〉

あけましておめでとうございます。

年末にアメ横に行ったらば、水産品を商う店が軒をつらねる一角のそこかしこに、生タコ、ゆでダコ、酢ダコなど、様々なタコがうずたかく積まれ、店員のおじさんがタコを振り回して買い物客を煽り、大層な活気でした。間違いなく世界中で日本人ほどタコを食べている国民はいないだろうと思った次第です。ところで我々の食卓に上るタコのうちのかなりの割合を、アフリカ産の輸入タコが占めていることをご存知でしょうか?アフリカの海岸って、映像なんかで見る限りでは日本のそれとずいぶん風景の感じが違っているようですが、そこからちょっと海中に入ると、日本のタコと同じようなタコが普通にいるのって何か不思議ですよね。日本人がマグロを食べすぎるっていうので問題になっている一方で、タコのことを心配している人はあまりいないようですが、大丈夫なんでしょうかね。
タコとは何の関係もありませんが、年賀の絵を描いてみました。御笑覧下さい。

〈2008年1月3日〉

あけましておめでとうございます。

私は、毎年正月三が日といえば、夜は常にも増して酒を過ごし、朝は寝坊するなど自堕落に過ごすことが多いのですが、今年はわけあって平日なみの時間に起きなくてはならなかったので、久しぶりに箱根駅伝をところどころ見ていました。競技としてもわりと面白いと思うのですが、あの沿道の景色が次々に移り変わっていくのがおもむき深いですね。特に最近個人的に、郊外の住宅地や小さな繁華街などの何でもない風景が妙に胸に迫ったりするようになりました。また、山道を走る選手を追っているシーンでは、子供時代から箱根に親しんだ様々な思い出が走馬灯のようによみがえってきます。幼い頃にテレビで見た箱根小涌園のちょっとエッチなアニメCM、中学生のときに日帰りで芦ノ湖に釣りに行って観光地価格のラーメンに目玉が飛び出したこと、エヴァンゲリオンと使徒の戦いなど・・・。そういえば「走馬灯」なんて我々の日常からすっかり消え去っているのに、「走馬灯のように」などという言い回しが残っているのって面白いですね。
年賀の絵を描いてみました。御笑覧下さい。

〈2007年1月3日〉

あけましておめでとうございます。

正月なのでカマボコでも食うかと思い、店頭で手に取ってみたところ「グチ○○%云々」と印刷されていました。「グチ」というのは私の知る限りではイシモチの異名なので、多分それの肉がある割合で含まれた製品であることを示しているようでした。しかし、グチのような上等の魚を使ったいい感じのカマボコでございますと誇っているのか、それともグチのようなつまらない魚が混ざっていますがいいですか?とことわっているのか、どうも意図のよく分からない表示なのでした(おそらく前者だとは思いますが、これで普通に通じるのだろうか・・・)。
年賀の絵を描いてみました。御笑覧下さい。

〈2006年1月4日〉

明けましておめでとうございます。
私はカニが嫌いではないのですが、世の中にたくさんある美味しい食べ物の中で格別に好きということもなく、貧乏なのに無理をしてまで食べようという気もあまり起こらず、したがってカニを味わう機会は自ずから多くはありませんでした。しかしなぜか最近、人様から冷凍のカニを頂戴することが度々あったり、何となく購入しようと思い立つようなムードを感じたりして、通常の冬の三倍以上カニを食べています。いつになく市場にカニが潤沢に出回っていて、目につきやすくもなっているんじゃないかと思うのですが・・・。北海を巡る国際情勢などの変化によるものではないかなどと、ガラにもないことが頭に浮かんだりもしますが、一生懸命にカラを割ったり、中身を取り出したりして、カニを食べるのに没頭していると、すぐにそんな考えはどこかにいってしまうのでした。あまり正月と関係ない話題ですみません。

年賀の絵を描いてみました。御笑覧下さい。

〈2005年2月24日〉

「トロイ」という映画のDVDを借りてきて観ました。
善人たちは、ちっとも何のために生きているのか分からず、いたずらに、感情に流されたり、過ちを繰り返したり、失意に沈んだりしながら、ただ運命に翻弄されるのみ。悪人こそが、主体性と目的意識をきちんと持ち、整合性のある生き方をつらぬいている、というお話だった。身も蓋もなかった。

昔描いたマンガを描き直してみたので、アップロード致します。よりイメージ通りの絵が描けるような気がしてきたので・・・。よかったら見てみて下さい。→ここ

〈2005年1月5日〉

明けましておめでとうございます。
夜中から初詣でに繰り出す気力はないので、元日の朝遅く起きた後、だらだら過ごしてから神社にお参りに出かけます。そしておみくじを引いたりもする。二年前だか、三年前だか、それすらも定かでなくなってしまいましたが、「一番・大吉」というのを引きました。しかしその年これといった晴れがましいこともなく、どちらかというとしょぼい感じで一年が過ぎていったという印象があります。まあ世の中にこれだけ災害やらテロやら犯罪やらが多いと、不埒なエロ同人サイトなどを続けながら、何となく無事に過ごせるだけでもかなり「吉」なのかと思ってしまいます。ちなみに今年は「中吉」であった。

年賀の絵を描いてみました。今回も一種類しか描けなかったので、手抜きをしてあちこちで使い回すつもりでおります。何とぞ御容赦下さい。

〈2004年3月7日〉

オデンにはいろいろなタネ(具)が入っていますが、その中でも最も核を成す要素は何でしょうか。ということを突然考えてしまいました。いわばオデンの本体というか。ボスキャラというか。
試しにオデンの中からどれか一つのタネを取り除いてみましょう。その結果、オデンの全体が成り立たなくなるというか、不完全な印象が決定的になったとしたら、そのタネこそオデンの核といえるかも知れない。
というわけで、早速脳内シミュレーションを行なってみました。チクワブ、ガンモドキ、サツマ揚げ、卵、ダイコン、などなど。その他いろいろ。おなじみのオデンダネをおおよそ試してみましたが、該当しそうなものはありませんでした。どれもオデンに欠かせない具に思えるのに、その実それが含まれなかったからといって、オデンがオデンでなくなるような事態は起こらなかったのでした。少なくとも私にとっては。
それでは、発想を変えて、タネを一種類だけ残してその他のモノを全て捨ててしまいます。捨てるというのは比喩です。もったいないですからね。とにかくタネが一種類だけのオデンを見てみましょう。そうなったときに、その全体がまだオデンとして成立していたならば、神はあなただ。命には平等に価値がない。いやいや、そうじゃない。オデンのカギを握る最も重要な要素はそれということになるでしょう。
というわけでまたまた試してみました。もちろん脳内です。チクワブだけのオデン、ガンモドキだけのオデン、サツマ揚げだけのオデン、卵だけのオデン、ふー、きびしいな。どれもオデンとはいえないという以前に、料理としてどうかという感じだ。そして、そんな苦悩の果てに登場したタネ、それは・・・ダイコン。
む。ダイコンだけのオデンか・・・。何かサマになってるぞ。いけそうかも。そうかダイコン君、キミこそが選ばれし者だったのか・・・。でも待てよ。それって・・・オデンというより、フロフキダイコン・・・かもね。ある対象を深く深く考察して、ようやくその本質にたどりついたと思った瞬間、それが他のものに変じてしまう・・・。そんな状況をまた一つ経験してしまいました。

らくがきです。

〈2004年1月1日〉

アザラシが流れ着いたのは去年でしたか、それとも一昨年でしたろうか。最近いろいろなことがもうろうとしてきました。とにかく昔の人は、普段見なれない動物が目撃されると、瑞兆である、あるいは変事の前触れであるなどと、重大に受け止めたらしいですね。白い雉があらわれたからといって、それにちなんで元号を改めてしまった例もあるそうで。あのアザラシについても、ある宗教団体の人々が不思議なことをいっていたようですが、それくらい何かものいいたげなアザラシではありました。

年賀の絵を描いてみました。今回は、ほんのちょっぴり干支を意識しました。拙い絵で恐縮ですが、お時間がおありのようでしたら御覧になって下さい。

本年もよろしくお願い申し上げます。


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