ぱらいそ堂の熊本見仏レポ (2000年11月23〜25日 )

11月中旬というこの半端な時期に帰省した理由の一つは地元熊本のお祭り見物にありました。「九州三大祭りの一つ」…と銘打つ割にはよそでは、ほどんど知名度のない「八代妙見祭」。「亀蛇(きだ)」という竜と亀を合せたような生き物に乗って 海の向こうからやってきた、と聞かされた神様を祭ります(亀蛇の写真はココ)。妙見(北斗)信仰の存在や、神道だけでなく妙見仏というのもある、 という知識をつけた私は、子供の頃親しんだ祭りを改めて大人の目で見直してみようと思ったわけです。
     
 

INDEX

23日:公民館に妙見阿弥陀  24日:九州山中に眠る観音の里  25日:猫の阿吽

公民館に妙見阿弥陀
  • 祭りの出し物を一通り見物し、日も傾きはじめ、私は 「まあ歩いて帰るか」と、ぶらぶら家路をたどり始めました。 のどかな家並みの途中、小さな「阿弥陀堂↑」という看板を発見!今の私にそれを見過ごすことが出来るわけがございません。 矢印の脇を覗き込みました。しかしお堂は見当たらない。通りかかった近所の人に尋ねると「これですよ」と指されたのは、 目の前の変哲もない公民館だったのです。

  • 期待と不安の中、戸を開いた私の目に飛び込んできたのは、 この旅を決めた時から意識の底で期待し続けていたものでした。「妙見阿弥陀如来…!」 しかも「亀蛇」の上に座して、定印を結ぶ秀麗な美仏。妙見伝説に語られる西の海から渡って来たのは実はこの仏であったか! ふくよかな体付き、木造の磨きこまれたあずき色の肌の上には うっすら金箔が残り、やや男性的な目鼻だちに潤む玉眼。 白毫こそ失っているものの、細かい螺髪低めの肉髻の中心に白玉が輝く。 金色を残す舟形光背には渦巻く雲をくっきりと写している。 (乗物に注目!) 私は都振りの美仏は大宰府止まりだ、と地元熊本を軽んじていた自分の不見識を恥じました。脇の案内によると作者不詳、だが妙見神宮は元々は仏教寺院でありこの仏はその本尊であったらしいのです。

  • 本来の主がそのまつられていた寺院を追われ、公民館の片隅に人知れずひっそりと座しておいでなのは、哀れを誘います。でもお陰でここで出会えたのですもの!この感動はきっと皆に伝えますとも! 私は今の神社の御神体だといわれる「刀」に向かって内心ちっと舌打ちし、阿弥陀に名残を惜しみつつその場を辞しました。

  • 思わぬ仏前!とのドラマチックな出会いにすっかり有頂天の私は、怒涛のごとく押し寄せる新たな仏との出会いをそのとき予測することはできようはずがないのでした。
九州山中に眠る観音の里
  • 私はこのたび、国東方面への見仏行を目論んでいました。が、見仏人でない家族にあっさり却下。温泉旅行に方向転換することに。目的地は球磨川を遡り、九州山地の山奥のほぼ中心、湯前<ゆのまえ>町です(地図参照)。奥球磨は私にとっては未知のエリアだし、山奥の温泉というのも悪くないでしょ。と気持ちを切り替え出発したのです。
  • 我々はその日の行程を早々に終えて、湯前町に着きました。あたりはひなびた山奥の農村の景色がひたすら広がっています。あまりに早くに着きすぎた宿のフロントで躊躇していると「近くを見て回られるなら古いお寺がいくつかありますよ」と宿の方がガイドマップを下さいました。では行ってみよう、とマップを元にその寺を目指して出発しました。

  • 城泉寺」…小道の先に現れたお堂は、只者ではない匂いをぷんぷん漂わせていました。いかにも古めかしい、風格ある茅葺の古堂がぽつりと立ってます。すでに住職はいない御堂だけの寺です。周囲には無数の古い石造の五輪塔が林立し、そのなかには十数重の石塔が三柱すっくと伸びていました。塔の側面には仏の浮彫りが見えます。これは是非、御本尊を拝まねばなりますまい!と意気洋々御堂に上がり板戸を引いてみましたが、当然固く閉ざされていて中を見る事はできません。

  • がっかりして引き返したその晩、宿の方に無理を承知で「中の仏様は拝めないんでしょうか?」と頼み込むと「じゃあ、明朝鍵を開けてもらうよう電話しておきましょう」あっさり返事が返ってきたのです!

  • 翌朝、再訪したお堂はぱっくりと口を開いて待っていました。「おおおっ」思わず声をあげて駆け寄ると、恐る恐る覗き込みます。堂内に入ると中は予想をはるかに越えていました。なあんて素敵な阿弥陀三尊なんでしょう!!!中央には定印を結んだ阿弥陀如来坐像。両脇には優美に腰をひねった観音・勢至がそれぞれシンメトリーにポーズをとり、微かに本尊へ体を傾けています。確かに本尊の阿弥陀如来も美しい。粒のそろった螺髪にクールな眼差し、紅い唇。でも、どうしても私の視線は脇侍の二人に釘付けになってしまうのです。ふくよかな体は片足を軽く折って腰を外側にくっとひねったS字のポーズ。これまで見た中でも特別高く複雑に結い上げられた高髷、リアルでしかも凝った着こなしの衣。しかも観音・勢至は一見左右対称に見えながら、それぞれ微妙にスタイルを工夫していて、どちらがファッションリーダーか密かに火花を散らすライバル同士といった様相です。鎌倉時代の生まれ、鄙の育ちとは思えない彼らのセンスは私にとってほとんどカルチャーショックものでした。(仏は良く見えませんが城泉寺の画像はこちら
    ちなみにこちらは旧国宝(現重要文)。しかも本来「浄心寺」だったものが、国宝登録の際間違えられて「城泉寺」となりいまや登録上はそちらが正式名称となってしまったという、お粗末。

  • 思わぬ上品の仏前!達に動揺した私でしたが、資料をよく読むとこの近辺人吉球磨地方は、一向宗が弾圧されながらも信仰され続けた、隠れキリシタンならぬ隠れ念仏の里であったらしいのです。しかもこの近辺で三十三観音めぐりができるほどだという…。何たる不覚!あらかじめ下調べしていれば見仏三昧できたものを!しかし、帰途の道筋にもいくつかの寺が点在することを見逃す私ではなかったのです。
猫の阿吽
  • 美仏がいるのに気付いた以上、通り道にある寺にはとりあえず寄ってみよう。という行き当たりばったりな計画で、帰途につきました。

  • 湯前近辺で二件の寺を回りましたが一方は厨子を閉ざしたままで管理人不明。一方の寺はガラス越しに額をつけて一心に覗き込むと暗い奥からうっすらと三尊らしき輪郭が見えてきます。しかしそれ以上は難しく、地元の人によると盆正月には開けるんだがねえ。とのこと。こちらも管理者不明のため諦めます。

  • 次に行きかかったのが「生善院」(通称猫寺→リンク)です。詳細は知りませんが、化け猫伝説のある曰くつきの寺のようです。細い古びた石段をソロソロ上っていくと、頂上の山門には狛犬ならぬ狛猫が!しかもタイガーバームガーデン風のペンキで塗られた白黒牛柄のキッチュな猫です(画像参照) 。ちゃんと阿・吽と揃っています。
  • 彼らの間を抜けて本堂へ向かいましたが残念ながら戸は閉じられたまま。やっぱりだめかあ、溜息をつく私の目前に小さな木箱が置いてありました。開いてみると、そこには申し訳のように本尊らしい観音菩薩のポラロイドが貼られていました。写真なのでサイズは判り難いのですが鮮やかな群青の髪に金色の肌の美しい色が印象的。でもピンぼけのポラなんて隠し撮りみたい(笑)。木箱の中には御朱印がわりのスタンプと赤いスタンプ台が収まっていたのでした。次回は予約を入れて是非お目にかかりたいものです。

  • 車は進み「青蓮寺」という寺にたどり着きました。こちらは地元藩主の菩提寺でもあり立派な門構え。裏山には古い五輪塔が七十いくつも連なっています。(このページの一番上が青蓮寺)ここでは我々は運に恵まれました。中央の阿弥陀堂は四方の戸を開け放って迎えてくれたのです。靴を脱ぐのももどかしくお堂に上がると、戸は開いてあるものの、中は薄暗いまま。格子戸の向こうにいる三尊の姿に目を凝らしているうちに、その姿が少しずつ見えてまいりました。
    阿弥陀三尊です。中尊は上品下生印を結んだ身の丈1m弱の木造立像。左右の脇侍は軽く膝をかがめ、観音は蓮台を捧げ勢至は合掌するという来迎スタイルです。彼らは髷こそ高く結い上げてますが、衣はシンプルに着こなし、阿弥陀如来のお顔も心なしか若々しくハンサムな明るい顔立ち。暗さに慣れた目で、心ゆくまで金色に輝く来迎三尊の清々しい姿を愛でると、満足して御堂を後にしました。車に乗り込もうとすると、急に中年の女性が御堂に現れ開いていた戸を背後でぴしゃぴしゃ閉じていきます。どうも御堂に風を通していた所を勝手に上がりこんでいたようです。どうも失礼しました。

  • あまり寄り道をしていては帰り着けないと、一路車は家路をたどります。他にもあちこちに仏がいるのは判りました。しかし彼らに確実に出会うには、更なるリサーチとアポが必要である事も判りました。次にこの仏の里を訪ねるときにはどのような出会いが待ち受けているのでしょうか?またそのとき仏ラーではない家族を口説き倒すことは出来るのでしょうか?

  • たくさんの宿題を残し今回の旅は終わりました。予想外の出会いが多かったため、記憶や記録が不備に過ぎるのですが、あまり知られていない日本のディープサウスの仏情報を少しずつでも纏めていければと思っています。では、その辺りまとまりましたら改めてご報告いたします。

by ぱらいそ堂さん

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