秋の八ヶ岳
 
1999年10月10日体育の日。




 5時半に家を出発。6時15分はもちろん、その後の高尾発松本行きにも間に合いそうにない。
 新宿までくると、新宿、三鷹間不通のアナウンス。万事休す。しかし、京王線で高尾まで行ってみようかと思う。だめなら高尾山に登って陣馬まで行って帰ってくればよい。
 高尾で小淵沢行きにジャスト接続、ラッキーである。しかし、相当時間が遅れているので、予定を変更しなくてはならない。予定では、稲子湯を経て本沢温泉泊まり。翌日天狗に登るつもりだった。稲子湯までのバスは小海線の小海発で一日三本。十一時25分をのがすと夕方になる。茅野駅から比較的頻繁に出ている美濃戸行きに乗る方がいいだろう。それに、この際泊まったことのある赤岳鉱泉に泊まるのが安全だ。連休の人出で、どんな扱いをうけるやもしれぬ。
 赤岳鉱泉までは、知った道のはずだが長く感じる。体力が衰えているせいなのだろう。
バテバテでたどり着く。
 宿で特筆すべきは、テラスから真っ赤な夕陽をあびた大岩壁が見られたこと。新潟から来たという老夫婦と親しくなり「八海山」をごちそうになったこと。「八海山」は地元ではあの「越の寒梅」より評価が高いとのこと。普通に飲めば一杯数千円もする酒を只で飲ませてもらった。「八海山」を造っている会社を定年になったばかりというご主人の温和な顔が印象的だった。
 翌日は六時出発。7時半硫黄岳到着。なかなかの出足である。途中自転車を担ぎ上げている人に出会う。こんな山の中で自転車に乗ってどうするつもりなのだろう。素晴らしく晴れていて、南アルプス、中央アルプス、北アルプスが全部見えた。特に槍ヶ岳が鮮明に見えたのには感激。硫黄の爆裂口を右手に見ながらから岩場を下り、夏沢峠にでる。山びこ荘でジュースを買い雑談。
 夏沢峠から根石岳に至る道は明るい素晴らしい道だ。樅であろうか、白骨のような枯れた木々が立ち並んでいる。根石山荘という小さな山小屋がある。屋根にたくさん石が載せてある。風が強いのだろう。ここからも、山がよく見える。
 東天狗は頂上に近づくにつれ、険しい岩場となる。向こう側が絶壁になっていて近寄れない。一人で登る孤独感と恐怖を感じる。狭い頂上に人がたくさんいる。ここにも何の必要か自転車を担いできた人たちがいる。ヘリコプターが岩場の回りを旋回している。気をつけろという警告なのだろう。
 引き返して本沢温泉にいくつもりだったが、あの恐い道を降りるのがいやで、人の後について先に進むことにした。真っ黒な岩の崖である。崖をおりても岩また岩である。膝を痛めたようだ。ひどくスピードが落ちる。自分が膝を痛めやすいことを、その時になって思い出した。あまりにも久しぶりの山行だったのだ。
 途中、幼児を二人つれた夫婦に出会う。男の方が一人を背負い、もう一人は母親と一緒だ。しかし、子どもが転んで岩に頭をぶつけたり、岩の間に落ちでもしたらどうするのだろう。とても私には真似ができない。振り返ると双峰の天狗が見事だ。
 比較的平坦な岩場を下り、最後に急な崖を下ると黒百合ヒュッテの前にでた。自然保護を主張する小屋なのか、立ち入り禁止のロープがやたらに張られている。
12時半。そろそろバスの時刻が気になる。あたりにいた大部隊が諏訪側の渋の湯にむけて出発した。会話からすると、残っている大勢の人たちも、渋の湯でバスに乗るようだ。混雑が予想される。
 ここは一つ、佐久側に出て、みどり池経由で稲子湯でバスにのろうと考えた。あまり、時間的には変わらないのに、どうしてみんな渋温泉に向かうのかわからぬ。
 みどり池への道は、急な道を下りきると苔が茂ったすばらしい道。ブナ林が美しい。一時間でみどり池のしらびそ小屋に着く。太陽電池で発電をする大規模な設備があった。数人が休んでいる。みどり池はうすい緑色の水が神秘的である。正面に稲子岳の大岩壁がそそりたっている。
 バスの時間が気になり、休憩せずに出発。老人二人に追いつく。この人たちも稲子湯でバスに乗るそうだ。膝と足首が痛み、下りは地獄である。一足ごとに叫び声をあげたくなる。老人の二人連れと同じくらいの速度しか出ない。誰かそばにいるほうが安心なので、あまり遅れないようにして老人たちについていく。いざという時には助けてくれるかもしれぬ。途中男女四人の中年パーテイに追い越される。
 稲子湯着3時。最終バスまで一時間ある。稲子湯は、鄙びた昔ながらの温泉という感じ。車で来る人が多いようだ。夫婦には見えない中年の男女もいる。若い女性のグループもいる。男四人で車で乗り付ける人はきっと麻雀をやるのだろう。
 バスの時間が気になって昼食をとらなかった。リュックの中から宿でつくってもらった握り飯を出して食べる。食べ終わるとぼんやりしてしまう。何もしないことがこれほどの快楽であるのか、と驚きながらバスを待つ。