ビオラ  
 
 
 母はたくさんの子どもとたくさんの孫を育てるのに自分の人生を費やしたので、老後に趣味と呼べるものがなかった。社宅に住んでいる時、近所の人にさそわれて習字も花も茶道もやっていたが、少し上達すると資格を取ることを勧められ、そのためにお金がかかる。子どものことを優先させた母はあっさりと全ての習い事をやめてしまった。
 晩年の母が楽しみにしていたのは花を育てることくらいだったろうか。それも歩行が思うようにならなくなってからは、窓から小さな庭に植えられた花を眺めるだけになった。それで、私は帰省するたびに庭に植える花をたくさん買って帰った。
 残念ながら、その庭は日当たりが悪かった。一日に2時間くらいしか日が当たらない。おまけに砂地なので水持ちが悪く、水遣りが出来ない日が少し続くと簡単に花は枯れてしまう。
いろいろなものを植えてみてもなかなかうまく育たなかったが、偶然に植えたビオラは珍しく順調に大きくなった。日当たりは良いにこしたことはないのだろうが、2時間ぐらいの日照でも十分にたくさんの花をさかせる。何よりもほとんど水をやらなくて良いのがありがたい。スミレの改良品種だけに強い花である。雪に埋もれても、雪が解ければすぐに花を増やす。その強さに母は何度も賞賛の言葉を口にした。
 居間の椅子に腰掛けてそこから見えるビオラを一時間も二時間も眺めていた母の姿が思い出される。その時の母の顔は穏やかだった。絶え間なく襲ってくる妄想から束の間解放される貴重な時間だったのかもしれない。