海のかけら   風見 梢太郎 
     1998/03/23:「随筆・エッセイ」−「随筆・エッセイ・覚え書き」




  私が初めて沼津を訪れたのは、関西から東京に出てきてから一年くらいたった

時だった。その頃、私は青梅にある会社の独身寮に住んでいた。テニスか何かの

国際試合を都心まで見に行ったのだが満員で入場できず、このままふらりと小旅

行に出たような気がする。月に一度だけ土曜が休みの日があって、多分、その日

はその土曜日だったのだろう。

  いきあたりばったりの旅であり、沼津で降りたのも、芹沢光次郎の小説に出て

きた街なので一度見ておくか、と言った軽い気持だった。当時、私は芹沢光次郎

の自伝的大河小説「人間の運命」に強く惹かれていた。苦学して学問の道を目指

す主人公が私の境遇に重なったからである。

  市街地を過ぎて海が近くなると、私はあたりの景色に異常な親しさを覚えた。

松林が、風の音が、軒の低い民家の群れが私に語りかけてくるような気がした。

これは何だ、と怪しんだが、このあたりの景色が「人間の運命」に繰り返しでて

きたものであるためだろうと納得した。民家の表札には芹沢姓が多かった。

  松林の中にコンクリート造りのしゃれた芹沢文学館があった。私はその存在を

知らなかったので驚き、喜んだ。中に入ると人気はなく、若い事務員がていねい

に応対してくれた。私は、まだ芹沢の作品は「人間の運命」とその周辺の短編し

か知らなかったので、壁を埋め尽くす著書に驚いた。

  文学館を出た時にもまだあたりは明るかった。私は狩野川にかかる橋をわたっ

て千本浜に向かった。小説の中に、主人公の恋人が千本浜から見る海を「松の木

に区切られて、いくつもの海のかけらのようで・・・」と話すところがあって、

その表現がひどく気にいっていたからだ。広大な千本松原を日暮れまで歩きまわ

ってみたが、「海のかけら」は見つけられなかった。林の中から見ると海はたし

かに松の幹に区切られているが、幹のむこうでしっかりとつながっていて「かけ

ら」には見えなかったのだ。しかし私は落胆しなかった。むしろ、若い恋人に

「海のかけら」というロマンチックな言葉を使わせた芹沢の文学的力量をいっそ

う感じた。

  私は、文学館のある浜辺に引き返し、宿をさがした。幸い素泊まりなら泊めて

くれるところがみつかった。薄暗い二階の部屋から遠くに灯りの明滅する海を見

ているうちに、私は、自分が若い日の芹沢光次郎になったような錯覚を覚えた。

ふと、自分も小説を書いてみようか、と思った。

  もともとエンジニアであった私が実際に小説らしきものを書き始めたのは、そ

れから十年くらい後のことだった。