連隊長の死    
 
 
 その老人に会ったのは、私が生まれ育った町のはずれにある大きな忠魂碑の前であった。あたりに人は居なかった。杖を手にした老人は忠魂碑に向かって深々と頭を下げ、上官に対する感謝の言葉を軍隊調の大声で口にした。老人は私の気配に気づいたのか振り返り少し恥ずかしそうな顔をした。
「あんたも、慰霊か」
 老人はバツの悪さを隠すかのように私に声をかけてきた。老人の顔には人の良さがあふれていた。太い立派な眉の下に細い目が優しそうに光り、白い口ひげが上唇を隠していた。頭は半ば禿げていたが、口ひげに目を奪われ、禿げていることは気にならなかった。なかなか立派な顔立ちである。若いころはさぞハンサムだっただろう。
「はあ、特に慰霊ではないんです。ここは懐かしいところなものですから。子どものころによく来ました。久しぶりにこの町に来たので立ち寄ってみました」
 郊外の小山の上にある忠魂碑のあたり一帯は大きな公園になっており、小学校の低学年の時、遠足で来たことがある。その後も気のあった友人たちと何度も遊びに来た。
「そうか。ワシは今日は上官に挨拶に来た。月命日やさかいな」
「お近くですか、おうちは」
「ここから二十分くらいのところにい住んどんにゃ。独りやけどお。あんたは、どこにすんどったんにゃ」
 老人はこの土地の言葉を使った。私がT町と答えると、老人は意味ありげに頷いた。T町は、大阪に本社があるT紡績の主力工場に勤める人たちが住んでいるところで、地元の人たちとは一線を画しているようなところがあったのだ。
「親父さんは戦争に行かれたか」
「ええ、スマトラに行っていたそうです。この町に来る前のことだそうです」
「そら、ええとこに行っとられたな。ジャワの極楽、ビルマの地獄じゃ」
 父から戦争の悲惨な話を聞いたことはなかった。島を占領する時に戦闘はあったが、その後は島を守る守備隊に属し、終戦まで戦闘に巻き込まれることはなかったのだそうだ。本当に悲惨なことを経験しなかったのかどうかわからなかったが、とにかく父はそういった話をしなかった。
「あなたも戦争に行かれたのですか」
「うん、地獄の方のビルマに行っとった」
 戦争が終わってから七十年がたっているので、この老人は九十歳を超えているにちがいない。
「そうですか。僕の中学の先生もビルマに行っておられたと聞きました」
「この町には連隊があってえ、地元の人らはあ、そこに入れられてえ、みんなビルマに連れていかれたんにゃでよ。ジャングルの中では食べるものがなくてえ、ヘビもカエルも食べたでえ。村があれば押し入って米や家畜を取ったんにゃ。今考えたらほんまに悪いことしたと思てる」
「その先生は戦闘で負傷され、右腕がありませんでした。時々戦争の話をしていただきました」
 その先生の話では、終戦の前前年、この町にあった連隊から補充兵三千人近くがビルマの奥地に送り込まれたが、戦死者、戦病死者は二千人を優に超えたとのことだった。補充部隊なので結婚して子どものいる人もいたそうだ。
「わしらあ、連隊長に命を救われたんにゃ。だいぶ歳をとっておられたがあ、ええ隊長さんでのう。階級は大佐やった。隣の県の出の人でえ、なにか確認するときは『わかったか』と言わず『えか』と言うた」
 話が長くなりそうだった。
「お座りになりませんか」
 立っているのが辛そうに見えたので、私はそう声をかけた。
「ありがとう」
 そう言って老人は階段の方に歩きだした。杖を持っていない方の手を宙に漂わせる危なっかしい歩き方だった。転ぶといけないので、私は慌てて老人を追いかけた。
 階段の一番上に私たちは並んで腰を下ろした。もう日は翳っていたが、秋の陽を一日中浴びた階段は暖かさを残していた。
「あんた、時間はええのか」
 老人は腕をひねって時計を見た。
「ええ、今日は駅前のホテルに泊まります。明日、この町の友人たちと会う予定があるものですから」
 老人は安心したような顔つきになって話を続けた。
「ワシはその連隊長の当番兵をしとったんじゃ。当番兵って知ってるか」
「ええ、解ります。父から聞いたことがあります」
 当番兵は将校の身の回りの世話をする兵卒であり、よく気がつく優秀な兵が選ばれるとのことだった。当番兵との相性は将校の働きにも影響したようだ。「当番」と名がついているが日替わりではなく、かなり長期にわたり一人の将校に仕えるのが通例だった。兵を知りぬいたベテランの下士官が人選するのだが、気に入った当番兵を得ようとその下士官に激しく圧力をかける将校もいたそうだ。
「優しい隊長さんでのう、ワシにようしてくれた。殴られたことなど一度もなかった。二人になるとお、『ワシらは望んで軍人になったが、おまえらは言わば無理やりひっぱられて来た。死なせては申し訳ない』と言われることがあったんにゃ」
 老人の口調に熱がこもり始めた。老人の語ったことによれば、部隊は、圧倒的な装備をほこる連合軍に追われてビルマ中部の軍事拠点都市にたどり着いたが、その時にはもう将兵の数は半分に減っていた。連隊は新しい師団に組み込まれ、息つく間もなく、その町の北部に位置する高地を奪取するよう命令をうけた。夜襲をかけて陣地を奪うのだが、夜があけると敵の飛行機による激しい爆撃により再び奪い返された。攻撃をかけるたびに夥しい犠牲がでた。しかし師団からの高地死守命令は変わらなかった。
「このままではあ、連隊が全滅することは明らかやった。そんでもお、命令は絶対やねん」
 老人は大きく息をついた。
「連隊長は苦しんでおられたけどお、総攻撃と決められた日の前の晩にはあ、何かが吹っ切れたような顔つきをしておられたんにゃ。もちろんワシも覚悟を決めとったあ。あの状況ではあ、総攻撃は全員玉砕のことやったからなあ。その晩はあ、連隊長はあ、ワシの家族のこともお、尋ねてくれたんにゃでよ」
 老人の話は続いた。翌日の早朝、部隊を丘の麓に残したまま、連隊長と大隊長はそれぞれの当番兵たちとともに、敵陣地の近くまで忍び寄った。不思議な行動だった。連隊長はおまえたちは残っておれ、と言った。そして大隊長をつれて敵陣に向かった。まもなく銃声と怒声、叫び声が聞こえた。二人は帰ってこなかった。しばらくして敵の弾が激しく襲ってきたので、われわれは麓の連隊に向けてさがった。命令する者を失ったため、連隊の将兵は混乱の中を師団のある拠点都市にむかった。敵はその都市をも襲ってきた。師団の幹部は真っ先に車で南に向かって逃げた。高地死守の命令などもう無効だった。
 新連隊長の元、敵の追撃の中を弾薬も糧秣(食料)も尽きたまま、連隊はジャングルの中を南へ、南へと逃げた。ビルマ南部で終戦を迎えた時、それでも七百人ほどが生き残っていた。その時になって、ようやくあの連隊長と大隊長の行動の意味に気づいた。どうしたら部下の命を救えるかを考え、自分たちが真っ先に敵に突っ込んで死ぬことを決心したのだ。総攻撃の命令を出す者が居なければ、部下が自分の判断で後退しても命令違反にはならない。敵前逃亡の罪で銃殺されたり自決をせまられることもないはずなのだ。
 あたりはもう薄暗くなっていた。
「さあ、そろそろ帰りましょうか」 
 私がそう声をかけると、老人は頷き、立ち上がった。
「今日はワシの話を聞いてくれて本当にありがとう。嬉しかったあ。連隊の戦友会も解散してしもうて、連隊長の話をする機会ものおなったんでなあ」
 そう言って、老人は私の手をにぎりしめた。
                  
(終)