空言
 
 私に与えられた席は、細長い部屋の奥から二番目のブロックの窓際だった。隣に席はあったが、ケーブル類が積み上げられ、誰も使っていないようだった。目の前の仕切り板の向こうには人の気配があった。窓からは建物の隙間を通して遠くに相模湾が見えた。
 私はダンボール箱から本や雑誌を取り出して机の上に並べはじめた。四月の初めの人事で、私の所属していた研究グループがそっくり北関東の支所に移った。私をはじめ家庭の事情などで異動できない者が同じ敷地にあるあちこちの研究グループに移された。私は、インターネットを使ったサービスを研究するグループに配属された。
 仕切り板の向こうから電話の声が聞こえた。
「だから、さっき言ったじゃないか。何度同じことを聞くんだ」
 居丈高な口調だ。
「もしもし、いいですか。君は、どうしていつも状況説明するのにそんなに時間がかかるの」
 執拗にくり返す声がだんだん大きくなってきた。仕切り板の向こうに立ち上がった男の姿が見えた。きちんとネクタイを締めた中年の紳士だった。
「いつまでもそんなこと言っていると首だぞ、首」
男は電話を片手に、怒鳴りながら非常口の方に歩き、ドアを開けて出て行った。大変な職場に来てしまった、と私は思った。
 背中に人の気配を感じたので振り返ると、グループリーダーの石田が立っていた。
「少し騒がしい席ですが、我慢してください。そのうちに席替えしますので」
 石田は申し訳なさそうにヒソヒソ声で言った。
「まあ、騒がしいのはかまいませんが、大丈夫ですかね」
「原口君のことですか」
「ええ、ああいう風に怒鳴ると、最近はパワーハラスメントだって訴えられたりするんじゃないですか。首だって怒鳴ってましたけど、そういう言動は許されないですよ」
 石田は一寸迷ったような表情を見せたが、私の耳に口をよせた。
「大丈夫です、その点は。あの電話、誰にもつながってないんです」
「どういうことなんですか」
「彼、出向で猛烈に忙しい開発部門に管理者として行ったんですが、そこでおかしくなってしまって・・・」
 石田はそう言って溜息をついた。