失職時代    
 
                       
 
 その日、和比古君は上機嫌だった。私の用意したビールを飲み尽くし、自分の持ってきたウイスキーの箱をあけて、あおるように飲んだ。和比古君は二年ほど定職がなく、コンビニや飲み屋でアルバイトを断続的にやっていたのだが、やっとネットビジネスの会社に正式に就職できたのだ。そこは携帯電話向けの広告ホームページを作成する会社で、いまグングン業績が伸びているようだ。和比古君の大学のクラブの後輩が始めた会社なのだそうだ。
 楽しそうに仕事の話をする和比古君をながめながら、私は、この若者の本当の顔を見た思いがした。
 私が和比古君と初めて会ったのは、一年ほど前の山小屋であった。その時、私は、妻を亡くした冬の寂しさを、山に入ることで紛らわそうとしていた。
 山小屋に現れた和比古君はおよそ冬山に不似合いな身なりをしていた。靴は普通の革靴であり、リュックはなく、鞄さえもっていなかった。顔に擦り傷があり、血が流れていた。和比古君は、道に迷ったのだ、と言ったが、私は和比古君が人生に決着をつけようとしていたのではないかと思った。
 私は、和彦君のことが気になって、夕食の時に声をかけ、大部屋では隣に席をとった。着ているものや無精ヒゲをはやした顔つきから、私は和比古君が失業しているのではないかと思った。私は教訓めいた話など苦手だったが、自分が職を転々とし、失業していた時期もあったことなどをそれとなく話した。翌朝、小屋を出る時私は自分の住んでいるところを教えて、遊びにくるように言った。
 山から帰って一週間ほどたったころ、和比古君が私のマンションを尋ねてきた。それから月に一度くらいの割合で和比古君は私のところに来るようになった。私は、和比古君が中堅商社に勤めていたエリート社員であったがリストラにあったことや、離婚して一人で暮らしていることなどを知った。
 テレビが十時の時報を告げた。和比古君は残ったウイスキーをぐいと飲みほすと「じゃあこれで」と言って立ち上がった。
 玄関で靴を履いたあと、和比古君は、少し迷った様子を見せながら、私にリボンで飾った小さな薄い箱を渡した。
「なんだ、これは」
「プレゼントです、お世話になった」
「こんなこと、いいのに」
「いや、ぜひ受け取ってください」
 そう言って和比古君は遠慮する私にその箱を握らせた。和比古君がおぼつかない足取りで出ていってから、私は居間にもどり、包装紙をはがして箱を開けてみた。中には五千円の商品券が二十枚入っていた。
 私はふと、和比古君がもうこの家にはこないつもりなのだろうか、と思った。商品券の額の多さが、自分の不幸な時代のことは記憶から消してくれ、と言っているような気がした。
 案の定、和比古君はぷっつりと来なくなった。私は寂しい気がしたが、和比古君が私を必用としなくなったのは、ある意味ではいいことなのだ、と思った。
 最後に会ってから一年くらいたって、和比古君からハガキが来た。ネットビジネスは競争が激しく、技術者を引き抜かれて会社が潰れ、また失業している、と書かれていた。私は和比古君の携帯電話に電話をしてみたが、使用出来なくなっている、というアナウンスが流れるばかりであった。私は再びハガキを見つめた。字がひどく乱れているのが、気になってならなかった。