白い海
 
                         
(1)
 
 夕刻になっても風はおさまらなかった。海面は暗く、もう対岸の山や空と見分けがつかなくなっていたが、波打ち際から沖まで続く鋭い波頭が異常に白く見分けられた。
 私は腕組みしながら歩き続けた。岬を回りこむ細い道は海面から数メートル高く、波打ち際と道の間には椿やアジサイが植え込まれていたが、それでも時々細かな波しぶきが降りかかってきた。入りくんだ磯に打ち寄せる波は不気味にざわめき、風の音が神経を苛立たせた。波に侵食されて海中に残った無数の岩は、斜めに傾いた地層が岸にむかって持ち上がり、まるで野獣がいっせいに吠えかかってくるように見えた。
 私は自分の精神が不安定な状態にあることに気づいていた。眠れないと困るので、少しは体を動かそうと思って夕食後散歩に出たが、憂鬱な心の状態は軽くはならなかった。こんな状態で月曜日を迎えなければならないのが辛かった。
 金曜にあった面談のことがずっと私の頭から離れなかった。
「このままではぎりぎりのCだぞ、これからはDになるかもしれんぞ」
 研究室長の桐原のしゃがれた声がはっきりと耳に残っていた。
「もう一度書き直せ、もっと自分の成果を強く押し出すんだ。小さなことも成果は全部書いておけ。タダでさえもあんたのテーマは上の評価が悪いんだ」
 私のテーマは米国のマサチューセッツ工科大学と日本のK大学間で行われる遠隔講義システムの構築に関わるものだった。研究として面白いテーマはたくさんあるのだが、金儲けにはなかなかつながらなかった。桐原は、そろそろインターネットのサービスで儲かりそうなテーマを見つけろと何度も言った。研究所の親会社のD通信社は、全国的通信網を所有していたが、ネットワークを使ったサービスのアイデアと実施技術を研究所に強くもとめていた。その一環として私たちの研究部では、研究・開発がインターネット上の検索サービス技術に移行し始めていた。私のグループは、ネットワークを使った教育の分野では、学会でも注目を集めてきたが、「もうけ」につながる研究・開発が強調されはじめてから風当たりが強くなった。中心になっていた二人のベテラン研究者が、この研究所に見切りをつけて大学に去っていった。
 桐原はかっては「褒め上手」で、若手研究者の受けもよかったが、最近、部下を褒めなくなった。桐原は成果主義賃金のための評価に責任を持たされていたので、評価が低い人たちから理由を問われれば説明する義務があった。桐原は用心深くなって、日頃から、部下の欠点を指摘しておくことを覚えた。こうしておくと、ボーナスや月例賃金の評価で、文句が出にくいのだ。
 成果主義賃金が導入されて、毎月の給料とボーナスに差がつくようになったのは三年前だった。昨年は裁量労働制が導入されて、残業が一律の手当てで支払われるようになったが、手当ては実際の残業代にはるかに及ばないものだった。それで給与は大幅に下がった。来年の春には、成果主義をさらに徹底させる賃金体系に移行するといわれていた。“新しい処遇体系”と名のついた資料が職場で回覧されたが、「究極の成果主義賃金」と噂されるほど極端なものだった。年齢によって加給される年齢賃金部分や家族手当てを含む様々な手当てが廃止され、その分が評価によって大幅に差がつく成果手当て等に回されると書かれていた。最低ランクのD評価をうければもちろん、多くの人が位置づけられるC評価でも場合によっては毎月の給料が下がっていく仕組みになっていた。導入を前提に、組合本部と会社が折衝をやっているのだが、その詳細は伝わってこなかった。週末に組合本部の役員が研究所にやってきて、対話集会がもたれ、そこで経過の説明があるはずだった。
 小さな岬を回りこむと、風が弱くなった。岬の山が東京湾からの東風を遮っているのだろう。左手に上部に鉄条網が張り渡された金網が現れた。立ち入り禁止区域だ。ゆるく下る斜面の向こうにちょっとした突堤があり、その先にコンクリートの筒が半ば水中に没していた。太平洋戦争の時に潜水艦の音を検出するために作られたものだと聞いたことがあった。道は右に曲がり、すぐに斜めの地層がむき出しになった小さなトンネルに入った。天井にはところどころに蛍光灯が灯っていた。蛍光灯は太い針金で覆われていた。石を投げつける者がいるのだろうか。
 トンネルを出るとアスファルトの道に出た。私は波の音に惹かれて、道をたどった。道は、陸地に深く入り込んだ入り江を横断していた。橋の下を覗くと、澄んだ水の中に海草が女の髪のように揺らめいているのが見えた。
 
 
(2)
 
 左手の防波堤に釣り人たちの姿が見えた。釣竿が激しくしなって、太った釣り人が竿を上下させながらリールを巻き上げていた。その男に見覚えがあった。私たちの独身寮に併設されている単身赴任寮にいる永井という男だった。独身寮と単身赴任寮は食堂が共通になっていたので時々顔を合わせることがあった。  
 私が釣り人たちの集まる防波堤の先端に着いた時、永井は、釣り上げた魚の口から釣り針をはずしていた。永井の手元はもう暗かった。
「アジですか」
 と私は尋ねた。
「ああ、そうだ、いい形だな」
 自慢げに笑いをうかべて永井は言った。永井はきちんとした釣り人のかっこうをしていた。野球帽を被っているので禿げた頭が隠れて、普段より若く見えた。定年後の再雇用に応じて働いているので、永井はもう六十をいくつか過ぎているはずだった。
 永井はアジをクーラーボックスに放り込んで蓋を閉めた。魚の動き回る音がボックスからかすかに聞こえてきた。永井は慣れた様子で釣り針にゴカイをひっかけ、リールを巻き上げて大きく竿を振った。
 あたりにいた釣り人たちは、竿をたたみ、帰り支度をして始めていた。私は防波堤に腰を下ろして海面を見つめた。小さな魚が群れになりさざ波を作りながら防波堤の壁際を泳いでいくのがかすかに見えた。
「ちょっとこれを持っていてくれ、お茶を出すからな」
 そう言って、永井は竿を私に手渡した。永井の握っていたところだったのだろう。私の掌に温かさが伝わってきた。永井は懐中電灯を点けてリュックの中に光を伸ばした。
 私は淡い黄緑色に光るウキを見つめた。波間をゆっくりと上下するウキが突然不自然に揺れ明かりが小さくなった。引いているのだろう。それが二度ほどくりかえされてから、今度は明かりがフッと見えなくなった。素早く竿を引くと、糸の先で動きまわる魚の手ごたえが竿を通して伝わってきた。私は立ち上がり、ゆっくりとリールを回し始めた。海面から離れた黄緑色の小さな光りは空中で止まったまま小さく振動していた。それから光は左右に動きながら近づいてきた。
 「おお、かかったな。ゆっくりでいいぞ、ゆっくりで」
 魔法瓶を手にした永井が嬉しそうに言った。
 海面から跳ね上がってきた黒い影が胸元に吸い込まれるように飛び込んできた。私は左手で魚を押さえ、竿を下に置いた。
「本間君、うまいな」
 永井はそう言って懐中電灯で私の胸を照らした。
「アジだな。よしよし」
「いや、釣れるとは思いませんでしたね」 
「釣り、やったことあるのか」
「ええ、子どものころに。父親に教えてもらって」
 私は釣り針を魚の口からはずした。
「こっちだ」
 永井はクーラーボックスの蓋を開けた。私は手の中でヒクヒクと動く魚をボックスに投げ入れた。
 永井は懐中電灯を下に置き、釣り針を光の輪の中に持っていってエサをつけた。かがんだ永井の姿を見て、私はふと父のことを思い出した。単身赴任中に過労死してから、もう十五年ほどたつ。生きていれば、永井ほどの年恰好だろう。
「投げられるか、自分で」
「ええ、やっています」
 私は、錘が竿先近くに来るまでリールを巻き上げ、それから竿を後ろにしならせ、その反動を使って錘を振り出した。ヒューと音がして、黄緑の光が飛んでいった。
 永井はコップを私に渡し、「熱いから気をつけてくれ」と言った。紅茶の匂いの中にかすかにブランデーの香りがした。
 一、二度コツンとウキがゆれ、その後はアタリらしいものはパッタリと来なくなった。
 連れだって帰る釣り人たちが永井に挨拶をして防波堤の根本に向かっていった。
「もう、食わなくなったな。寒くなってきたが、もっと釣るか」
 永井が訊いてきた。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうするか」
 永井はそう言って釣竿を私から受け取った。
「病休のこと、役にたったのか」
 竿をしまいながら、永井が顔をこちらに向けて言った。
「はあ、ありがとうございました。結局その人退職してしまいました。また休職期間残ってたんですが」
 永井は頷いた。
「そうか、残念だったな、本間君たちも努力したんだろうけど」
 そう言われると私は恥ずかしい気がした。
 隣の研究室の小倉は私と同期入社だったが、出社拒否のような症状が出て研究所に来なくなった。携帯のメールで様子を訊いた時、小倉から「どれだけ休むと首を切られるか至急調べてほしい」という返事があった。労働協約に関することなので、職場委員の堀に訊こうと思ったが、堀はオーストラリアの学会に出かけていた。
 結局そのことを、私は永井に訊いた。そのころは、永井には春山という同年輩の相棒がいて、しばしば寮の食堂で大声で話していた。話題は、研究のこと政治のこと組合のこと、何でもあった。二人とも共産党員であるようだった。当選しないのだが永井は春山を選挙責任者として毎年組合役員の選挙に立候補していた。だから、協約には詳しいはずだと私は思った。それで、食堂にほかに人が居ない時を見計らって、私は永井に病気休暇のことを尋ねた。「給料の出るのは三ヵ月、それ以上は休職になる。給料は一年目は八割、それ以上は無給で三年が限度だ」と直ちに答えが返ってきた。そのことを小倉につたえたこと、引越しの手伝いをしたこと、これが私が小倉にしてあげられたことのすべてだった。
 永井と私は肩をならべて防波堤の根元に向かって歩き出した。防波堤の両側の海は、さっきより暗さが増したようには見えなかった。暗いのは陸地であり、海はほのかに明るかった。
「研究所のあちこちで心を病む人が増えてるな」
 永井は溜息をつくような調子で言った。永井は私と研究部が違うし、私は病気休暇のことを訊いた時小倉のことを話したわけではなかった。しかし、永井は退職したのが小倉であり、彼が精神を病んでいたことを知っているようだった。
「この会社だけでなく、成果主義賃金を導入した企業はどこでも心身を病む人が激増しているんだ」
「そうなんですか」
 小倉の病気が成果主義賃金と関係あるかどうか、はっきりとはわからなかった。しかし、成果主義が導入されて研究室にピリピリとした空気が漂いはじめたことは確かだ。査定を行うための面談日の前後は、私もひどく緊張しそして憂鬱な気分になった。そう言えば、小倉の退職は会社が“新しい処遇体系”を発表した直後だった。病気を治して会社に出てきても極端な成果主義賃金の中で生活の見通しが立たないと思ったのかもしれなかった。
 防波堤の根元に来ると、永井はちょっと待っててくれ、と言い残して暗闇に入っていった。闇から出てきた永井は自転車を牽いていた。
「永井さん、お先に。私、ゆっくり歩いていきますから」
「いや、いいんだ、牽いていくよ」
 そう言って永井は自転車を牽いて歩きはじめた。車輪の回転につれ、ライトが弱々しく点いたり消えたりしていた。
「これから私の部屋に来ないか」
 切り通した道の向こうに寮の明かりが見えた時、永井が言った。
「そうですね」
 心が動いたが、明日のことが気になった。査定に使われるチャレンジングシートを書き直して午前中に提出するように言われていたのだ。
「おいしいワインがあるんだ。君の釣ったアジも料理するぞ」
「はあ、今日はちょっと」
 私が答えると、永井は、じゃまたいつかと、あっさり言った。断られることに慣れているような口調だった。
 
(3)
 
 翌日の夜、私は永井の部屋を訪ねた。チャレンジングシートを再提出して気分が少し楽になり、永井と話す気持ちになったのだった。
 半開きのドアから顔をのぞかせた永井は一瞬意外そうな顔をした。それから、その表情を強く打ち消すかのような笑顔になった。
「さあ、入りなさい」
 永井はそう言ってドアを大きく開けた。永井の部屋は私の部屋の倍くらいの大きさがあった。部屋の隅に簡単な流しとレンジが付いていた。家族が来た時に一応食事が作れるようになっているのだろう。部屋の中は綺麗に片付いていた。
「そこに座って」
 永井はソファに向かって顎をしゃくった。
「とりあえずワインだな」
 そう言って、永井は流しの脇にある棚からワインのボトルと脚の長いグラスを取り出した。それから永井はレンガのように大きなチーズをナイフで切って皿にのせた。永井はそれらを両手いっぱいに抱えてやってきた。
「イタリアで買ってきたワインなんだが、なかなかおいしくてね」
 永井はボトルの口に差し込んだ三角錐の栓を抜いて赤紫の液体をグラスに注いだ。
「カンパイ」
 永井と私はグラスを軽く打ち合わせた。
 一口飲むと、甘い香りと上品な渋みが喉の奥に広がっていった。チーズは少し粘っこい味がしたが、燻製の味が少し遅れて舌にやってくるのが面白かった。
 永井は立っていって、冷蔵庫の扉を開け、ガサゴソと音をさせた。私はあらためて部屋を見渡した。部屋の二つの壁は天井まで届く本棚が置かれ、隙間なく本が並んでいた。窓に向かって机があり、窓の脇の壁には水彩画が掛けてあった。俯瞰した角度で描かれた岬と海に、私は見覚えがあった。
「あの絵、誰が描いたんですが」
「ああ、あれは、春山さんだ。春山さんと言ってもわからないかな」
「いえ、わかります。食堂でいつも永井さんと話していたひとでしょう、白髪の」
「そうそう、よくしってるな」
「研究所から見える景色ですか」
「ああ、十階のラウンジから見た相模湾側だ」
「やっぱり」 
「春山さんは退職する前に、研究所のあちこちの絵をかいたんだが、その中の一枚をもらったんだ」
「そうですか、いい絵ですね」
「私も好きなんだ、彼の絵は」
 永井は両手に大きな丼を持ち慎重に歩きながら言った。この人たちには独特の豊かな精神生活がある、と私は思った。
「君の釣ったアジも入っているぞ」
 そう言って永井は丼をテーブルに置いて向かいの席に座った。
「保存するためにカラアゲにしたものを酢醤油につけておいたんだ」
 永井はどんぶりから汁の滴るアジを小皿に移した。永井は私のグラスにワインを継ぎ足した。
「ところで、本間君は、今度の対話集会ではどんなことを喋るつもりなの」
「対話集会ですか」
 私は力なく言った。重要な課題がある時、組合の本部役員が来て研究所の組合役員と対話集会を開くのだった。参加資格は本来職場委員以上ということになっていたが、最近は一般の組合員も希望すれば参加できるようになった。
 私は、できれば対話集会に参加したくないと思っていたが、永井が出席するのは当然という口調だったので、出席しないとは言いかねた。
「そうですね、まあ、聞くだけは聞きにいこうと思いますが。喋るのはどうも」 
「組合本部の提案も基本的には会社の提案とかわらない。会社が無茶な案を出して、組合が少しだけ修正するといういつものパターンだ」
「組合の案、読まれたんですか」
「ああ」 
 組合の提案は対話集会の直前に配られることになっていたのだが、永井はどこかから早めに手に入れたのだろう。
「とんでもない提案だ、今度の処遇体系の見直しは」
「ええ、そのようですね」
「ぜひ発言してほしいな、私だけが何回も質問するわけにいかないからな」
「そうでしょうね」
 職場委員が不在の時に頼まれて代理で対話集会に参加したことがあった。その時、永井と春山ともう一人私の知らない人が、本部役員に執拗に食い下がっていた。そのうちに若手の研究者からも質問が出始め、本部役員が立ち往生した。今回は春山はもういない。対話集会では永井が孤軍奮闘することになるのではないだろうか。
「わからないところを素朴に訊くのがいいんだよ。とにかくわかりにくいんだから」
「まあ、できれば」
 ワインの酔いが私の気持を大きくしていたが、それでも私は慎重に答えた。
 それから永井の話は、都心の研究所にいた時のこと、研究部ごとこの支所に移転する話が出て反対運動をしたことなどに移っていった。若い頃、永井は、光ファイバーの研究で有名だったが、その後、思想的理由で研究から遠ざけられていたようだった。
 
(4)
 
 翌々日、夜遅く寮の部屋にもどり明かりをつけると、、床に封筒が転がっているのが目に入った。ドアの下のわずかな隙間から差し入れられたものだった。表書きはなく裏に小さく「永井」と書かれていた。私は手にしていたバッグを床に置き、窓際の作り付けの机のところに行って、蛍光灯のスイッチを押した。二、三度瞬き、ピンと音がして蛍光灯が点いた。私は机の上に置いてあった鋏で封を切った。四つ折の紙片を取り出して広げると、几帳面な文字が並んでいた。
「母が危篤状態になったので神戸に帰ります。おそらく対話集会に出られないと思います。“新しい処遇体系”の組合提案の問題点についてまとめてみたので発言の参考にしてください」
 永井の郷里は神戸でだったのだ。私は、永井の言葉にかすかに関西のアクセントが感じられたことを思い出した。私は一枚目の紙片を脇に置いた。二枚目にはパソコンで打ち出した文字がぎっしりと並んでいた。文字は紙の裏にも印刷されていた。
「年齢賃金を廃止する点では、組合案は会社案と同じだが、査定によって大幅に差のつく“成果加算”、“成果手当”だけではなく“資格賃金”にも配分することを求めている。“年功的要素”を残したとの提案だが、“年齢による定期昇給”は、一つ歳を取るとそれなりに視野も広がり、能力も高まるということへの信頼表現であり、そこまで手をつけるのは行き過ぎというのが経営者、経営関係の学者の共通意見だと思うが、組合は何故そこまで踏み込むのか? 年齢賃金廃止に明確に反対し頑張るべきである。また、昇格の有無が職場の人間関係に与える影響をより強くするから、会社の恣意的な評価や査定による被害の救済措置として設けられている“最長在級年数による自動昇格制度”はいっそう重要となる。それにもかかわらずこの制度の廃止を組合が認めるのはどういうことだろう。この提案では、評価が悪ければ、何年たっても新入社員の時と同じ給料が続くことにもなる・・・」
 私は二枚目の紙を持ってベッドの上に仰向けになった。
「年齢賃金を廃止した後、基準内賃金(ボーナスの算定基礎額)は“資格賃金、成果加算、地域加算手当、扶養手当”となるが、年齢賃金から成果手当に回された金額分だけダウンする。討議資料ではこの問題には全くふれていないように読めるが、どうするつもりなのか。そのまま放置すれば、都市手当・研究所勤務手当の廃止でボーナスが自動的に減額されてきたことの二の舞となる・・・。」
 これは私も一番疑問に感じていた点だ。年間のボーナスが数字上四ヶ月だとしても算定の基礎額が大幅に減るとすれば実際に受け取る額は激減する。そんなペテンのようなことまさか、とは思うが、確認すべきだ。最近、会社は何をやってくるかわからない。実際、制度が変わるたびに給料が大幅に減ってきたのだ。
 読み進むとD評価のことにも永井は言及していた。
「D評価は、ボーナスの減額のみならず、即降給、昇格なしとこれまでとは格段に違った処遇になる。懲戒処分より厳しい内容ではないか。組合はこの見直しの機会に、導入時に組合員へ説明してきた内容、“普通に勤務していればあり得ない”に沿って基準を明確にするか、できなければ廃止すべきだ・・・」
 永井の分析と意見は十二項目におよんでいた。私は永井の文章の中に、明晰な頭脳と同時にこの問題にとりくむ並々ならぬ情熱を感じた。しかし、こんなことが永井一人でできるものだろうか。退職した春山なども手伝っているのではないだろうか、と私は考え込んだ。
 それにしても、なぜ永井はこれほどまでに情熱をもって取り組んでいるのだろう。永井自身は再雇用で働いているので賃金は定額の時給である。成果主義賃金はまったく関係なかった。だから、これからの研究所を担う人々のために奮闘しているということになるのだが、それはなぜだろう。共産党の人たちは、自分に直接関係ないことでも人のためになることなら命がけでやるのだろうか。だとすればその好意に少しでも応えなければならないのではないだろうか。
 しかし、集会で発言するのは気が重かった。本部の役員にくらべて、私は余りにも組合のことを知らない。質問が自分の無知をさらけ出すのが私には耐えられない思いがした。それにそういう質問をしたり意見を出したりすることは、会社に反抗的な人間と見られたり、もっとすすんで永井たちの仲間のように思われるのはやはり困るのだ。
 私の頭にすぐに浮かんだのは、いっそ集会に出ないでおこうというずるい考えだった。理由はどうとでもつけられる。出張が入ったとか、仕事のキリがつかなかったとか、体調がわるかったとか、後で永井に一言そう言えばいいのだ。永井がそれをあれこれと詮索するはずはなかった。
 そう考えると気楽になったが、びっしりと紙面をうずめた永井の文章がやはり気になった。
 本部の役員たちは、集会に永井が来ていないことに気づき、余裕の薄ら笑いを浮かべながら、会社の「窮状」を訴え、成果主義賃金のいっそうの徹底の必要性を得々と訴えるだろう。散発的に出る質問や意見を、百戦錬磨の口先でねじ伏せてしまうのではないだろうか。やはりだめだ。あんな提案をあっさり認めていいはずがない。だれかが、はっきりと指摘しなければならない。
 いずれ、永井も研究所からいなくなる。また新たにとんでも制度が導入されようとした時、それに立ち向かう者がいなくていいのだろうか。そういう者がいなければ、生活と研究条件の悪化がとめどなく加速していくのではないだろうか。これは確かにわれわれの問題なのだ。私はそう思った。
 
(5)
 
 私はいきなり立ち上がり、舞台の上に居並ぶ本部役員にむかって早口でまくし立てていた。自分でも何を話しているのかわからなかった。どうやら関西弁を話しているらしい。一度も関西に住んだことのない私がどうして関西弁を話しているのだろう。本部役員たちは、首を横にふったり、手で覆いを作って隣の人に耳打ちしたりしていた。私はテレビに出ている関西の芸人のように喋り続けた。私の目の縁に、しきりと頭を前に傾けて同意を示している若者たちが映った。
「賛成だ」と突然声がして、会場の右手前方にいる男が立ち上がった。男は舞台の方を向かず、こちらを向いて話し始めた。男の声も聞き取りにくかった。よく見るとその男は小倉だった。研究所をやめた小倉がどうしてここにいるのだろう。小倉には普段見るのと全然違う猛々しさがあった。小倉が何か叫んで着席すると、入れ替わるようにいっせいに手があがった。発言を求めているにしては多すぎた。小倉が何かを提案し、それに同意した人が手を挙げたのだろう。カメラのフラッシュがいっせいに光った。なぜ写真をとるのだろう。証拠写真なのか。何度もフラッシュを光らせているのはこの研究所の組合分会のニュースを作っている男だ。写真をニュースに載せるのだろうか。
 舞台を見ると本部の役員たちはピエロのように真っ白い顔になって席を立ち、舞台の隅に集まって円陣を組んでいた。
 小倉は再び立ち上がった。舞台にむかって何か叫んだが、それも聞き取れなかった。振り返った小倉の様子がおかしかった。髪が灰色になっていて若者らしくなかった。よくみるとその男は小倉ではなく桐原だった。そうか、桐原だったからさっきあんなに猛々しく発言したのだ。しかし、桐原は室長だからもちろん非組合員だ。その桐原がなぜここにいるのだろう。今度の提案に桐原もよほど腹をたてているのだろうか。だが室長が組合の対話集会に参加するなど聞いたことがない。誰かが「休憩」と叫び、本部役員たちは円陣を崩して舞台のソデに消えてしまった。
 人のいなくなった舞台の向こうに、見えるはずのない海が広がっていた。いつの間にか壁がガラス窓に変わっていたのだ。もう海は暗かったが、真っ黒ではなかった。あの時、永井と一緒に見たほの白く光をやどした海だった。海は白さを増して盛り上がり、ガラスを突き破って舞台になだれ込んできた。
 
 あっ、と叫んだ自分の声で、私は目が覚めた。夢だったのだ。部屋の中はまだ暗かった。正夢だろうか。まさか、そんなはずはない。しかし、なぜか、永井が来ない対話集会で何かがおこりそうな予感がした。永井は私だけでなく、たくさんの研究者にあの文書を託したのではないだろうか。
 とにかく集会に行って一つだけ質問してみよう。私は寝返りを打ち、明けかかる空を眺めながらそう思った。