最近の話題作と文学の課題
 
−文学サロンへの話題提供 多喜二、太宰、村上春樹はなぜ読まれるか−
 
 
風見 梢太郎 (武蔵野分会)
 
 
 
 
1.      多喜二『蟹工船』の魅力
 
 小林多喜二の『蟹工船』がブームとなって二年余、あらたな映画が上映されたり、人気歌手桑田佳祐が『蟹工船』から文章をとって曲をつくるなど根強い人気がある。派遣切りなど過酷な労働実態、生活に困窮する人の激増などを背景とし、『蟹工船』に描かれた世界に共感を覚える人たちが増えているのだろう。
 
 『蟹工船』ブームの直接の原因の一つに、2008年1月9日の毎日新聞における雨宮処凛と高橋源一郎の格差社会をめぐる対談で『蟹工船』が取り上げられたことがあげられる。又、それに先立って白樺文学館が『蟹工船』の漫画版を出版したりエッセイコンテストを行ったりしている。もちろん、長年にわたって多喜二の作品を研究し普及にもつとめてきた日本民主主義文学会、多喜二・百合子研究会などの力があればこそのブームである。
 
雨宮処凛が『蟹工船』を話題にしたことについては、『民主文学』も大いに貢献している。2008年1月14日に雨宮さんを招いて『民主文学』の座談会が行われた。前もって編集の方から『蟹工船』も指定文献に挙げられていた。雨宮さんはそれを途中まで読んで高橋源一郎との対談に臨んだわけである。民主文学の座談会で雨宮さんは「『毎日新聞』の対談のときはまだ途中で、昨日、最後まで読み終わったのです。すごく泣きました。ビックリしました」と語っている。雨宮さんはこの発言の直後に佐多稲子の「キャラメル工場から」の貧しさについてふれ、「・・・だけどあの主人公には家族がいて、帰ったら湯気がたっているご飯ができている。今のプレカリアート層だと、派遣の寮に帰ったら知らない人が二人ぐらいいて、個室に鍵もない寮でコンビニ弁当を食べるわけです。コンビニ弁当なんていうのはまだぜいたくな方で、私の知り合いにも一束五十円ぐらいのそうめんだけを毎日ずっと食べている人がいます・・・」
 
さて『蟹工船』は当時の過酷な労働実態を見事に反映した小説であるが、芸術作品としても一級品であることを強調したい。冒頭の一文を引用しよう。「――漁夫は指元まで吸いつくした煙草(たばこ)を唾(つば)と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹(サイド)をすれずれに落ちて行った。――」
 
これ以外にも多くのすぐれた表現がある。簡潔な表現の中に鮮やかなイメージを与える文章、これも喜二文学の大きな魅力である。
 
ケータイ小説等がもてはやされる今、若者が『蟹工船』を読む意義はここにもあると思う。
 
 多喜二の作品は『蟹工船』が頂点ではない。『党生活者』などほかに読んでもらいたい作品もたくさんある。また多喜二を含むプロレタリア文学も今、新たに読み返されるべきであると思う。
 
 
2.太宰文学の光と影
 
 今年は太宰治生誕100年ということで文芸雑誌での特集もあり話題になっている。若い人に広く読まれているようだ。モントリオール世界映画祭では『ヴィヨンの妻』が最優秀監督賞を受賞した。
 
「大地主の子弟としての環境で育った田舎風の貴族主義と皮相浅薄な左翼くずれ的な時代思潮観、実生活無能力と蕩児的無頼さと病弱――この地盤に咲いた文学的才能が彼の文学の総和である」(『人間失格』その他――太宰治についての感想)これは1949年の宮本顕治氏の言葉である。少し厳しすぎるかもしれないが、私も共感できるところがある。一方、井上ひさしは太宰の文章をこよなく愛し、太宰の作品を翻訳でなく日本語で読める日本人であることの幸せについて語っている。現代の若者が太宰文学に惹かれるのは「ありのままの弱い自分」をそのままさらけ出すことへの共感からだろうか。まず一作読むなら『人間失格』だろうが、『斜陽』は太宰の恋人の日記をほぼそのまま使った異色の作品であり、没落する貴族階級の描写はリアルである。
 
 
3.村上春樹との付き合い方
 
 村上春樹はノーベル文学賞受賞の呼び声が高く、5月に発売された『1Q84』は爆発的売れ行きを見せた。7年ぶりの長編小説であり、エルサレム賞受賞と記念講演が話題になったので村上作品に対する期待が広がったのだろうが、事前に内容には一切触れないという異例の出版社の戦略が成功したとも言える。読みやすいが作者の意図を捉えることが容易でなく議論をよぶ作品だ。
 
物語は、スポーツインストラクターであり、依頼をうけて極悪な「女性の敵」を自然死にみせかけて暗殺する「青豆」と、予備校の数学教師で小説家を目指す「天吾」を軸に展開する。「天吾」が17歳の少女が書いた小説を書き直して新人賞に応募することをきっかけに、世界が切り替わり1984年は1Q84年になる。空に二つの月が浮かぶこの世界は、閉鎖的な宗教団体「さきがけ」の教祖−リーダー−を通じて世界を支配しようとする「リトル・ピープル」が跳梁する危険な場所だ。
 
 作者も語っているように、この作品の背景にはオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件がある。宗教法人として再出発した「さきがけ」はオウム真理教を強く意識していると思われる。村上がインタビューの中で語っている「オウムにかかわることは、両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった。絶対に正しい意見、行動はこれだと、社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ」という言葉の通り、「リーダー」の言葉は、世間では悪とされている事を相対化しており、これを強く批判する人もいる。
 
 一気に読めるが、読後多くの疑問が残るのは、村上作品の特徴とも言える。もちろんリアリズムの小説ではないので、現実には起こりえない不思議な出来事が展開するのだが、その世界なりの原理やルールにのっとって一貫させるのがこういう分野の作品では重視されるはずだ。しかし村上春樹はそういうことに重きをおかない作家であるようだ。
 
 主人公の父親は満蒙開拓団から無事に日本に帰り、それ以来NHKの受信料徴収を仕事としている。支払いを渋る人たちからの徴収を容易にするために、父は子どもの天吾を連れて仕事をする。天吾はそのことを恨み父親によい思い出もないのだが、死に臨む父と和解を決意する。
 
エルサレム賞受賞時の講演でも、村上は珍しく前年90歳でなくなった父親について語った。父千秋氏は私の高校時代の恩師である。学校内に俳句のサークルを組織した人気のある教師で日本の古典文学に造詣が深かった。村上春樹はこの父に反発して外国文学に傾倒したと言われている。作品には平家物語も登場し、父子の和解は、村上春樹の実生活を反映しているように思えてならない。
 
 村上春樹ほど広く海外で読まれている作家はいない。又日本の若者に根強い人気がある。人気の秘密は「やさしさ」と「自己肯定」のようだ。「自分をダメな人間だと思わなくていい」というのが彼の一貫したメッセージだ。これは彼の実生活の反映であると思われるが「自己責任論」に苦しむ若者にある意味で勇気を与える。これから村上作品を読んでみようかという人には「ノルウェーの森」あたりから入るのがよいかもしれない。珍しく彼がリアリズムの手法で書いた作品である。小説では「海辺のカフカ」より前の作品は比較的良質である。小説全体より部分の鮮やかな印象がいつまでも心に残る作品が多い。また「遠い太鼓」などのエッセイは小説よりはずっと読みやすい。外国での生活が長い村上春樹の見識が感じられる。
 
 
4.そのほかの話題作
 
「しんぶん赤旗」の連載小説には最近力作が続いている。佐藤貴美子「我ら青春の時」、能島龍三「夏空」などである。またサロンでは近・現代の外国文学などにも話題を広げていきたい。