トロリーバス待つ人々から離れ、私は石の上に腰掛けてスケッチブックを開いた。クレーターは直径一キロはあるだろうか。荒涼とした広い草地は、なだらかに高さを変える岩壁に取り囲まれていた。私はどこを描こうかと迷ったが、さっき登ってきた頂上の辺りを描くことに決めた。
鉛筆で大まかな輪郭を描き終わったころ、私は背中に人の気配を感じて体を硬くした。私は絵を描いている時に人に覗き込まれるのが大嫌いだった。直ぐに「Hello!」と陽気な声がした。振り返ると、昔風の丸いメガネをかけた小太りの老紳士が籐の帽子を手にして立っていた。老人は涼しげな白のズボンに薄い青のシャツを着ていた。老人の脇と胸には汗でできたしみが広がっていた。老人の額ははげあがり、周りに残った白髪は短く刈り込まれていた。
「Hello, Mr.!」
と返事をして、私は向き直り、絵を描き続けようとした。すぐに老人が立ち去ってくれるものと思ったのだ。しかし、老人はさらに私に近づき、肩越しにスケッチブックを覗き込んだ。
「Excellent!(すばらしい!)」
と老人は叫んだ。褒められたのはうれしかったが私の集中力は途切れた。岩壁の襞を描き始めたが、鉛筆の線は急にぎこちなくなった。私は絵を描き続けることを諦めた。
「Have you climbed to the top of Diamond Head?(ダイアモンドヘッドの頂上に登ったのですか)」
私が尋ねると老紳士は大きく頷き、小さなバッグから黒い表紙の手帳を取り出した。
「頂上でスケッチしました」
流暢な日本語でそう言って、老紳士は私の隣に座り手帳を開いて私に見せた。頂上の展望台から見たワイキキのホテル群をペンで乱暴に描いたものだった。ビルは四角い箱のように単純化され、どれも変化がなかった。建物の窓をあらわす線のいくつかは無造作に建物からはみ出していた。私はすぐに褒め言葉が見つからなかった。私は、ナイス、とだけ言って話題を変えた。
「日本語をお話しになるんですね」
「ええ、少しだけ」
「とてもお上手ですよ」
「ありがとう」
老紳士は手帳を繰って次々と絵を見せ、どこを描いたのか一つ一つ説明した。どの絵もうまくなかったので、かえって私はこの老人に好意を持った。老人は絵を自慢したかったのではなく、私と親しく話すために絵をみせたのだろう。
エンジンの音が高く聞こえた。停留所の方をに目をやると、ゆっくりとバスが発車するのが見えた。しまった、バスはこれから一時間余りないはずだ。私は立ち上がり、「待ってくれ」と大声をあげたがバスは速度をあげて平原を突っ切り、岩壁に穿たれたトンネルの中に消えてしまった。
私は呆然として、バスの消えたトンネルを見つめた。冬の日はすでに大きく傾き、クレータの中に岩壁の影が伸びていた。これから一時間たつと暗くなってしまうだろう。
「悪いことをしましたね」
申し訳なさそうな声で言ったが、老紳士の態度は落ち着いていた。
「トンネルを抜けたところに、トロリーバスの停留所があります。そこで折り返してワイキキに帰るバスがあるはずです」
「どれくらいかかるんですか、そこまで」
「十五分くらいです」
これは助かった、と私は思った。
行きましょう、と私に声をかけて、老紳士は先に立って歩き出した。私はスケッチブックをショルダーバッグにしまって後を追った。老人は背丈は私と同じくらいだったが、背中や腰がひどくがっしりしていた。太い首の後ろの部分には脂肪がふくらみ襞をつくっていた。
老紳士の言ったとおり、トンネルを抜けたところにバスの停留所があって、そこにボディのかわりに真鍮のパイプをめぐらせたオープンなトロリーバスが待っていた。私たちは急いでそのバスに乗り込んだ。ほかに客はいなかった。席につくと、私は急に気持ちが軽くなって、あらためて老紳士に自分を紹介した。老紳士はチャールズ・ブルックと名乗り、開けっぴろげな調子で話しはじめたた。ブルックス氏は、イギリス系カナダ人だと言った。バンクーバーにある大学で資源探査の研究をしていたが、七年前に定年で引退し、今は学会の世話役をしたり本を書いたり旅行をしたりしているとのことだった。家族はいないのだ、と少し寂しそうに言った。
ブルック氏は、今日は迷惑をかけたのでお詫びに食事に招待したい、と言った。私の頭を警戒心が翳めた。旅行案内書に、身なりのよい紳士が親しげに話しかけてきて怪しげなバーに誘い込み法外の料金を請求することがある、と書かれていたのを思い出したからだ。しかし、ブルック氏の口にしたレストランの名前が有名なホテルの中にあるものだったので、私の警戒心は薄らいだ。私はパスポートやカードや高額紙幣を全部ホテルの金庫に預けてきた。万が一手持ちの金を全部取られてもたいしたことはない。行ってみよう、と私は思った。私はブルック氏ともう少し話してみたい気がしてもいた。父親を早く亡くしたので、父親くらいの年代の人を見ると、私の胸には憧れのようなものが混じった親しみが湧き起こることがあった。四十年余を生きてきた私には、多少人を見る目も養われているはずだ。私の直感は、ブルック氏が人を騙すような人物でないことを告げていた。
そのレストランはホテルの広い中庭の一角にあった。席の半分は屋根つきであり、半分は波打ち際に近い屋外だった。ブルック氏はどちらがいいかと訊いたので、私は屋外と答えた。席につくと、すぐにウェイターが笑顔で注文を取りに来た。ブルック氏はこのホテルに泊まっているのでウェイターと顔なじみらしかった。ブルック氏は「好きなものを頼んでください」と言った。メニューを見て私が迷っているとブルック氏は、「やぱりココは肉だねえ」と言ってステーキを二つ注文した。私は血の滴るのは困るので、よく焼いてくれるようにウェイターに頼んだ。
中庭の真ん中には、底に欄の花のモザイクがある美しいプールがあった。日暮れが近いのでもう泳いでいる人はいなかった。
小さなビンに入ったビールが二本来た。ブルック氏はビンを手に取り、私のグラスを満たした。私がビンを手に取ろうとするのを制してブルック氏は自分のグラスを満たした。
「カンパイ」と声を出して私たちはグラスを軽く打ち合わせた。ブルック氏は嬉しそうだった。西欧人にしては彫りの深くない丸い顔に慈愛と親しみがあふれていた。少したってステーキが運ばれてきた。
食事をしながら、私たちはこの島の感想や、これまで訪ねた国々のことを語り合った。ブルック氏は私がなぜ一人でここに来たのかを訊いてきた。それを説明するのはちょっとやっかいだった。商店街の年末セールで妻がハワイ旅行を引き当てたのだが、旅行券は一枚だけで、しかも二月末のウィークデーに旅行日が指定されていた。妻は仕事の関係で行けなかったし、妻の親戚筋にも一人で行きたいという者はいなかった。結局私が一人で行くことになった。私の勤める研究所は比較的自由に休暇をとることができたのだ。格安のツアーだったのだろう。全日程自由行動で、団体行動は全くなかった。ホテルで同室になった学生はサーフィンに熱中していたので、私は一人でこの島のあちこちを訪れたのだ。ブルック氏は「すみません、もう一度」を繰り返し、私は日本語と英語をまぜこぜにしながら何とか情況を伝えた。
ブルック氏は自分がここに来たのは、息子を偲ぶためだと言った。ここは二人で最後に旅行した街なのだそうだ。ブルック氏は目を細め遠くを眺めるような眼差しになった。
「息子の名はケンイチロウといいました。日本人でした」
私は首を傾げた。夫人が日本人で子どもに日本の名前をつけたのだろうか。
「ケンイチロウは腕のよいシェフでした。大きなフランス料理の店で働いていました。血はつながっていませんが、私の息子であり家族でありパートナーだったんです。九年いっしょに暮らしました。ケンイチロウは、気はやさしくて力持ちという言葉がぴったりあてはまるすばらしい男でした。私たちは幸せでした。いえ、少なくとも私はとても、とても幸せでした」
ブルック氏の言ったことは、日本で暮らしている私には、ある意味で驚くべきことなのだが、彼の口からでると、それはごく自然な美しい出来事であるように聞こえた。そういえば、カナダは性別に関係なく結婚が認められる自由な国だ、と聞いたことがあった。
「ええ、わかります、わかります」
私は頷いた。プールの方から拍手が聞こえた。私はプールの方に目をやって、何が行われているのかを見定めようとした。地元の優雅な踊りが披露されているようだった。
私が視線をテーブルに戻すと、ブルック氏の様子がおかしかった。顔がこわばり、手が震えていた。
「大丈夫ですか」
私の問いにブルック氏は答えず、右手でシャツのポケットから何かをとりだそうとしていた。手が震えて、指が胸のポケットの入り口あたりをうろうろするだけで、中に入っていかなかった。私は立ち上がり急いでテーブルを回り込んでブルック氏の横に立ち、ポケットに手を突っ込んだ。タブレット状のものが指に触ったので私は素早くそれを引き出した。錠剤のタブレットだった。ブルック氏は頷き、私に向かって親指と人差し指を立てた。二錠必要なのだろう。私はタブレットの中に透けて見える丸い錠剤を上から押し出した。錠剤を差し出すと、ブルック氏はそれを慌しく口に持っていき、手元にあったビールでそれを飲み下した。
「ウェイターを呼びましょうか」
私が訊くと、ブルック氏は強く首を振った。ブルック氏は視線をテーブルの一点に据え、歯を食いしばってじっとしていた。二分もたったころだろうか。ブルック氏の顔にかすかに赤みがもどってきた。表情もおだやかになってきた。
「すみません、心配かけて」
ブルック氏は私に顔を向けて言った。
「大丈夫ですか、持病があるのですね」
「ええ、たまに心臓に栄養を送る血管が詰まるです」
「病院に行った方がいいんじゃないですか」
「いや、大丈夫です。カナダに帰ったら手術する予定なんです。この歳ですから成功するかどうかわかりませんが」
ブルック氏の声に力が戻っていた。私は自分の席にもどった。私の指から、タブレットを取り出した時に付いたブルック氏の汗の匂いが漂ってきた。私の指先にはブルック氏の胸のやわらかな感触が残っていた。
「今日はありがとうございました。本当に楽しかったです。もうお部屋で休まれる方がいいですね」
私が頭をさげ、立ち上がりかけると、ブルック氏は哀願するような目つきをした。
「いや、もう少し、もう少しだけ私の話を聞いてほしい」
ブルック氏の声の調子にただならぬものを感じて私は立ち上がるのをやめた。
「ケンイチロウがなくなったのは三年前でした。四十七歳でした。事故だったのです。その少し前に、私は、ケンイチロウに私たちが正式に家族になることを提案しました。それまでいくつかの州で認められていた自由な結婚がカナダ全土で認められるようになった時期でした。私は自分の小さな財産をケンイチロウに確実に渡してやりたかったですし、人生の終りをケンイチロウに正式の家族として看取ってほしかったのです。ケンイチロウは珍しく曖昧な返事をしました。ケンイチロウは一度日本に帰ってきたい、と言いました。兄弟や親戚に私たちのことを伝えに行くのだと思いました。日本から帰ってきたケンイチロウは、ひどく落ち込んでいるように見えました。それから一月後、ケンイチロウはカナディアン・ロッキーで滑落死しました。ケンイチロウがよく行く山での出来事でした。ちろん、自殺ではないと信じています。それでも、ケンイチロウの死に自分の提案が無関係でない、と私は思いました。ケンイチロウは悩んでいて注意力が散漫になったのかもしれません。後で聞いた話ですが、私たちのような者が新しく家族になることに対して、日本では大変な偏見があって、それがケンイチロウを苛んでいたのだと思います。その苦しみを私は分かち合うことができませんでした。それが残念です」
私は答えようがなくて黙っていた。
「あっ、こんなところで深刻な話をしてしまいましたね」
ブルック氏は私の困った表情を見逃さなかったようだ。
「私が今日、ダイアモンドヘッドに行ったのは、ケンイチロウと一緒に登った道をもう一度たどってみたかったからなのです。心臓に悪いことはわかっていました。でも、どうしてもこの体に、ケンイチロウの息吹をもう一度感じたかったのです。幸い登山中に発作は起きませんでした。私は、山道のあちこちで、階段で、トンネルで、展望台で、ケンイチロウのことを思い出していました。山を降りてくると、あなたがスケッチをしていました。あなたはケンイチロウに似ていました。ハッとするほど似ていました。私は失礼を省みずもう夢中であなたに話しかけました。申し訳ないことをしました。許してください」
「いえ、とんでもない。こちらこそ楽しかったです」
「そうですか、それはよかった」
ブルック氏はほっとしたような表情を見せた。
「ええと、ええと、一つだけあつかましいお願いがあります」
ブルック氏の頬が赤くなった。
「何でしょうか」
「もしよかったら、私に向かって、『お父さん』と言ってくれませんか、一度でいいんです」
「それはいいですが」
「失礼は十分に承知しています。私のことを父と思ってくれ、という意味ではありません。あの美しい日本語の言葉をもう一度私の耳で聴いてみたいのです。ケンイチロウは私のことを日本語で『オトウサン』と呼んでいたものですから」
「わかりました」
私はこういうことがひどく苦手なのだが、そうも言っていられなかった。
「お父さん」という言葉は案外素直に私の口からでた。久しぶりに口にする言葉だ。父がなくなってから三十年たつ。それに私は妻の父をどうしても「お父さん」と呼べなかった。長く忘れていたその響きのよさが、私の体に染み込んでいった。心が軽くなった。私は何かこの老人を元気付けることを言ってあげたい気持ちになった。
「お父さん、ケンイチロウさんの事故のことは私にはわかりません。でもお父さんのような人と暮らせて、ケンイチロウさんはとても幸せだったと思います。おそらく彼の人生の中で、お父さんと暮らした日々が一番輝いていた時だと思います」
静かだった。プールの傍で行われていたショウも終り、レストランにも人影はまばらになっていた。小さな声で話したつもりだったが、私の声はあたりに響きわたった。
「ありがとう」
ブルック氏の瞳は潤んでいた。
「ケンイチロウから今の言葉を聞いたような気がしました。本当にありがとう」
そう言って、ブルック氏は目を閉じた。暗い明かりの向こうに感じられる海から波の音が聞こえてきた。
(了)