音展合唱コンクール  

 
 
 毎年「音展」(音楽と展示の会)と呼ばれる文化祭が近づくと、昼休みや放課後にあちこちの教室から合唱の練習が聞こえてくる。私はこの時期の学校の雰囲気が一番好きであった。
 クラス対抗の「音展合唱コンクール」では三年生の入賞が多かった。クラス数の少ないこの学校では球技大会なども全学年を通した争いになり、たまには二年生の優勝もあるが、だいたい三年生が優勝をさらうのだった。特に合唱コンクールは三年生にとって実質的な最後の行事ということもあり、どのクラスも異常に力が入っていた。
 
 その年の合唱コンクールで、私たちのクラスは「金魚」という曲を歌うことになった。グリークラブにいた坂間君という男が指揮者になったのだがその坂間君が強くこの曲を薦めたのだった。作詞は草野心平、作曲は多田武彦という人だった。坂間君は音楽的力量は大したものらしいが、ちょと変わったところがあって、グリークラブでは部長も指揮者もやったことがなかった。
 誰を指揮者にするかをクラスで話し合った時、グリークラブの元パートリーダーの池野君にしようという意見もあったのだが、池野君は自信がない、と言った。一組にはグリークラブの元指揮者、二組は音楽一家で有名な男、四組は元部長がいるし、二年の四組には現役の指揮者がいて、その四つのクラスには勝ち目がないと池野君は言った。予選で四位までに入ると「音展」の本番でステージに立つ資格が与えられるのだが、池野君は予選を突破する自信がない、といっているのだった。それならば、一か八か坂間君でいこう、ということになった。坂間君は自信があるとは言わなかったが、同じ学年の元指揮者や元部長を馬鹿にしているようなところがあって、みんなは心強く思ったのだった。とにかく三年生の意地にかけても本番のステージで歌いたかった。このクラスは三年生のくせに球技大会でも運動会でも少しもよい成績がとれなかった。最後の合唱コンクールで一矢報いたい、というのがみんなの気持だった。
 しかし、いざ練習してみると、「金魚」は実に奇妙な曲だった。途中に連続的な不安定な和音があって、正しく歌っているかどうかもわからず、歌った後もまるで爽快感がなかった。ただ緑色のアオミドロの中で赤金色のダイリュウキンがうごめき揺らめきながら消えていく様子が不気味に伝わってきた。不安定な和音の部分は、人によっては歌っているうちに暗い沼に引きずり込まれるようないやな気分がするようだっった。「こんな曲やめよう」という声もあがったが、芸術に理解がある、とされている二、三の人から「この曲はすごい」という意見がでて、続行、ということになった。
 一週間練習すると、曲の感じがつかめてきて、私はだんだんこの曲が好きになっていった。複雑な和音というのは、きちんと決まると何ともいえぬ味わいがあった。クラスの中にもこの曲の良さを理解する人がだんだん増えているように思われた。休み時間などにこの曲の旋律をハミングする者もいた。
 
 合唱コンクールの予選は音展の前日の夕刻に行われた。一年生は「夏の想い出」とか「箱根山」とかの親しみ深い曲が多かった。二年生になると黒人霊歌とか「金髪のジェニー」とかいう曲で、やはり一年生よりは上手だった。グリークラブの指揮者のいる二年四組はさすがにうまかった。日本の民謡を編曲したもので、私の聞いたことのない曲であった。
 三年の演奏が始まると私たちは暗い楽屋に移動して出番を待った。        
 一組の曲は「ウ・ボイ」であった。となりにいた池野君が、「これはうまい」とため息まじりで言った。壁を通してかすかに聞こえてくる歌声は確かに軽快でしかも力強かった。それにコンクールでは受けそうな曲だった。曲が終わると大きな拍手が聞こえた。指揮者の坂間君は一組の演奏は眼中にないらしく、浅黒い顔を少し緊張させて、胸の前で小刻みに手を振っていた。自分の中で最後の調整をしているようだった。
 二組の「紀伊の国」という曲が始まった時、池野君が「しめた!」とささやいた。
「どうしたんや」
「ベースのソロが失敗しよった」
「どこが失敗や。ちゃんと歌っとるように聞こえたけど」
「いや、出だしの音が一音高い、あれでは最後のテナーソロはまず高すぎて歌えんな」
 耳をすますと、たしかに練習で隣の教室から聞こえていたものにくらべ、全体にうわずっていた。最後のトップテナーのソロの声が「きーいのくにーぞー」のところで裏返ってしまった。異常に気がついたものは「よし、いける、いける」と小さく声をかけあった。
 ステージに並ぶと、広い客席が妙に暗く見えた。ステージにライトがあたっているせいなのだろう。坂間君は音叉を頭にぶつけ、それを耳にあて音をとった。四つのパートを順番に指さしながら坂間君が四つの音を出すと、それぞれのパートが小さくその音を返した。坂間君は二回うなずいて、両手を顔の前に構えた。
 
  あおみどろのなかで
  大琉金はしずかにゆらめく
  とおい地平の支那火事のように
  支那火事が消えるように
  深いあおみどろのなかに沈んでゆく
  
  合歓木の花がおちる 水のもに
  そのお白粉刷毛に金魚は浮きあがり
  口をつける
  
  かすかに動く花
  金魚は沈む
  輪郭もなく 夢のように
  あおみどろのなかの朱いぼかし
  金と朱とのぼんぼり
 
 坂間君は落ち着いていた。ゆっくりすぎるくらいの入り方で、例の不安定な和音の部分は一つ一つ確認するように十分に響かせ、休むところはたっぷりと休んで、最後までゆっくりしたペースをまもった。
 自分たちの出した声が高い天井に反射してもどってくるのを感じながら、私たちは気持よく歌い続けた。練習の時よりも数段出来がよいように感じられた。歌詞が最初にもどり「支那火事が消えるように」の部分を消え入るように少しずつ小さくしていって演奏が終わると、一瞬会場は静かになり、それから拍手に包まれた。坂間君はクラスのみんなに大きくうなずいてから客席の方を向き一礼した。もう一度大きな拍手がきた。
 楽屋にもどりながら「やった、やった」と僕たちは喜びあい、大急ぎで講堂の入り口にむかった。
 四組は好演奏をしたが、曲が唱歌の編曲だったので曲自体の面白みはなかった。それに「金魚」の複雑な和音に慣れた私の耳は、単純な和音を物足りなく思うようになっていた。
 審査を待つ間にグリークラブの演奏があった。優勝か、二位か、どんなに悪くても四位に入って、明日観客の前でステージにたてる。私たちはそう信じ、うきうきしてグリークラブの演奏を聴いていた。
 審査委員長の先生から発表があった時、私たちは耳を疑った。四位は二組、三位は二年四組、二位は一組、そして優勝は四組だったのだ。そして私たちのクラスは時間オーバーで失格が告げられた。
 評議員の佐藤君が中庭に集まるように呼びかけたので、私たちはそっと客席をぬけだした。もう中庭は薄暗く、高々と聳える講堂の屋根だけに弱々しい光があたっていた。
 みんなが集まると、審査委員会に加わっていた市川君が「たった十秒、十秒やった。僕も必死で頑張ってみたけど、先生方が時間を守ることがこの学校の信条みたいに言うんで頑張りきれんかった」と頭をさげた。坂間君は真っ白な顔になって「責任は自分にある」と繰り返した。
「みんな、今日の演奏はものすごくよかったやないか。あの演奏のために、どうしても十秒余計に必要やったんや。それでええやないか」
 佐藤君が稟とした声でそう言った。何人かが無言で頷いた。