モーパッサン「ジュール叔父」  メモ    風見梢太郎
 
○ 自己紹介、1983年加入、もう三十年近く書き続けている。処女作「ガラスの城」主人公老校長 思想差別をうけているかつての教え子を職場に訪ねていく話。第18期文学教室の作品、これが支部誌同人誌推薦作になった。短編作家である。モーパッサンとよく似ている。短編100近く書いた。『民主文学』への掲載25作品くらい。分野は「職場の闘い」(思想差別との闘い、職場における権利擁護、民主主義を守る闘い)「青春物」(高校時代、大学時代)「介護物」(父と母の介護)だんだん軟らかくなっている。
長編『けぶる対岸』『海蝕台地』『浜風受くる日々に』、『巨人解縛』『雑木林』いずれも非常に苦しんで書いている。しかし作家の評価、やはり長編である。
長編を書くといいこともある。「浜風受くる日々に」を書いた時のこと。高校時代のことを書いた。モデル学校での出来事・・・ 日刊紙を先生方が争うように読む
最新作 11月号 「湖岸の春」学生時代の話。主人公が中学生の時、父母の離婚、主人公は母と一緒に住んでいる。大学生になり、その父を離婚後初めて訪ねていく話。久しぶりに割合評判がよかった。短編当たり外れある。いつもいつもホームランとか長打が出るわけではない。ヒットでも、ファウルでも、とにかく球が前に飛ぶだけでも良しとしなければならない場合もある。年に二本、三本と前に球が飛ぶもようなものを続けていると、そのうちにヒットやホームランが生れる。
 
○ 外国文学(特にヨーロッパの文学)との付き合い方
 書き手でなければ何をどう読んでもまったくかまわない。小説を書く参考にしようとすると・・・
・ 私達が好んで読む外国の作品、フランスで言えば多くは19世紀の文学 小説の書き方が今と少し違う 長編が多い、それをまねて書くと不思議なものができることが多い。
・ 翻訳で読むことが多い、誤訳と言えるほどのものは少ないが、小説としての手触りや雰囲気を全く壊しているものも少なくない。モーパッサン短編集も新潮版と岩波版ではずい分ニュアンスが違う。また「筑摩文庫」は若い訳者だが私が読むとがっかりするような訳文である。もし最初に筑摩文庫で読んだ人は「モーパッサンはなんというつまらなさだ」と思うかもしれない。
 原書で読んでみると、たとえば、ちょっとした場面でも立ち上る香気のようなものに圧倒されるのだが・・・本当はもっとすばらしい作品である、と思いながら読む必要がある
・ 日本で翻訳が出版されているものが限られているが、最近はインターネットで自主的に翻訳しているもの多数読める・・・
・ ヨーロッパの文学 英文学を除けば、やはりフランス文学に読むべきものが多い。もちろんロシア文学も・・・ロシア文学を原書で読むのはなかなか難しい。ロシア語は独習が困難。第一文字が違う。フランス文学・・・原書で読むことは不可能か? 英語ができればかなり・・・  英語とフランス語の類似なぜ・・・歴史的経過の説明 ノルマンコンクエスト フランスがイギリスを支配した11世紀〜 同じことを表すのに元々の英語とフランス語がある。だから英語は語彙が多い。
 
○ ギイ・ド・モーパッサンについて
 1850年〜1893年(作家活動は三十歳から四十歳まで)短い生涯の晩年には精神を病む。12歳の時、両親が不和のため別居、母といっしょに暮らす。女性関係はあったが生涯結婚せず。普仏戦争に兵士として・・・
 360編余の短編、中編。7作の長編・・・代表作『脂肪の塊』『女の一生』『ピエールとジャン』短編の名手、読みきりの短編小説を新聞に発表。
 同時代の作家 モーパッサンの生れた年はバルザックの死亡した年。エミール・ゾラ(1840〜1902)と同世代と言える。『ボヴァリー夫人』で知られるフローベールは母(と伯父)の幼なじみであり、長く師弟関係を結ぶ。『女の一生』は『ボヴァリー夫人』に似たところがたくさんある。モーパッサンを語る上ではフローベールを研究する必要があるだろう。
 モーパッサンはやはり短編向きの作家である、長編は非常に苦労したようだ。過去に書いた短編を繋ぎ合わせ、ちりばめて長編にする手法を取らざるを得ない。外国文学では短編作家が有名になり日本で紹介されること、少ない・・・
 
 モーパッサンの仕事は役人(海軍省から文部省に転じる、地位は高くない)のち作家に専念。『女の一生』が非常によく読まれ、経済的に裕福に。別荘やヨットを買う。
 
 バルザック(1799-1850) ヴィクトル・ユゴー(1802-1885) アレクサンドル・デュマ(1802-1870) フローベール(1821-1880) エミール・ゾラ(1840-1902) ユイスマンス(1848-1907)
○ モーパッサンの短編は、田舎物、パリ物、軍隊物、怪奇物などに分類できるとすれば、「ジュール叔父」は田舎での生活を扱った作品と言えるだろう。
○ 「ジュール叔父」について  (1883年8月7日、「ゴーロワ」紙に掲載)
 ・ 書き出し「 ・・・・聞かせてやろうか こんな話なんだ・・・ 」モーパッサンのいくつかの小説の特徴、最初に「私」「僕」が出てくるが、作品はそれ以外の人物の視点で進む。読者を引き込むモーパッサンの工夫である。この場合は実物の物乞いが現実と物語をつないでいる。
ストーリー・・・
・ 家庭の紹介、父は役所勤め、給料が安い、母の不満、父への攻撃、結婚適齢期の二人の姉、
貧しいが仲良く暮らしている家庭、ではない。食事、衣服、夕食に呼ばれても行かない、お返しができないから・・・こういうあたりは思い当たるところある。父親の形象がとてもよい。貧乏な家の父親・・・子どもにしてやれることが少ない。
・ ジュール叔父 父の兄弟、財産を食いつぶしアメリカに送られたが、あちらで商売が成功しているという手紙が来る。一家の福音のようになる。あの母も絶賛。叔父の手紙のおかげで下の姉は結婚。
・ 一家でジュルセーに旅行。二時間の船旅で外国(イギリス)に行ける。しみったれた話といえばそうなんですが・・・その船の中で会った牡蠣を売っている惨めな男がジュール叔父に似ている。両親の驚愕。姉の夫にそのことを知られたくない。父はぼくに金を持たせ、早く支払いを済ませて来いと命じる。
・ ぼくはその老人に五十サンチーム心づけをあげる。母の非難。
 
ユーモアのある軽い作品だが・・・
弱者に対する同情・共感に満ちた作品。家族への鋭い視線。公務員時代のモーパッサン自身の体験が「父」に反映か。短編「ボーイ、もう一杯」少年時に両親のいざこざで心が傷ついた男が一生を棒に振る話。自伝的要素が強い作品と言われている。
・この時代の作品にしては、前書き以外は、一つの視点、一人の主人公、が貫かれている。短編を書く上で形の上でも参考にできる作品。モーパッサンのほかの作品は、多視点も多い。先ほどの説明で、現実の会話から出発してその一人が「私は」と語り始める作品は主人公が視点人物となるオーソドックスな書き方のものが多い。
 
昔の作品を読むときには背景の理解も必要。食い詰めたフランス人がアメリカに渡る(モーパッサンの生きた時代の現実、「アメリカのおじさん Oncle dVAmerique」)
19世紀後半のアメリカ、南北戦争を経て、著しく経済が成長、鉄鋼業、石油業、金ぴか時代
 
五フラン・・・いくらぐらいか1フラン500円〜1000円か この作品ではヒントがある。牡蠣の値段・・・2フラン50サンチーム。 「鹿島茂」フランス文学者、この人が19世紀のフランスの風俗についてたくさん本を書いている。
・ 「ジュール叔父」か「ジュール伯父」か ずっと「叔父」だったが最近は「伯父」が多い。
どちらにするかで作品内の印象がずい分変る。私は「伯父」の方がよいと思うが、若い頃読んだ「叔父」の印象が固定してしまっている。「伯父」の方が「気の毒さ」「せつなさ」が際立つ。また財産を使い果たすのも自然。しかし、父の「おおらかさ」は長男特有のものにも思えるが・・・
フランス語 おじ Oncle  兄弟 frere gran frere petit frere は一応あるが、この作品ではfrere とだけ書かれている・・・
もう一つ紹介302ページ「どんなもんだろう」、岩波は「こいつはちょっとした驚きだね」対訳「驚くだろうな」  quelle surprise surprise・・・思いがけない喜びという意味がある。
「なんという思いがけない喜びだろう」(風見訳)
・ この作品がもっと面白くならないか? 私だったらこう書く、小説を書こうとする人はいつもそういう風に考えるとよい。雑談、妻と映画見に行く 狂気のような映画好き お付き合いする。 自分だったらこう作るだろう
結末・・・こうしたらどうだろう、父が母に内緒で「代金の支払いの時、心づけをやって来い」と僕に命じる・・・兄、あるいは弟へのせめてもの気持ち、僕はそれにプラスする。あるいは父に もらった金全部をあげてくる。帰って来ると、父は母に見えないところで僕に頷く。
  いくら母の手前とはいえ、父の態度は冷たすぎてリアリティを欠くのではないか・・・
  父の母への「抵抗」が見たい気もする。あまりにもやられっぱなし。
・ この作品のようなものを今『民主文学』に投稿したら掲載されるだろうか 微妙である。
この作品にある誇張、新聞小説らしい「面白さ」、「あはは」と笑う面白さであるが・・・家族関係の極端さ 面白さを強調するためにリアリティを犠牲にしているところがある。作品の限界、時代の制約というものも知らなければならない、バルザックもゾラも・・・
 
 
○ モーパッサンのその他の短編
 「首飾り」「シモンのパパ」「椅子直しの女」「酒樽」・・・などが代表作。いずれも短編を書こうとする者にとっては絶好の教科書。
 
ここでは「山の宿」「幸福」を紹介しておきたい。1877年スイスの湯治場ロイクに病気治療のため滞在。その時の経験を元に書いた短編。雪深いアルプスの宿、一年の半分は宿を閉じ、留守居だけが残る。雪に閉じこめられ、青年と老人が二人だけで過す。退屈で退屈でしょうがない。ある日猟に出た老人が帰ってこない。一人になった成年が恐怖のあまり発狂する話。この話は視点の多様性の典型のような作品。山を降りるシーン、誰の視点でもない、漠然とした描写、二人きりになるとだんだん若者の視点になる。春になって家族が小屋にやってくると家族の視点。アルプスの描写がすばらしい。神々しいまでの険しい冬の山の中で恐怖から神経に異常を来たす青年の心理描写が卓越している。
「幸福」・・・最初の描写が素晴らしい。
 
新潮社『モーパッサン短編集』Tからの引用
 
 火ともしごろもまぢかなお茶の時間であった。別荘からは海が見えた。すでに太陽は没していたが、バラ色の空は金粉でぼかされて、そのなごりをとどめていた。そして地中海は、小波ひとつたてず、小ゆるぎさえせず、この薄れゆく夕日のなかで、なおかつ微光を発し、さながらなめらかに磨きげられた金属板をはてにもなくひろげたようだった。・・・
 客間では恋愛論の真っ最中、この昔ながらの問題をとりあげてみても、例によって例のごとく、これまでに言いつくされたことのむしかえしにすぎない。たそがれ時の甘い愁いは、人々の語調をやわらげ、人々の心にそこはかとない感動をただよわせるのだtt。《恋》というこの言葉は・・・・
いったい、われわれは何年も連続して愛することができるのだろうか?・・・
「おい!見たまえ、あそこを、あれは何だろう」
海上、はるか水平線のかなたに、灰色をした、巨大な物影が、ぼんやりと浮かんでいた。
 
コルシカ島 年に二度か三度・・・コルシカ島での出来事