O先生のこと
 
 
 私は学校の先生と仲良くなるという特技があり、小学校から大学まで様々な先生と個人的に親しくなった。
 O先生には福井県の中学で技術家庭を教えていただいた。この方は、この中学に設置されていた知的障害を持つ生徒のクラスに関わっていたが、その一方で技術家庭の授業を受け持っていたのである。
 O先生は大変立派な体格の持ち主だった。背はそれほど高くなかったが、胸が厚く、腰の辺りはまるで臼のようだった。相撲や登山、スキーを趣味にしておられた。軍隊では工兵の部隊にいたそうである。工兵というのは主に戦場で土木工事をやる男たちで、力自慢の荒くれ者が多かったそうだ。
 肉付きのよい顔は頭髪を丸刈りにしているためいっそう丸く、よく笑うために目じりに皴ができていた。髭が濃く、いつも剃り後が青々としていて、血色のよい頬と対照的だった。
 授業は実践的なものが多く、自転車を分解したり組み立てたりしたのが楽しかったのを覚えている。O先生は大きなオートバイに乗って学校に通っておられたが、このオートバイも週末には分解され手入れが行われるようだった。
 冬になると、O先生は学校の玄関近くで雪かきをしていた。スコップで大きな雪塊を軽々と投げ上げる姿がキマッていた。首筋や頭から立ち上る湯気が旺盛な新陳代謝を感じさせた。
 O先生に教えていただいたのは一年間だけだった。私は中学の途中で神戸に引っ越したのである。
 学生の頃、一度O先生の自宅に遊びにいったことがある。春休みにたまたま中学を訪ねた時、日直か何かで職員室にO先生がおられた。「今晩、どこにとまる」「決まってません」「じゃあうちにこいよ」ということになって一晩泊めていただいた。O先生のお宅は山のなかにある大きな家で、広い庭には古そうな蔵もあった。旧家なのだろう。同居しているお母さんが出て見えて「この子は本当に気は優しくて力持ちなんです」と自慢した。
 恩師から来る年賀状が年々少なくなる中で、今年もO先生から年賀状が来た。「元気でやっています」としっかりた字が書かれていた。O先生はもう九十に近いのではないだろうか。
 年賀状を読み返し、頑健な肉体を持った人の生活の優位性について考え込んだ。