1
発表の当番になっている山室がノートパソコンに繋がったマウスをクリックすると正面の大きなディスプレイに「Google(グーグル)検索の秘密」というタイトルがあらわれた。濃紺のバックに文字が白く抜けている鮮やかな画面だった。このごろの若い人が作る発表資料の美しさにはいつも感心してしまう。
最初に表れたのは、円グラフで、インターネットで使われる検索システムのシェアーが表示されていた。
「ご覧のようにアメリカのGoogle(グーグル)が80%を超えています。あまり知られていないことですが、あのYAHOO(ヤフー)でさえも実はGoogle検索を使ってサービスをやっています」
山室がマウスをクリックして画面が切り替わった。山室はGoogleのさまざまな検索サービスについて説明しはじめた。
D通信社でもインターネットの検索サービスをやっていたが、人気が今ひとつなので、研究所のスタッフを動員してGoogleに負けないシステムをつくろうというプロジェクトが発足し、この研究室もその一翼を担っていた。相手より優れたシステムを作るにはまず、相手の技術を徹底して分析する必要があるということで、毎週、若手研究者が交代で分析結果を発表していた。
遠慮がちに会議室の入り口に立ったとなりのグループの佐竹が私に向かって頷き、右手を握って耳にあてた。電話がかかっている、という合図だ。私は、頭を下げ、音のせぬように立ち上がって佐竹を追った。
「すみませんね、ついPHS持ってくるのわすれちゃうんです」
私は。急ぎ足の佐竹の背中に声をかけた。
「後にした方がいいかと思ったんですけど、H大の今井さんだったものですから、緊張しちゃって、とっさに呼んできますって言ってしまったんです。こっちこそすみません」
佐竹は、振り返って笑顔を作った。
「今井君、知ってるの」
「直接知りませんが、グラフ理論の権威ですからね。遠くから仰ぎ見るという感じです」
「そう、彼、そんなに偉いのか、見直した」
冗談めかして言うと、佐竹もつられて笑った
席に戻って電話を取ると、「今井です。どないしてるの、元気?」と柔らかい関西弁が聞こえた。
「ああ、元気にしてる。どうしたの、こっちに来るのか」
今井が電話してくるのは、たいてい「出てきたから会おう」、という用件だった。
「そや、あさって横浜で学会がある。よかったら明日の夕方あわれへんかな」
「ああ、いいよ。ゆっくりできるのか」
「まあな。実はちょっと会ってもらいたい人がいるんや」
「だれ」
「西村の親父さん」
「何で」
「夏に帰省したときに、西村の家に寄った。外国出張で、西村の葬式にも行かれへんかったからな」
「ああ、そうか」
「その時に、親父さんから西村の日記見せられてな、そのことや」
「僕と関係あるのか」
「ああ、多分な」
「多分、ぐらいで出てきてもらっては気の毒だろう」
「いや、親父さんは、東京にいる妹さんを見舞う目的で出てくる。そのついでのようなもんや」
「しかし、親父さんは会ったことないし、何となく、気がすすまんな」
「まあそういわんと、とにかく会ってやってくれ」
「相当のお歳だろうし、息子さんなくなって、気落ちしてるだろうし」
「いや、元気なもんや、それに息子の病気のことは相当前からわかってたから」
「そうか、まあいいけど」
「すまんな、じゃあ7時、S町の例のホテルのレストランでいいか」
「わかった、おくれないようにする」
そう言って私は電話を切った。
会議室に戻ると、山室の説明は、PageRank(ページランク)というGoogle独特の検索方式の解説に移っていた。PageRankについてはおよそのことは知っていたので、私は山室の説明を聞き流した。今井の声が耳から離れなかった。西村についての話って何だろう。親父さんが謝りたいとはどういうことだろう。私の頭は、西村といっしょに独身寮に居た時のことをたどりはじめた。
私は入社してからの数年間を会社の独身寮ですごした。私は、共産党員であったが、入社以来、表立った活動は控えていた。60年代の中ごろから、リベラルで民主的な研究所の組合に激しい攻撃をかけ、数年かけて変質させた。、共産党員や支持者、リベラルな組合を維持しようとする人々には、仕事の取り上げ、村八分、昇格差別、などあらゆる弾圧がおこなわれた。会社は新入社員であっても容赦しなかった。
私に課せられた任務は、研究者として一人前になることと、深い付き合いの中で、社会の変革を目指す仲間を増やしていくことだった。私たちの大学時代はいわゆる学園闘争が各地にひろがっていて、活動家の中には、独占企業に就職するものもたくさんいた。活動家たちは、就職後も自分の生き方を貫こうとするものと、就職をきっかけに運動から遠ざかるものとに別れた。西村は後者を選択した人間だった。会社ではもちろん、寮生仲間の間でも、西村は学生運動に関わっていたいたことを隠していた。
私が、西村が学生時代に日本民主青年同盟に入っていたことを知ったのは今井を通じてであった。今井と西村は、藩校が前身である中国地方の高校の同級生だった。大学は、今井は京都へ、西村は一浪して地元の国立大学に入った。二人は、帰省すると町で会うこともあったようだが特に親しいというわけでもないようだった。私は今井とは大学でいっしょに学生運動をやったこともあって、卒業後も交際があった。今井は私とは気があった。
「浦井さん、いかがですか」
司会をしているグループリーダーの増田の声がして、私は我にかえった。
「すみません、えーと、PAGE RANK(ページランク)の原理の話だったですね」
「ええ、数十億のホームページをマトリックスに置き換えて固有値を求めるという問題がいったいどれぐらいの計算量を要するものかということですけど」
「一般的には絶望的ですが、十億×十億のマトリックスといっても、ページのリンクを表すものですから、中身はスカスカなんでしょうね。そういういわば「疎」なマトリックスの場合はいろんな便法があるようですよ」
「山室君、まずページランクの簡易版、作ってみてはどうかね」
部長の村岡が椅子を軋ませながら偉ぶった口調で言った。
「そうですね」
山室は不安げに増田の方を見た。
「浦井さん、山室君にアドバイスしてやっていただけますでしょうか」
増田が遠慮がちに尋ねた。
「ええ、いいですよ。私も勉強しながらになりますが」
私が答えると、増田が大きく頷いた。数年前とは何という扱いの違いだろう、と私は苦笑した。そのころにはこういう会議に参加する事自体が強く拒否されていたのだ。
「じゃあ、これで今日はこれで終わります。来週はえーと」
増田はそう言ってノートを繰った。
「多分私です」
隣に座っている松川が細い腕を上げた。
「じゃあ、今日はこれで終わりだね」
村岡が念を押すように言って慌ただしく立ち上がった。
2
居間での夕食を終えて、少しテレビを見てから、私は自分の部屋にもどった。西村の父親が会いたい理由がはっきりしないが、私と西村との関係で何か納得いかないところがあるのだとすれば、こちらとしても資料を用意しておいた方がよいのかもしれないと思ったのだ。
私は机の引き出しから古びた十数冊の大学ノートを取り出し、西村に関する記述がある部分に付箋紙を貼っていった。一番たくさん書いてあったのが、最初に西村の部屋を尋ねた時の部分でほぼ三ページだった。あとは、2〜3行のものが六カ所、新婚の家に電話した時のことが半ページ、この部分には、西村の返事が不気味だったことが細かい字で書かれていた。その翌々日、管理者から意味不明の忠告があったことが半ページ。最後はそれから五年後、本社にいた西村が研究所にもどってきて、廊下ですれ違った時の様子がかかれている部分が四分の三ページ。全部で九個所、ページにすると六ページほどである。私は机の脇に置かれたコピー機兼用の小さなプリンターで複写を取ることにした。
コピーした記録をホッチキスで綴じて読み直すと、二十年以上も前のことなのに、西村と最初に話し合ったときのことが生々しく私の胸に蘇ってきた。
西村が入寮してから二ヶ月ほどたったころ、私は西村を訪ねた。寮生が出払う土曜の夕刻に、両隣の寮生が外出していることを慎重に確かめてから、私は胸を躍らせて西村の部屋をノックした。
西村は、眠そうな顔をしてあくびをしながら出てきた。西村が配属されたのは私の所属する電子システム部であり、研究部主催のレクレーションで顔を合わせたりしていたので、西村も私の顔は覚えていたようだ。
「何ですか」
歳は同じだが、私のほうが一年早く研究所に入っていたので、西村は丁寧な言葉をつかった。
「いや、ちょっと話したいことがあってね」
「どうぞ」
「部屋に入っていいかな」
「ええ、いいですよ、きたなくしてますが」
そんなやりとりがあって、私は、部屋に入り、部屋に作りつけられたベッドの上に腰をおろした。今井から西村の学生時代のことを聞いたことは言わない方がいいと思ったので、私は、とりあえず、もうすぐ投票が始まる組合選挙のことを話題にした。
「会社のいいなりになる組合じゃこまるじゃないか。どうだろう、梶井さんたちに投票してくれないか」
私は、支部の執行委員に立候補している梶井の名前を口にした。西村は驚いたように私の顔を見つめ、それから視線を壁に移した。
「今井君と知り合いなんですってね」
少したって西村は私の方を見ないで言った。
「ああ、大学でいっしょだったから」
「親しかったですか」
「ああ、まあね」
「そうですか」
西村は暗い顔つきになった。私が、西村の学生時代のことを今井から聞いていると悟ったようだった。
「ところで、浦井さんは、研究の上で、どのくらいみんなに影響力があるんですか」
西村は突然話題を変えた。
「どのくらいったって、去年入ったばかりだ。研究はこれからだよ」
私の言葉が終わらないうちに、西村は妙にあらたまった調子で言った。
「研究所にいるんだから、研究で影響力を持たないと意味ないですよね」
西村はそれから、足元の鞄を探り、分厚い本を取り出した。
「月曜までに読まなくてはいけないんです。すみません」
そう言って、西村は机の上に本を広げ、手のひらで頭を抱えるような恰好をして読み始めた。帰ってくれ、という意味なのだろう。
「じゃあ、選挙のことはたのんだよ」
私が立ち上がって言うと、西村は本から目を上げずに「考えときます」と言った。
私はひどく落胆したが、その後も国政選挙や組合選挙があるたびに西村の部屋を訪ね支持を依頼した。
西村は、自分に要求されるものの程度がわかると、安心したのか、幾分態度をやわらげてきた。選挙については「まあ、他に入れるよりましやろな」と言ってくれるようになった。そのころには西村の言葉遣いは丁寧でなくなっていた。当時、寮にいる数人の同志と協力して、日刊紙と日曜版を寮生に届ける体制ができていたので、西村にも購読をすすめたが、西村はその件に関してははっきりと断った。
西村との接触が薄くなったのは、西村も私も結婚のために寮を出たからだった。そのころ不思議なことがあった。
西村の家に組合選挙のことで電話をすると「あんた、そろそろこういうのやめたらどう」という意外な返事が返ってきた。「冗談言ってくれるな」とやりかえし、選挙の争点と候補者の名前を言って支持を依頼したが、西村は最後まで「わかった」と言わなかった。翌日出勤すると、室長が私を会議室に呼び、「浦井君、君は選挙で反主流派の応援をしているようだね。覚悟はできているんだろうね」と言った。
半年後の昇格の時期に、私には研究主任の発令がなかった。仕事も、設計の仕事から徐々に調査が中心になり、周りの人が口をきかなくなった。一年後には、研究室で村八分のような状態になった。
それ以来、西村との接触は避けてきた。西村は同期入社の者より一年早く管理者になり、本社の技術部に数年いて研究所に帰ってきた。廊下ですれ違った時には、「浦井さん。お元気ですか」と晴れやかな顔で私に語りかけた。その顔を見て、私は不思議な思いにとらわれた。西村が密告のようなことをしたのであれば、こう晴れやかな顔で語りかけてくることはないだろう、やはり私の思い過ごしだったのだろうか。それでも私には、あの時、受話器を通して私の耳に響いた西村の声の硬い、不思議な響きと、翌々日の出来事の間に何か関係があるような気がしてならなかった。
3
ホテルの地下にあるレストランの入り口に立ってあたりを見回していると、今井が大声で「こっちだ」と叫んだ。今井の隣には小柄な痩せた老人が落ち着きのない目つきで座っていた。テーブルに近寄ると、老人は立ち上がり「浦井さんですか」と案外張りのある甲高い声でたずねた。
「はい、浦井ですが」
私が答えると、老人は、西村の父親だと名乗った。老人はしげしげと私を眺め「お元気そうで安心しました」と言って椅子に腰を下ろした。
二人のジョッキはほとんど空になっていた。今井の顔は普段とかわらなかったが、老人の顔は真っ赤だった。
「さあ、さあ、もう一度乾杯のみましょなあ」
今井がそう言って、空中に高く手をあげてウェイターを呼んだ。すぐに大きなジョッキが三つ運ばれてきた。「乾杯」と三人は声をあげ、ジョッキを打ち当てた。
「さっそくですが、見てもらいたいものがありますんじゃ」
父親はビールにちょっと口をつけたあと、型の崩れた大きなバッグの中から大型の封筒をとりだした。
「息子の日記ですじゃ」
父親は封筒から本を取り出した。
「本に見えますが、これは日記ですじゃ」
そう言って父親は栞を挟んだページを開き、私のほうに向けて日記を差し出した。赤鉛筆でまっすぐに下線を引いたところが目に飛び込んできた。
『Uが選挙のことで電話してきた。小癪なやつだ。一度懲らしめてやらねばならぬ』
「このUというのは、あなた様のことでしょうか」
父親は、ひどく遠慮した様子で尋ねた。日記の日付を見ると1976年の11月29日(日)とある。76年は暮れに総選挙がおこなわれた。その少し前の日曜日に、私は確かに西村に電話した。やっぱり西村だったのだ、私を密告したのは。
「ええ、多分そうだと思います。私のイニシャルもUですし」
「そうですか」
父親は声をおとして言った。
「じゃあ、これもそうですな」
父親は別の栞が挟んであるページを開いて、日記を私の方に向けた。今度は三行にわたって赤線が引かれていた。
『uには悪いことをした。会社が本気でやるとは思わなかった。uをちょっと脅すくらいでよかったのに』
日付は1977年の3月1日だった。確かに私が研究主任に発令されなかった日だ。同期ではただ一人、私に発令がなかったので、これは私のことを指しているにちがいなかった。私は頷いた。
「そうですか」
父親は、悲しそうな目をして私を見た。
「すまんかったですな。私からも謝らせてもらいます。本当に申し訳ない」
そう言って、父親は深々と頭を下げた。
「こんなことまでさせられても、大して偉くならんかったな」
父親は視線を宙に漂わせた。父親は立ち上がり、並んだテーブルの端に順につかまるようにして、店の出口の方に進んでいった。
「ちょっと見てくるわ」
今井はそう言って、西村の父親の後を追った。二人はなかなか帰ってこなかった。私は開きっぱなしになっている日記の先を読みすすめた。
「しかし、これからが見ものだ。Uがはたしてどこまで耐えられるのか、見届けてやろう」
その文字から、私は目を離すことができなかった。「これからが見ものだ」とは何だ。 私は驚いた。これが、一時期ではあっても、学生運動に関わったものの言う言葉だろうか。西村はそう言う気持ちでいたのか。私は、胸が苦しくなるような憤りを覚えた。憤りの後に、私は憂鬱な気分に襲われていた。私は、日記のほかの部分も読みたいという誘惑委かられたが、遺品なので家族の立ち会いがなければ勝手に読んではいけないものだと思い読まないでおいた。
今井がすまん、すまん、と言いながらもどってきた。今井は濡れたハンカチで背広の襟をさかんにこすっていた。
「大丈夫なのか」
「ああ、大丈夫や。部屋に送ってきた」
今井はそう言って、私の向かいの席についた。
「どうしたんだ」
「ああ、親父さん、何やかや言うても、自分の息子はかわいいし、あんたが元気なのを見て、息子のこと思いだしたんやろ。それに、今日は親父さん飲み過ぎや。いつもあんまりのまへんのにな」
今井は机の上の日記を閉じて自分の方に引き寄せた。
「親父さん、お前によう謝っといてくれ、言うとったわ」
「気の毒だな、親父さん」
「まあな、さあ、場所をえて飲み直そ」
今井はそう言って、レシートを持って立ち上がった。
「あっ、わりかんだ、ここは」
「いや、ええんや。わざわざ来てもろたんや」
「しかしな」
「ちょっと、荷物届けてくるわ」
そう言って、今井は、足下にあった西村の父親のバッグを手に取った。
「じゃあ、ロビーでまってるから」
「ああ、わかった」
今井は急ぎ足になってレジの方に向かった。
4
ホテルを出て、私と今井は、通りを横切り、港の方へ歩いた。
「読んだんか、日記」
「いいや、あの二カ所だけだ」
「なんで」
「黙って読むのは悪いと思ったから」
「そうか、俺は全部読んだ。いやあ、いろんなこと描いてあったわ。あんたの会社の弾圧の凄さもようわかった」
「そうか、貴重な資料なんだね」
「しかしなあ、あんた西村のこと恨んどるやろ」
「いや、個人を恨んだりはしない」
「そうか、それはよかった。親父さんえらい気にしとったから」
「義理堅い親父さんなんだね」
「ああ、あの人、昔の国鉄に勤めとってな。それで組合でも一所懸命やってたから、裏切りとか、そう言うことには敏感なんや」
「ああ、どうりで」
「不肖の息子やな、言うてみたら」
「しかし、僕にはわからんなあ、さっきの言葉」
「何やったかな」
「西村は、少なくとも民青同盟員だったんだぜ。『これからが見物だ』なんて、言うのは信じられんな」
「そうか、俺には、何となく西村の気持ちが分かるんや」
目の前に、赤と緑のネオンが点滅する小さなバーが現れた。
「おい、ここ入ろう」
「高いぞ、きっと」
「いいから、俺のおごりだ」
そう言って今井は、白いドアを押した。
バーの中は、案外広く、カウンターの席のほかに奥に港に面した座席があった。カウンターに二人の男がいるだけで、ほかに客は居なかった。不思議な青い光りがバー全体に満ちていた。
奥の席に着くと、すぐに黒いスーツを着たウェイターがやってきた。
「何にする」
「ビールでいい」
私は高い支払いを恐れて言った。
「じゃあ、ビール日本、つまみは適当に」
ウェイターは無表情に頷き、遠ざかっていった。
「西村の気持ちがわかるって?」
私はさっきの話の続きをした。
「そう、あれは、嫉妬や。ねたみ心やな、言うてみたら」
「ねたみ心?」
「そうや」
「僕は人がうらやむようなこと、したためしがないな」
「いや、あんた、やっとる」
「どういうことだ」
「あいつはなあ、別に路線に確信がなくなって民青離れたんと違う。あいつはあんたの会社の研究所に就職が決まってから、研究所のことよう調べたらしいわ。共産党員とか支持者に対するものすごい弾圧があることもしっとったなあ。あいつ、怖気づいて、会社に入ったら、活動はせえへん、と決めたみたいや。こんな状態の中で活動していくのは絶対に不可能やと自分で思い込んでたんやろうな。ところが、寮の中であんたらが立派に活動しとる。新聞の配達ルートまでつくっとる。あいつ、びっくりしたみたいや。別の言葉でいえば、うらやましかったんやろ、あんたらが。それがねたみ心に変わったんやないかな」
「うらやましかったら、素直に表現すればよかったのに。一緒に活動する機会はいくらでも作れたんだから」
「まあ、あいつ、偉くなりたかったんやろな。それに、あいつは子どものころから苦労した。国鉄いうところは、幹部とそれ以外の人の待遇は段違いや。社宅なんかも全然違う。あいつは子どものころから勉強がようできたから、まあ、つきあう連中も裕福な家の子が多かった。うらやましさを正直にださんと、ちょっと屈折した変な形で出しよる」
「それにしても、『これからが見物だ』はないだろう」
「それだけ羨ましかった、いうことなんとちゃうか」
「そんなもんかな」
ウェイターが小瓶のビールとナッツの入った小鉢を盆に載せて持ってきたので、私達は話をやめた。
「さあ、乾杯や」
今井は、二つのコップにビールを注ぎ、一つを私に手渡した。コップを打ち合わせて、私はビールに口をつけたが、苦い味が口の中に広がるばかりだった。
「日記の後ろの方には、こんなところもあった。何年かたって、あいつが研究所にもどった時、あんたが仕事もとられ、村八分のような状態になってたみたいやけど、案外元気そうで清々しい顔をしていたって。その後に、ペンで線を引いて消したとこあったけど、そこには、『Uのことはもう、自分の頭から追い出してしまいたい』て書いてったみたい」
「ああ、そうか。あの時は、あいつ、昔のことななんか全然忘れたような顔してたな」
「まあ、共産党によう入らんかった人間にとっては、共産党員の人の行動は、何かまぶしくてたまらないことがあるんや。自分の弱さを見せつけられるような気がするとでもいうのかなあ」
「あんたもねたみ心があるのか」
「ないといえば嘘になる」
「本当にそうなら、今からでも遅くないんだぜ」
「そう来ると思った。まあ、考えとくよ」
今井はそう言って、ビール瓶を手に取り、私のコップにビールを継ぎ足した。
(了)