何でも聞く老人
私が茅野駅でバスを待っていると、リュックをしょった小太りの老人がやってきて、美濃戸口にいくバスがここから出るのか、と聞いた。バス停の標識には大きな文字で美濃戸口行と書いてあるのでわざわざ聞くこともないだろうにと思ったが、私はそうだと答えた。老人はうなずくと、私の隣に座り、人のよさそうな笑顔で話しかけてきた。
「八ヶ岳ははじめてなんだよ、あなたはもう何回ものぼったの」
私が北八ヶ岳は二度ほど来たが南は初めてだというと、老人はどのようなコースをとるつもりかと聞いた。
「赤岳鉱泉に泊まります。明日硫黄岳に登って、あとは夏沢峠に出て、本沢温泉か稲子湯を通って小海線の駅に出ようと思っていますが」
「赤岳には登らないの」
老人は不思議そうな顔をした。
「ええ、一泊ですから、赤岳までは無理だろうと思いまして」
そう、と言いながら老人はリュックをあけ地図を取り出した。
「小屋の人は荷物を置いて一回りしてくればいい、なんて言ってたけどね」
そう言って老人は赤岳鉱泉から硫黄岳、横岳、赤岳と回り、行者小屋を経てまた赤岳鉱泉にもどるコースを指でなぞった。私の読んだ案内書にはこのコースの歩行時間は八時間と書かれていた。昼ご飯や休憩時間を入れると十時間くらいだろうか。朝六時に出発したとして午後四時に美濃戸口のバス停に着く。バスの最終が四時半くらいだろうから、これではちょっときつい。
「このごろは、連泊がはやりなのだそうだ。わしも二泊するつもりなんだ。もう夏も終わりで客も少ないって言ってたな」
老人は地図をしまった。小屋の人にもいろんなことを尋ねたらしい。 バスが来たので私たちは乗り込んだ。十人程の客だったので、二人並んで座ることもないだろうと思って私は老人の後ろの席に座った。私は老人を観察しはじめた。六十の後半だろうか、血色がよく日焼けしていた。着ているものは清潔だが金のかかったものではなかった。老人は胸のポケットから折りたたんだ紙を取り出してながめはじめた。「初めての八ヶ岳」というタイトルのついた軽い記事のコピーだった。本格的な案内書は持っていないようだった。
美濃戸口でバスを降りると、老人は山荘に入って行った。私はほかの登山客といっしょにカラマツ林の中の広い道を歩きはじめた。老人は半時間ほどで追いついて来た。
「女房に電話してきたんだ。ついでに小屋にも」
老人は今日は赤岳鉱泉でなく行者小屋に泊まることにしたと、少し申し訳なさそうに言った。天気があやしいので、少なくとも赤岳だけは登りたいので、赤岳に近い行者小屋に泊まるのだそうだ。
「このとしになって山が好きになってね」
老人はこの夏、青春18切符をつかって、伯耆大山と伊吹山に登ったと言った。仕事をやめて暇になったので山登りを始めたのだろうか、と私は思った。
林が尽きて正面にゴツゴツした大きな山が聳えたっている。老人が「何て山だろうね、赤岳かね」と聞いて来た。「多分そうなんでしょうね」と私は答えた。降りてくる登山者に、老人は山の名前を聞いた。阿弥陀岳だそうである。
北沢と南沢が別れるところで私たちは休憩をとった。これからは道が分かれるからである。中年の女性を十人ばかり引き連れて山を下りて来た若い男に、老人は山の様子を聞いた。
「楽なもんですよ、ここは。朝六時に出て、一回りしてきました。六時間で全部まわれますよ。楽なもんです、北アルプスにくらべれば」
東北の訛りのある若い男はひどく誇らしげに言った。
老人と別れてから少しの間、私の頭から老人のことが離れなかった。どんな仕事をしてきた人かわからなかったが、賢い得な生き方をしてきた人だと思った。