風見梢太郎
ロープウェイの始発まで時間がありすぎるので山上駅まで歩いてみようかという気がおきた。登山道があるのだが、雪が深くすねまでもぐるので、ロープウェイの下のゲレンデを歩く。ゲレンデが二つに別れるあたりから傾斜が急になりおまけにアイスバーンになっているので、靴がすべる。仕方がないのでゲレンデからはずれ、登山道にもどったが、雪が深く、踏み後がない。時々膝までもぐる。登山道が大きく左に曲がっていくので不安を感じ、あまりゲレンデから離れないようにとそのまま真っすぐ上に登ることにする。時々腰までもぐる。足の下を見ると熊笹が出ている。腰までもぐると、次の一歩は足を高く上げなければならないので疲れる。雪が靴の中に入りそれが溶けて足が水浸しになっている。ひょっとしたら凍傷にかかるのではないかかと心配になる。スパッツをつければよかったな、と思う。足の疲労と不安で途中で立ち往生してしまった。もどろうかと思ったが、目の前が明るいので、がむしゃらに登ると、スキーの道に出た。なだらかな広い道をゆっくりと滑ってきた若い女の子が、谷から上がって来た私の姿を見て「すごーい」と言った。
スキーの道をロープウェイの山上駅に急ぐ。風が強く地吹雪となる。山上駅へ逃げ込む。昼食をして、靴下を替え、気を取り直す。外に出て、借り物のアイゼンをつける。地図を見ながら歩きだすとかすかな音がしてアイゼンが凍った雪に小気味よく食い込む。いっぱしの登山家になった気分だ。北横岳への道をさがすが見当たらない。山に登る踏み後があったのでたどってみたが途中で消えていた。とにかく山がそこにあるので真っすぐ登ればいいのだろうが、さっきのことがあるので無理をしようという気がおきない。まあ、坪庭の散策でもいい、と思いながら、かろうじて先端を雪の上に出した杭の間を歩き続けると、ずいぶんたってから横岳への道を示す標識があらわれた。私が考えていたよりずっと坪庭が大きかったのだ。
急な山道だが、雪の斜面にジグザグに道がつけてありとても登りやすい。しかし、足が疲れているので、頻繁に小休止が必要だ。陽がさしてきた。ハイマツの間から縞枯山がみえる。その向こうには南八ヶ岳の山々の頭だけが見える。どの山であろうか、右手にむかって見事な裾野がのびている。北横岳ヒュッテは地味な小屋だが、昔ながらのH型の煙突の先からかすかに煙が出ている。人がいるようだ。ヒュッテからは急な登りが続く。頂上付近は吹き飛ばされそうな強風である。西側の斜面は雪がない。頂上にはアイゼンの跡がいっぱいある。登り道には足跡がそんなにはないので不思議な気がした。新しい雪が風で飛ばされるので、おそらく正月などに来た人の足跡が残っているのだろう。慌ただしく写真をとって早々に頂上を退散。急な下りもアイゼンがよく効いて、飛ぶように歩ける。調子にのってどんどん下っていると、アイゼンがスパッツにひっかかって転んでしまった。用心しないととんでもないことになる。三ッ岳、雨池峠方面への標識があらわれる。岩のごつごつした三ッ岳は魅力的で少し心が動いたが、足の疲労が普通でないので今回は諦めることにした。昨夜眠ってないので、体の疲労感も出始めている。
陽のあたる斜面のところどころで岩が透明な氷に覆われている。太陽の熱で溶けた雪が再び凍ったのだろう。きれいなものだ。 坪庭に降りると、ここもすごい風である。寒い。やっと山上駅にたどりつく。ロープェイの発車時刻が近いので少し早いが降りることにした。ロープェイは百人乗りの大きなもの。これでスキーヤーをじゃんじゃん運んでいるのだ。下りに乗る人はまれなのだろう。大きなロープェイにお客は私一人。添乗員のおじいさんがさかんに話しかけてくる。天気がすっかりよくなってきた。私が八ヶ岳は初めてだと言うと、急に張り切って山の説明をしてくれる。左手に仙丈、甲斐駒、北岳が見える。やはり甲斐駒がみごとだ。正面には中央アルプスの山。木曽駒の頂上付近にわずかに雲がかかっているのが残念。少しはなれて御嶽が堂々とした姿を見せている。右の方には乗鞍がみえるが、穂高、槍は雲にかくれて見えず。
ロープェイの山麓駅にはスキーヤーがあふれている。広い駐車場は車でいっぱい。この時期スキーのできるところが限られているからだろうか。みやげものを売っている店をのぞく。 バスにはクロスカントリー用の細いスキーを持った若者がたくさん乗り込んできた。大きなザックにワカンもぶらさげている。話の内容からすると、名古屋あたりの大学のワンゲル部員らしい。 バスが蓼科温泉を過ぎるあたりで外を見る。やはりすばらしい。目をこらし、風景を目に焼き付ける。春や秋もきっとすばらしいだろうな、と思う。
茅野駅に着いたのは午後四時近く。今日一日いろいろなことがあったので、ここを出発したのが何日も前だったような気がした。 (1996 3.18)