川崎支部 文学教室における講演  97 7 12 風見 小説を書くうえで大切なこと 1 なぜ小説は虚構をもちいるか (虚構と作品の飛躍)事実にしばられないこと(選択)  書き始めのころを思い出すと、大胆に虚構を用いるようになって作品が飛躍したような気がする。大体が実際にあったことで、具合の悪いところだけちょこちょこと事実と変えるというのでなく。何かからヒントをえて最初からつくりごとであるような作品。 それを一度かいてから、小説というものがわかったような気がした。そればかりがいいとおもわないが、一度書いてみて、ああっと思った。  なぜ虚構を用いるか。事実は一般に非常に散漫におきる。時、場所、人物、出来事、それらを、よりドラマチックにするため再構成する。自分が一番伝えたいことが読者に伝わるためにはどのような人物を配し、どのような時と場面を設定するか。  いろいろな可能性のなかから自分がもっともよいと思うものを選択できる。並べてみていいほうを選び取る、これは人間の頭の働きとしては非常に強力なもの。そこに依存できる。事実から離れることによってそのことが可能になる。大胆な虚構。  一つの例、彫刻、人間の形をそのまま型をとったもの、きわめて貧弱。なにか少しにている。 2 小説という形式を生かす書き方  読者が主人公とほぼ一体になって小説世界に入りこむ。エッセイ、ルポなどにくらべ、これが小説という形式の強み。それを妨げるものは何か、これと闘えばよい。別の言葉でいうと小説としての読みにくさとの闘い。一般に小説でいけないとされていることを統一的に眺めるならばおよそ上記のことこである。 長い説明、長い会話、、主人公の一人よがりな見解がどうも押し付けられる、リアリティのなさ。  例えば長い説明。読者は主人公の姿を見失い、気持ちは主人公をはなれて宙にうく。 主人公の不自然な視線を反映した描写。 逆に主人公の自然な目の動きを反映した描写は、読者と主人公をより近づける。 わざわざ読者が主人公に寄り添うことを拒否する小説もある。あるいは一定の距離をおいて読むことを意識して書かれるものもある。やはりそれも意識的であるべき。 3 どこから書きはじめるか。 読者と文句なくその状況を共有できるものから始める。緊迫感がありたちまち読者を引き込むような書き出し。例、海岸隧道、通勤バスからどっと降りてくる人にびらを配る。読者がその流れの中に身をおいているような緊張感がえられれば書き出しとしては成功ではないか。書き出しの技術の問題にとどまらない。短編の場合、事の本質に早くとりつくこと。 会話ではじまる小説の是非。読者と状況を共有できないまま小説が始まることになることが多い。    4 イメージを引き出す表現の大切さ   言葉がありありとイメージを引き出す・・・小説という芸術の本質にかかわる。一つの小説の中に二つ、三つこういう表現があると、小説全体が浮き立ってくる。ああ、得をしたな、心が豊かになる・・・内容とともに。   例、蟹工船(あまりにも有名なのでかえって再読しないだろうがだがすぐれた表現の宝庫)例、モーパッサン、  言葉。どんなにくわしくかいても、なお読者の体験、に依存する部分が残る。そのことを十分に意識し、ぎゃくにそのことを利用してなりたっている。 正確に言葉であらわしきれない。同じ文章から百人の人は百とおりの絵を書くだろう。読者のこれまでの体験疑似体験に依存。それを言葉によって引き出す。細かく詳細に書くことよりも読者のもっている経験を引き出すような書き方。(ああ、あのことか)  すぐれた表現というもの、詳しくかくことよりも、それがそれらしく見える、その表現が読者にそのことのああ、あれだなと思い出させる表現であることが多い。 もうひとつの例、書かないで語る。これも読み手のこれまでの体験を前提にしている。 塚原理恵「献体」 最後まで献体に反対していた少女が電話してくる。帰って来た時「やっぱり献体にしよう」電話の内容は一切ない。ただ 個々の表現はそうだか、もちろん小説全体としては読者の知らない世界、未体験の世界なわけですが。  そのこととかなり関係がある。芝居、映画の素人俳優。演技しているが何をやっているかはっきりしない。プロの俳優、その動作がそれらしく見えるこつで演じている。それに通じるところがある。本質を表す、それらしく読める表現がある。見たままを書くのでなく。   5 小説は後退しないか?これが書きたいという気持の強さ(あるいは感動する心) 書きたいという気持ちがうすれると、これで表現できたかどうかの基準もあいまいになり、文章そのものも下手になることがある。 6 その他 ☆小説を書き直すということ。支部雑誌の発行前に討論するか。どちらでももちろんいいのだが。大切な作業。書き直すがいやなら書き換えるといってもいいが。少しいじると全く印象が変わることがある。それを楽しむような気持ちで。いきなり出してあとから批評を聞くと書き直す機会はまずないだろう。 書き直してもだめな場合ある。それはなぜだろうと考えることがまた小説の本質を理解するうえで勉強になる。 ☆小説になりにくいこととなりやすいこと  検査でひっかかって入院したけれど結局再検査の結果異常なかった話。家を新築して新しい生活がはじまった喜び。子供が受験に成功した話。  切実、痛切なこと、悲しみ、弱いものの立場、 ☆言葉であらわしきれないものがある。絵、音楽、嗅覚、味覚 固有名詞を出す以外には正確にはつたわらない。言葉が万能ではない。本質的に無理。言葉で正確に音楽を表現することなど不可能。固有名詞を出す以外は。  先程のイメージを引き出す表現にも通じるが。 ☆大事なことは全部かかれているのだが、余分なことがはさまっているとそれぞれの印象がうすれる。これは面白いことだと思う。二つの小説にすればそれぞれ立派なものになりそうなのに、それが一つの小説として書かれているとまったくだめな小説になる。(意図的なものは別、村上春樹「風の歌を聞け」)短編では、一般によぶんなものが挟まっていると小説としての凝縮度が弱くなる。そういうものを削り落として行くと本質的な部分の文章が引力をもちあって、驚くべきことが生じることがある。 ☆会話の役割。  もっとも主なものはその人らしさを出すこと。人物描写なくても口の利き方で人がみごとにあらわれることがある。筋の展開に会話を利用しないほうがいいだろう。