講演「格差社会と文学」講演要旨   民主文学第34回関西研究集会における講演メモ
 
*自己紹介 1948年生まれ 団塊の世代 1983年12月号 支部誌同人誌推薦作「ガラスの城」で 初めて『民主文学』に掲載された。その後、主に職場(民間企業の研究所)を舞台にした小説を書いてきた。思想差別との闘いが最も大きなテーマである。弾圧に屈せず職場の変革を目指す人物 その現在だけでなく、思想が形成された青年期を描く作品も増えている。
まだ現役の研究者である。今年4月に定年をむかえたが、再雇用に応じあと4年余りの間は職場にいるつもりである。まだ職場に居るのは、まあ、いわゆる活動家が職場に本当に少なくなってきたので、少しでも私が長く居ることで、職場の権利などを守る一助になるかな、と思っている
 
関西とのかかわり 二回に分けて約10年住んでいた。十代の半ばから二十台のはじめまで最も多感な時を関西ですごした。今も兄弟の家が関西のあちらこちらにある。実家はもうありません。関西弁の痕跡がないのは長い東京暮らしのせいだけではない。両親は関西出身の人間ではなかったから・・・もともと関西弁はあんまり得意じゃなかったことをお断りしておきます。本当は流暢な関西弁で講演できるといいんですが・・・
 
 
 1 雨宮処凛さんとの座談会 2008年1月(4月号に掲載)
 多喜二『蟹工船』ブームに貢献した多喜二『蟹工船』ブームに貢献した話 2008年1月9日毎日新聞での雨宮処凛と高橋源一郎との対談 この中で「蟹工船」のことが話題になった。これについては『民主文学』もおおいに貢献している。と言うのは2008年月14日に雨宮さんを招いて『民主文学』の座談会をやった。編集の方からあらかじめ「これとこれは読んで座談会に出席してください」その中に『蟹工船』が入っていた。つまり、『民主文学』の座談会にむけて『蟹工船』を読んでいる途中に高橋源一郎との対談があった。『民主文学』の座談会の中で雨宮さんは「昨日、最後まで読み終わったのです。すごく泣きました。ビックリしました。」語っています。それから佐多稲子の「キャラメル工場から」の貧しさにふれて「・・・だけどあの主人公には家族がいて、帰ったら湯気がたっている御飯ができている。今のプレカリアート層だと派遣の寮に帰ったら知らない人が二人くらいいて、個室に鍵もない寮でコンビニ弁当なんていうのはまだぜいたくな方で、私の知り合いにも一束五十円ぐらいのそうめんを毎日ずっと食べている人がいます・・・」
プロレタリア文学が描き出したその当時の現実を越える貧困と不幸が現代に蔓延しつつあるのか、と暗澹たる気持ちになりましたが・・・
 
 『蟹工船』ブームの背景には、非常に過酷な現代の労働現場、背景にあり・・・白樺文学館の力大きい白樺文学館が漫画版『蟹工船』出版、ネットカフェに置いてある、エッセイコンテスト もちろん多喜二の文学をずっとながく研究し普及につとめてきた民主文学会、多喜二・百合子研究会といったところの力は何よりもおおきいのですが・・・それからブームには『蟹工船』の持つ力、文学としての高さ芸術として一級品だということが上げられる、 
 
さて雨宮さん・・・一言一言非常に慎重に話す人・・・なぜと聞いたら、友達が何十人も死んでいる、生活上も精神的にも非常に追い詰められている人達、相手の一言で傷ついて簡単に死んでしまう
 若い人は餓死する前に自殺を選ぶ、 農村で働き手を求めている、死ぬくらいならそこで働くこともできるのではないか・・・そこに行くお金がない。親に依存して生活している人もたくさん居る。その人たちの不安・・・親が死んだら自分も生活に困って死ぬだろう
雨宮さんの意見のぶれないところ・・・多くの困窮した友人の間で生活している 座談会を終ってある種の感銘をうけた。
 
〇格差社会が大変身近なものとなって来ている。私達の世代は、 私たちの世代 前後二十年の幅 親よりはよい生活が普通、今は違う 多くの家庭で派遣、契約社員、あるいは全く仕事がない状態の若者を抱えている場合が多い。
 
娘のこと 普通の就職ができなくてアルバイトで食いつないでいる。親の家から通っているから何とかなっているが、親が死んだらこの子はどうやって生きていくのだろう そう考えると胸がつぶれる思いがする・・・
 
こういう人たちに対して一体文学に何ができるか・・・それは簡単に答えがでるもんじゃないが・・・  文学でないとできないことがある。
 
〇 漫画、ドラマ、小説など に非正規雇用の主人公が登場している
 
〇一方『民主文学』には大変心強い作品が掲載される。 若手 横田さんをはじめ、浅尾さん 燈山さん、かなれさん、石井斉さん、いわば当事者として格差社会を告発する作品を書いている。 こういうテーマで書かれる作品を積極的に掲載し応援していくことは大切だと思う。特に自分自身が大変不安定な情況(病気も含めて)にある人々の書くもの、非常に切迫感があり、心の叫びみたいなものが聞こえる作品が多い。大切にしていくべき。
大きな作品 しんぶん赤旗の連載、秋元いずみ 「鏡の中の彼女」 民主文学に連載された井上文夫「時を繋ぐ航跡」なども非正規やアルバイトの人が主人公あるいは重要な人物として出てきます。
 
〇格差社会の描き方(私の場合)
 
(〇広い意味での「自己責任論」との決別 、これを人の内面によりそって丁寧に描きだすこと、これは文学の仕事ではないか・・・・)
〇 連帯と権利意識 そういうものが視野にはいっている方がよい作品がかけるだろう。直接作品の中に描くかどうかは別にして・・・
 
 一般文壇の作品でも 非正規雇用の主人公がでてくる作品が増えている。現実社会の反映 ドラマ「派遣の品格」ひどいドラマだと思いましたけど 
 たとえば 派遣の人が主人公だと ともすれば正社員憎し、というような感覚で書くと・・・憎しまでいかなくても派遣の人の苦しさやりきれなさをそれだけ切り離して描かれることが多い・・・
背景としては、
 正社員の人から あるいは組合から 親切にしてもらったり、いっしょに闘おうとよびかけられたり、正社員になる権利があるんだからいっしょに掛け合ってやろうとか  そういう経験がない場合も多い  (、  なぜ 自分たちがこういう情況におかれているのか、 大きな意味で どうすればそういう働き方でない ・・・ができるのか   ヨーロッパ社会における非正規雇用   権利意識の弱さ  三年同じところで勤務すると本人の希望があれば正社員にしなければならない)そういうところに目が行かない書き方の作品もある・・・意識的に書かないか、あるいは知らないか・・・文壇の作品には
 
 私の職場で言うと   派遣の人の雇い止めを止めさせた闘いもある、職場の自主的な新聞では派遣の人たちの声や要求も取り上げる・・・組合レベルではたとえ中央段階では右翼的な組合であるとしても末端の分会なり役員は職場の人達(派遣のひともふくめ)のために何かよいことができないだろうか、と考えている人が多い。ただ、今の日本の圧倒的な職場では、そういう力関係と言うか人間関係というか、そういうものが形成されていない、ある意味の狭い描き方は、そのことを反映しているのだろうと思います。
 
一番苦しんでいるある意味で生きるか死ぬかの生活を人々の姿だけを描けばよいか そういう小説は今、非常に大切  しかし、高度に発達した資本主義全体を見渡すといろんな局面で矛盾があるしそれを作品化することも必要 みなさんの中には、現代の格差社会、生きるか死ぬかのような世界は描けない、という方もおられる、あるいはそういう世界は自分の小説世界ではない、と感じる方もおられるに違いない。それはそでよいと思います。広い意味の格差社会はみなさんのお書きになる作品の多くにおのずと現れているものでもある。それからこれもある意味で格差社会を描いたことになると思うのですが、人間の色々な能力の発達、物質的にも精神的にも豊かな世界・・・   それを描く事によって、そういう生活を誰でもが送れる世の中にする必要があるんだ ということを主張する作品もあってよい 
現実の社会の不平等さを間接的にあらわすような作品があってもよいのだと思います。
 
1月号に向けて作品書いた。広い意味での介護問題「失われた時間」の取材、普通の老人ホーム、デイケアは知っていたので、思い切り高級な老人ホームってどんな具合だろう、そこでは本当に豊かな老後が送られているのだろうか
興味があった。
サクラヴィア成城 ・・・・1億4000万の入居金、年額600万 超高級なホテル、いたれりつくせりに見えた、予約なしに利用できるレストラン(たくさんのメニュー) 医療機関が建物の中にあって日替わりでいろんな科の先生が来る、ホール アトリエ 陶芸教室 クラシック音楽会、
 取材の後、何かむなしい。いやな感じがした。 年をとったら本来あれくらいのことは誰もがやってもらってもよいことではないか、それにこの国では億という金を出さないといけないのか・・・
 金のあるひとだけにこういう老後が保障されているのはおかしいではないか・・・強く感じた もう一つは資本の論理が老人施設にも貫かれている・・・資本 森ビル(東京の都心の土地をいっぱい持っていて貸しビル業で巨万の富を築いた一族)、セコム の出資、 非常に効率のよい投資と考えている 社会福祉の観点より金儲けそのもの 
 
「本を読まない、本を読めない時代に文学はどう立ち向かうか」にかかわって少しお話しをすると・・・直接こうだ、というのは難しい、関係あると思われるいくつかのことを提示しておきたいと思います。
 
 
こういう人達に対して、私達が民主文学なり支部誌なりによい作品を書いて読んでもらうことをすすめることが基本なのでしょうが・・・難しい本は読まなくても小説なら読むという人達も増えているのではないか・・・
・本を読むのは苦手だが、自分から発信したい、書いてみたい、小説というものを書いてみたいそうよう要求を持っている人は多いのではないか・・・その時、親切に小説の書き方のようなものを教えてくれる人・団体があることは、彼らにとっても非常に心強い。
 
・読めない人(経済的に) たとえば図書館の重視・・・私の本、全国で50近くの図書館に入っている 横断検索 その県のどこにどういう図書があるかインターネットですぐわかる ここには入れてほしいというところに入ってない場合も多い  100余り寄贈した・・・最近の図書館は非常に使い勝手がよくなっている、取り寄せ 経済的にも豊かでない自治体も増えているので、寄贈などに対応以前と違う。私達の作品が一般の人の目にふれる機会は増える
最近の図書館の様子   ウィークデー 混んでいる 新聞コーナー 赤旗の記事が見たかったので・・・1ヶ月束ねてある  8月、9月はみつかったが10月が見つからない おかしいと いつまでたっても 束が帰ってこない 本を買わずに図書館で読む人が増えてるのだろうな・・・)
 
インターネット、ブログの利用、これからの課題 時間があれば、私がインターネット上で文学サークルを運営した経験なども話したい・・・
 
2、 村上春樹が読まれるわけ(地元なので・・・) 
 
格差社会と文学というテーマと無関係ではない・・・
村上春樹 『1Q84』は又の機会に。全般 ファンの一番の言葉「人と同じでなくていい」「このままの自分でいい」と気づかされる・・・さきほどの「自己責任論」との決別にも通じるところが村上春樹の作品には早くからあらわれている・・・なぜ彼が早くからこういう思考を身につけたか・・・
いいところもあるけど、でも、村上作品は暗いですよね。
 
村上春樹の経歴からくる思考 父村上千秋氏との葛藤と反発
高校の教師・中学の教師でもある 「浜風受くる日々に」に書かれたあの学校です。 ちなみに阪神支部で活躍された花房健次郎さんの通われた学校でもある・・・花房兄弟 有名5人兄弟でしたか男ばかり 全部あの学校に行った・・・健二郎の弟さん秀三郎さん ノーベル賞に一番近い男と言われ続けた   昨年亡くなりましたが
さて村上春樹ですが・・・2月のエルサレム賞受賞記念講演 立派なことを言っていると私は思います。
その中で珍しく父千秋氏について語った部分がある 
「昨年、父が亡くなりました。90歳でした。元教師で、たまに僧侶もしていました。京都で大学院生だった時、軍に召集され中国に送られました。戦後に生れた私は、子どものとき毎朝食事の前に、仏壇に向かって心のこもった長いお祈りをする父の姿を見ていました。ある時、なぜそんなことをするのかを尋ねました。父は、戦場で死んだ人たちのために祈っていると答えた。すべての死者のために、敵も味方も区別せずに、と。・・・・  これは父から受け継いだ数少ないものの一つであり、とても大事なものでもあります。」
 
 
村上千秋氏・・・学生時代に戦争に行った世代、学徒動員ではなく、徴兵猶予の届け忘れ、第1回は中国、2回目は福知山歩兵第二十連隊、この部隊はフィリピンに送られ、連隊長以下ほぼ全滅しています。いざ出動の直前、召集解除「上等兵として戦地に行くより大学にもどる方がおまえもよかろう・・・」 命びろい 三度目は終戦の年・・・
俳句を作る人。「鳥渡るあああの先に故国がある」
 
村上春樹は京都生まれ、すぐ兵庫県の西宮香炉園に転居した。なぜか、大学で研究生活を送ろうとしていた千秋氏が西宮にある高校というか中学に引き抜かれた。この高校では、戦争によって大量に教師を失っていた。その補充、 だれでもいいわけじゃない、戦争の終了をきっかけに進学に力をいれようとしていたので、大学で研究をしようとしていた優秀な人を厚遇で迎えた。
上スガワラ町に社宅 当時としては驚くべき立派な職員社宅。いったんその社宅にはいったがために、腰掛で高校の教師をやりいずれ大学にもどるつもりであった人々がけっきょく戻れなくて生涯教師としてつとめる例がたくさんあった。村上先生もそんな一人であったと思う。
 
学校の入試 村上春樹が 父千秋氏の勤める学校の入試を受ける。これが通らなかった。社宅に住んでいたことも重なって、これは父子にとって非常にダメージになったと思われる。
同じ社宅に住む先生が結果を知らせに行くつらい役目を負った。職員会議では「少々点数が足りなくても入れてはどうか・・・」実際そうやって教師の子どもが入っていた。村上千秋先生は「そういうことは本人のためにもならないから」お断りになった。
 こういう体験が親子にとって愉快なはずがない。村上千秋氏 優秀な人、誇り高い京都人 村上春樹の言葉「野球は阪神、大学は京大・・・」の世界にどっぷりとつかっていた。千秋氏 「出来の悪い息子だな・・・」と思っていたんだと思います。息子がきっと自分ができなかった学問の道に進んでくれるくれると思ってたんでしょうね・・・
 
村上春樹の「いろんな生き方があっていいんだ」「ひとつの生き方にしがみついて生きるなんて馬鹿げている」という思い・・・ その根本にある体験ではないか、と思います。 
 
3.
〇「浜風受くる日々に」の反応
昨年1月1日から「しんぶん赤旗」で連載、159回  400字詰め原稿用紙550枚ほど 私の作品の中では一番長い
 
作品の内容
田舎の中学から甲子園球場のすぐ傍にあるK高校に編入した主人公哲郎の高校2年生の1年間を綴った作品。K高校、関西で伝統のある有名校。この学校に先生方の労働組合ができる。「セントーテキ」当局の組合弾圧に抗し、苦悩する教師たちへの共感、新聞部で培われた友情、過酷な勉強についていけず退学を決意する友人への同情。父親の事故と学費を稼ぐためのアルバイト。さまざまな出来事の中で主人公が視野をひろげ成長していく姿を描いている。
主人公の家庭、ゴム工場の労働者、まともな自分の部屋もない狭い社宅、一方、学校の友人の家、まるで別世界のような家、 少し古い時代だが、まさに格差社会を描いている。
 
反応
好き嫌いのある作品だと思います。連載が始まった時、何人かの方から心配の言葉をいただいた。常任幹事の方からも「あんた、難しい設定でかきはじめたね」「エリート高校の話がうまく書けますかね、そういう話ははじめから拒否する読者もいるんじゃないかな」連載をはじめた人に対してもう少し励ましの言葉はないものか、とも思いましたが・・・
テーマは主人公達高校生の成長ですが、それ以外にぜひ書き残しておきたいことがあった。1つはこういう学校に組合ができたことを書いてそれを作った先生方のご苦労に報いたい。もう一つは、失われつつある阪神地方の広い意味の文化遺産を書き留めておきたかった。
 
先ほど述べたように、まあ、心配してくれる方も多かったのですが結果としては
これまでになくお手紙、メールをたくさんいただいた。いい、と思った人が手紙くれるわけで、そうでない人はくれない。だから手紙をたくさんもらっても、その作品がよかったという証拠にはもちろんならないですが・・・。
 
特に、民主文学、しんぶん赤旗の読者以外の方がたくさんこの本を読んでくれた。インターネット書店(amazonnなど)で本が売れたようだ。最近、インターネットの検索システムの発展により・・・・普通の本屋に売っていない。「神戸で一番大きな本屋に行っても売ってなかった」・・・という現象を緩和する。
 
 モデルとなったK高校の関係者 熱烈な手紙 現役の先生、元先生が特に激賞してくれた。
 連載終了直後、K高校の校長先生から電話があって、「本になるのか、なるなら是非それを生徒に読ませたい、本にする予定がないのなら、こちらで新聞切抜きを製本し図書館に置く」。即座に「本になります」と答えた。3ヶ月後、できた本を持って学校を訪問すると応対に出た先生方が大変褒めてくれた、連載を切りぬいて1回から最終回まできれいに閉じて誰でも読めるようにしてあった。連載中は先生方が競って読んでいた。学校として購読してくれていたようだ。
 地元意識 母校意識あるにしても、 しんぶん赤旗に載った小説しかも組合問題がからみ学校への批判も有る作品にもかかわらず大変な反響があった。作品の持つ力に確信  
  ある意味で一般読者が読んでその感想が聞けた。ああいう学校なので、いろんな人がいる。弁護士、芸大の先生をしていた人、学者、医師、各大学の教授、企業人、ジャーナリスト そういう人がメールや手紙をくれる。
  部分的であはあるが一般に知られると我々の作品はけっこう勝負できる そういう実感がつかめた。
 ちなみに、全国の図書館調査してみると、 50以上の図書館に入っている(その後100冊寄贈)
〇格差社会との関係
 主人公の家庭の貧しさと友人の家庭の「豊かさ」を比べて描いている。たとえば友人の家の玄関にたとえば「東山かいいとか小磯良平」とかのリトグラフが飾ってあったとする、そのことをどう考えるか、 主人公の哲郎は当然強い反発を感じる、しかも、こんなに恵まれた環境にあるにもかかわらず、学業では自分の方が上だとひそかに誇らしく思う、ある意味で当然の感情だが歪んでもいる。資本主義の生み出す豊かさの中からも価値あるものを吸収していかなければならない・・・作品の後半では青山や亜希に対する自分の反発を、ある意味で自分の狭さと捉えるところがある・・・
 
〇どのようにこの作品を作ったか
 読まれた方は、ちょっと普通の長編と違うな、と思われたのではないか。長編としては異常に密度が濃いというか、部分が光っているというか、私の小説にしては、寄り道が多いというか
 この作品は10年以上かけて作った作品。短編がたくさん入り込んでいる、約10の短編 これまで書いた短編を下敷きにする・・・私の長編の特徴。私の場合、まっさらなところから書き起こす長編はまれ。それまで同じテーマで書いてきた短編を書き直し膨らませ、繋げて・・・
 いきなり長編を書こうとすると、ページを埋めるので精一杯になってしまう。すでにあるものの変形、修正、拡大の方が作りやすい。本質的なところを書くのに精力を注げる。なにもないところから作ろうとすると「スカスカ」したものになってしまう。
ある意味で特殊な作り方かも・・・例がないか ある。
 
〇モーパッサンの短編について   短編小説を学ぶ上で、まず読むべき作家の一人である。モーパッサンの長編「脂肪の塊」「女の一生」どちらだったか、何度も中断し非常に苦労して書き上げた。たくさんの短編が取り入れられている。  
短編が得意な人の長編の作り方の一つの方法ではにか
 
5、支部誌・同人誌評を担当した経験から
 6年間サークル誌委員会の責任者をしたが、一番感じたこと、これに気をつければます作品が飛躍する、と思ったこと・・・体験をそのまま書かないことの大切さ、とにかくこれが一番大切・・・
 
〇 体験そのものではなぜいけないのか? これを考えることによって必ず作品が飛躍する・・・
 私がここで安易な答えを言わない方がいいだろう。 とにかく結論として、体験そのまま書かない、体験に引き摺られた書き方をしない、 そのことを実行するだけで作品が飛躍する・・・
 
 
「この作品は体験そのものだ」と言うと「そんあことありません、主人公の名前も違っていますし、町の名前も変えてある・・・・」 そういうレベルのことではない・・・「体験に引きずられないことの大切さ・・・」
 
小説的な真実と現実生活の真実が違うという言い方もできるだろう。
余りにも複雑で煩雑な事柄の重なりによって現実の世界は進行していくので、小説
現実の人物 出来事ではもはや小説が満足しないとでも言えばいいんでしょうか、作品が要求するというんでしょうか。現実の出来事から出発するが、小説自体が完成度を求めて出来事や人物の変容を求めてくる、
 
「浜風受くる日々に」は自伝的作品に見えるかもしれないが、体験的なことはわずかしかない。この学校にしっかりした組合ができた事、友人が学校を辞めたこと、学校行事などは体験だが、主要人物、教師、友人も なかば以上が創造である・・・ たとえば東京からの転校生、軟派でハチャメチャな人物。 実際に居た人物は、東京の麻布学園というところから転校してきた人、真面目な人で大変な秀才であった、小説の中の人物とは大違い その人の一言「東京の学校では勉強だけやってる人間は尊敬されないんだ」その言葉にヒント・・・大変おもしろい人物を作り上げた
〇小説は人物である
 人物がいかに生き生きと描けているか。そこが勝負。どうやったら生き生きと描けるか、それを考えるだけで、作品の飛躍は間違いない
 
〇 説明と描写 その場面に読者が立ちあっているような臨場感の大切さ 説明でなく描写で
事柄を伝えればよいのではない。その作品の中に読者が入り込み、主人公と一緒に作品世界を漂うことによって大きな力を発揮する芸術分野
 
〇よい意味の「大人っぽさ」大切、特に青年期、少年少女の時代を描くとき
「浜風受くる日々に」執筆にあたって高校時代の日記読み返したが、思考も行動も幼すぎて、そのまま書いたのではとても大人向けの読み物にならない。
〇文章の大切さ(あまり大きなことは言えないが・・・)
 その一節を読んだだけで高い文学的香りを感じるような文章文体。そういうもので小説が書かれていると・・・えもいわれぬ充実感の中で小説を読みすすめられる 
 
6、 良い作品を書き続けるために
〇これまでに自分の書いたものは大切にすること 行き詰ったら、これまで自分が書いてきたものを読み返す
〇 自分の作品を肯定することの大切さ 「だめだ、だめだ」と思わない方がよい。
「浜風受くる日々に」の中にダ・ヴィンチやミケランジェロが出てくる。それにあやかって、ミケランジェロが、ダ・ヴィンチの絵を見た時に感じたことの記述を紹介してみたいと思います。ちょうどミケランジェロがローマで「ピエタ」像を完成させ、フィレンツエに帰って来て、ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』の画稿を見たとき、ミケランジェロは直ちに、そこには自分の『ピエタ』に欠けているものが描かれているのを感じた、そうです。 「欠けているもがあるのを自ら感じる」欠けているという表現も好きである。自分の作品を肯定しながら、なお「欠けているもの・・・」
 
〇(「他人の批評、感想を真に受けない」あまり一喜一憂しないことの大切さ 傲慢さとは違う。)一番いけないことは書かなくなること、書けなくなること 書き続けているうちに、すばらしいものが出てくる・・・ 
 
〇これを書きたい、何度でも書きたい、と思う事柄、一生大切にすること そういう気持ちを自分の中に引き起こすテーマ、そんなにたくさんはないのである。吉開さんの言葉・・・「よく調べてかいてあるけど、あなたの世界ではないわね・・・」 
 
〇過去を書くことと現在を書くこと  名だたる作家の名作は過去を描いたものが多い・・・
過去を書くことに引け目を感じなくてもよい。100年たてば、どっちの時代を書いたのかは重要でなくなる・・・
過去のことを書いたことに対する後ろめたさ、あるいは批判をさけるため、過去のことであるにもかかわらず現代風にしたり、時代をわざと曖昧にする人もいるが感心しない・・・
 
現代を書く意味ももちろんある  現実変える力になることがある
誰も書いてないことが多い、現代社会との接触により作品が継続的に発展する可能性有り・・・
 
〇職場を描くこと、人生を描くこと 
長編としては珍しく過去を書いた、職場以外のこと これについては批判もあったが・・・
書いてみた感触・・・何とも言えない広がりと深みを感じる・・・もっと書いてみたい
 
教養小説を読む楽しみ・・・・赤旗の文芸時評で宮本さんが書いてくれた言葉。
教養小説・・・生育過程を描く小説ということですが・・・
 これまでの自分の作品に欠けていたいたものに気づいた気がした。
 
〇 文学会  作家、評論家を育てる  決して切り捨てずに育てる 稀有な文学団体、
教えあい、 
 平瀬氏の出版記念会 大学の仲間、 元々作家志望  そういう人達が集るサークルに所属
その時点で作品を書き続けていたのは平瀬さんただ一人、 あとの人々は早々と諦めていた。職業的な作家になるか(それで生活していく)そうでなければ、作家を諦めるか、これはどこからきているか。出版の商業主義、 少数の有名な作家を作りその著作を大々的に売り出す・・・
 
民主主義文学会、そういう場所ではない。小説を書きたい、評論を書きたい人が1000人れば、その千人全部を応援し、よい作品が書けることを願う、書き手が多ければ多いほど発展する組織、運動の目的が達成される組織、そういうすばらしい団体である。
 
まだ入会していない方が居られたら、ぜひ入会していただいて、作家・評論家としてお互いに手をたずさえて、どこまでも伸びていこうではありませんか・・・
 
付録1
「長編と短編」
〇 短編作家と長編作家 例   民主文学会の多くの作家・・・長編を書く機会に恵まれない、ひょっとしたら長編でこそ力を発揮する人がいるかもしれない。それは非常にもったいないことである。
 私の場合も長く長編を書く機会に恵まれなかった。
 
 経験 50歳近くになって、長編の依頼があって、300枚程度のものを・・・300枚のつもりが、あれもいれ、これもいれ引き伸ばしに引き伸ばして全部書いた結果100枚のものしかできなかった、私の場合100枚あると何でも書けてしまう。・・・逆についつい長く長くなってしまう人もいる。ある意味でうらやましいと言うか、よくそんなにだらだら書けるな、当時はそう思っていた。
 それで、その100枚を1ページを3ページにすれば300枚になるだろう・・・
何とか300枚にしてもって行くと
 
〇短編の魅力 もちろん一番の魅力は早く読める、書き手としては早く書けるということはあるが、短いことによる 書かれていない部分を読者が自分の体験からの想像で埋める ここが人間の精神作用としては何とも味わいがあるところ 大変な魅力 だから 書きすぎない方がよい。
 
〇長編の魅力 作品の中をゆったりと漂うことができる。読者がその作品に浸っている時間の長さ、いろんなことが言える。主張が曖昧でもまあ許される。部分的にすばらしいところあれば・・・
書き手は悠々と書ける。短編・・・出来事を描く 長編・・・人生を大きなかまえで描くことができる。
 
〇短編と長編の違い 短編の方が難しい。短ければ短いほど難しい。(破綻しやすい、ちょっとしたほころびが命取り、長編の場合、悪いところがあってもよいところがカバーする。囲碁でいうと大石死なず 決定的に失敗した長編というのはあまりない。
 ですから、 民主文学会の多くの作家は生涯難しい課題に挑戦し続けているとも言える。
〇一度長編を書いてみたいが機会に恵まれないという人のために・・・支部誌に長編を発表することはなかなか困難である そこで・・・私がこうやった、という個人的な体験だが。。。
 
付録2
 
インターネットと文学
〇 インターネット 発表の場を無限に提供している(可能性) ホームページに小説を連載をしたことがある。最近はホームページよりずっと簡単なブログというものもある。だれでも作れる。渥美二郎さんのブログは大変な人気を集めている。ブログに小説を連載することももちろん可能である。そういうものを最終的に本する楽しみ・・・
何をかくそう、「浜風受くる日々に」の骨組みとなったと言える中編「暗闇の応援歌」はインターネットで連載した作品である。
 百名規模のインターネット文学サークルを運営したことがある。若い人が多い。玉石混合、しかし丁寧にアドバイスするとすぐれた作品を書く人もいた。北日本文学賞、山梨文学賞、さいたまスポーツ文学賞などを受賞するひとがいた。大変喜ばれた。読み手と書き手のアンバランス、書き手が圧倒的に多い。読むのがとても大変