穂高登山の記録


1995年 8月6日(日)

 夜、9時半に五反田でH氏と待ち合わせる。H氏はアイガーにも登頂したことのあるベテラン登山家だ。私の文学の先輩でもある。山手線で新宿へ。都庁の地下駐車場から夜行バスにのる。狭い座席だ。10時半出発の予定が15分ほど遅れる。11時すぎにバスの中は消灯となったが、高速道路の明りがバスの中を撫で斬りするように通りすぎていくので、少しも眠れない。途中何回かトイレ休憩のためサービスエリアに停車。

 8月7日(月)

 少し眠って目覚めると新島々駅。もう薄明るい。ダムがあったりトンネルがあったりで、本当に山奥に来たなという感じがする。H氏、ずいぶん昔と道が変わったと言う。
 上高地のバスターミナルの二階で朝食。山菜そばを注文。そばがぐったりしている。食後、トイレにいく。林の中の立派なトイレだ。H氏と交替して荷物番をする。目の前に水道の蛇口が並んでいる。歯を磨いている人や、水筒に水を入れている人がいる。ハンドマイクでトレッキングの参加者を募集している声がきんきんと響く。靴の紐を締め直す人、地図をひろげる人など、ここはこれから登山をする人々の活気にあふれている。H氏もどってくると、今度は売店に行って写真のフィルムを買って来た。小型カメラ(ペトリ?)にフィルムセットする。曇っていて穂高連峰見えず。
 6時過ぎに出発。大きな広い道だ。すぐに河童橋につく。梓川が本当にきれいだ。こんなに澄んだ青い川を見たことがない。写真とる。あいかわらず大きな白い道が続く。ほとんど起伏がない。ウグイスの声が聞こえる。夏のせいか、もう鳴き方も上手になっている。険しくそそり立つ山が見えてきた。明神とのこと。立派だ。
 梓川の広い河原には大きな流木がたくさん横たわっている。これまでみたことのない風景だ。流木というのは、人をひきつける不思議な魅力をもっている。流木のことを書いたへミングウェイの小説を思い出す。家族連れ、学校の生徒、中高年団体、若者などとすれ違う。
 徳沢について、一休み。ひろびろとしたいいところだ。昔牧場だったそうだ。売店にはソフトクリームのようなものも売っている。荷を軽くするために、お握りを食べたり、カロリーメイトを飲んだりする。
 写真をとって出発。ふたたび道が梓川に近づいて吊り橋が見える。慶応尾根など険しい山が見えはじめる。
 川にそった道を一時間ほど歩くと横尾山荘についた。山荘の前の休憩所には人があふれている。  橋をわたるといよいよ山道である。左手に屏風岩が見えてくる。すごい迫力だ。こんなところを本当に人が登るのかと思う。屏風岩をぐるりとまわりこんで横尾本谷の吊り橋をわたる。河原でたくさんの人が休んでいる。
 山道が少し急になり、休み休み登る。途中、中年夫婦が休んでいた。言葉をかわす。H氏が七十歳だというと、ひどく驚く。夫人がH氏の元気をもらいたいと言って写真をとった。落石注意の箇所が二つ。急いで通りすぎる。
 だんだん目の前が明るくなってきて、水の音がする。雪の残るごつごつした岩の間を幅広く水が流れている。なかなかいいところだ。テレビの「登山教室」?のスタッフの一行とすれちがう。南らんぼうらしき人に見とれてつまずいて転んでしまった。
 雪渓を横切り、石段を登りつめて涸沢ヒュッテにつく。もうふらふらである。受付で宿泊と明日の弁当を申し込む。ツガザクラの部屋。一つの布団に二人ずつ寝てもらうとのこと。荷物を置きにいくと船底のようなところに疲れ切った人々がまぐろのように横たわっていて休む場所もない。どきっとする。これが山小屋なのかと思う。こんなところでも平気で眠れるようでなければいけないのだと自分に言い聞かせる。建物は継ぎ足し、継ぎ足しの立体的なつくりである。
 二人で外に出る。H氏、三方を取り囲む山を説明してくれる。雪渓ではスキーをやっている。しかし何という雄大な景色だろう。こんなものを知らないでいままで過ごして来たことが惜しまれる。
 右手から、北穂、涸沢岳、奥穂、前穂、と三千メートル級の山が連なる。一番左は前穂の北尾根が鋭い稜線を見せている。目の前に天に届く屏風がそそり立っているという感じだ。岩壁の下は、ざらざらした細かい土(岩くず)が岩壁よりはいくぶん傾斜がゆるやかになって涸沢まで裾をひいている。寒くなってきたのでセーターを着た。
 夕食のアナウンスがあったので食堂に急ぐ。お茶ばかりほしくなる。しかし、何とか出されたものをぜんぶ平らげた。
 部屋(?)にもどると幸い人が少なくなっていたので、適当に布団を敷いて一番端に二人分確保する。横になるとどっと疲れが出る。向いの部屋(?)の人達はグループなので親密な話声が聞こえてくる。
 夜中に目がさめると、H氏が「星がきれいだよ」という。小さな窓から見ると、なんだかぎらぎらとしたものが見えるが、よくわからない。一人で外に出てみる。風が強くてとても寒い。見上げると、本当にたくさんの星が見える。星があまり明るすぎてふだんと様子が違うので、星座がわからない。天ノ川がはっきりと見える。山に囲まれて空の真ん中しか見えないが、全天見えたらどんなに見事だろう。部屋にもどる。左の人のいびきがすごく、また、寝相がわるくて押し寄せてくる。

 8月8日(火)

 階段を上り降りする音やドアを閉める音がしてあたりがさわがしい。時計を見ると五時少し前。もう起きる時刻だ。  朝食は、卵とノリとみそ汁・・・。水筒にお茶を八分目入れる。部屋に帰ってあわただしく支度をして、外のテーブルでコーヒーを飲んでから出発。風が強い。
 涸沢小屋を過ぎてからの登りをH氏は快調にとばす。ついて行くのが大変だ。樹木がなくなって岩くずと雪渓が目の前にひろがる。僕は雪渓をH氏は雪渓の縁の道を歩く。この部分の雪渓はゆるやかな傾斜だが、滑り落ちると涸沢までいってしまいそうだ。雪渓のところどころに鋭い岩がつきでている。激突したら大怪我をしそうだ。一歩一歩ふみしめて登る。雪渓が尽きたところは、緩やかな傾斜の真っすぐな長い道。頭が痛いので、そう言って少し休む。ヘリコプターが穂高岳山荘に荷物を運んでいる。黄色い小さな花が白出のコルの方にずっと続いている。見事だ。写真をとる。霧が出てきた。あたりが暗くなる不気味な感じである。
 ザイテングラードを登る。恐竜の背骨のような感じのする細長い岩場である。休み休み登る。定規を当てたように一定の傾斜の山肌が右手に見える。45度ぐらいだろうか。これが昨日小屋から見た時、長く裾をひいていた砂(細かい岩)の部分なのだろう。
 上を見ないようにして登ることにした。次の一歩をうまくはこぶ事だけを考える。そうしているうちにいつか目的地につくのだろう。あとどれだけと考えるとついつい急いでしまう。膨大なビラ折りの作業にもにている。一枚一枚やっているといつか終っている。
 穂高岳山荘のテラスで軽い食事。H氏、時間が遅れていることを気にする。
 いよいよ最大の難所である。霧がでてきて、全体がどうなっているのかわからないが、上にむかって最初のハシゴがかかっていて、登る人が次々と霧の中に消えていく。滑り止めのついた軍手をはめ決心を固める。夢中でH氏のあとについて登る。幸い霧で何も見えない。もし晴れていたら下が見えて体が硬直したに違いない。さほど恐いと思わないまま、ハシゴの難所をすぎる。岩屑の道を上へ上へ。岩に地衣類がついてなかなか味がある。海の底を見ているような錯覚を覚える。山頂は狭い道を挟んで右と左の両方にある。学生風のグループと、宿でいっしょだった中年の人などがいた。霧で何も見えず。しかし達成感はある。右の方の頂上で写真をとってもらって出発。細い道をすぎると、たくさんケルンがあり、人が休んでいる。
 吊尾根に沿って歩く。雪がところどころに分厚く残っている。南側の斜面は目を覆いたくなるほど急だ。道は尾根に出たり、少し下を通ったりである。尾根の両側が見えるところで写真をとる。雷鳥がいた。夏羽である。H氏がさかんに高山植物の名前と特徴を教えてくれる。
 そろそろ岳沢への分岐が近いはずだがなかなか標識があらわれない。岩場に腰をかけて山小屋でつくってもらった弁当を食べる。不安定な位置に腰をかけているので落ち着かない。もし地震がきたら座っている岩ごとこの崖から落ちるのではないか、と変なことを考える。やはり高所恐怖症の気があるようだ。通りかかった人が「上高地までおりるなら急いだほうがいい」とアドバイスしてくれる。
 紀美子平ではたくさんの人が休んでいた。大きな平たい岩を横切って岳沢へ降りる。H氏、何度も「道が悪いから気をつけるように」と注意してくれる。ハシゴや鎖の連続で、異常に緊張する。登るのとちがって、いやでも足元を見なくてはならない。これが困るのだ。H氏に励まされながら、とにかく難所をのりきる。だんだん霧が晴れてきた。高度がさがったためかひどく暑い。雷鳥平の少し先で雷鳥が山道で砂浴びをしていた。大学のワンゲルか何かの大パーテイを追い越す。喉が渇いてしょうがないが、水が残りすくない。ジグザグした道を下り、水のない河原を横切ってやっと岳沢ヒュッテについた。
 バスの時間の関係でゆっくりしておれないのでジュースを飲んで少し休んで出発。荷物を運ぶヘリコプターの音がうるさい。大きな石のごろごろした歩きにくい道だ。私たちのほかには人がいない。そろそろ膝がおかしくなってくる。痛み止めの薬をぬる。何とか上高地までもってくれればと思う。そろそろ上高地につくはずだと思って休んでいると、後から人が追い越して行く。「あとどれくらいか」と聞くと、あと一時間くらいだと思う、と言う。信じられない。岳沢ヒュッテからもう二時間は歩いているのだ。日が山にかくれてしまったので少し不安になる。懐中電灯を持ってきてよかったと思う。道が平坦になり小さな流れをまたぐ橋が頻繁に現れる。
 突然山道が切れ、車道があらわれる。ついた、ついた、やっとついた。標識に従って河童橋の方に急ぐ。ひょっとしたら7時の最終バスに間にあうかもしれない。
 バスターミナルに着いた時にちょうどバスが発車してしまった。タクシーの運転手風の人が、松本まで一人四千円で行くという。悪い話ではない。H氏と相談しタクシーに乗る。
 松本につき、駅で少し休んでから生ビールを飲みにいく。店がよくわからないので、チェーン店の「白木屋」にはいったが、騒がしくて落ち着かなかった。
 松本0時12分発(日付けが変わって8月9日)の急行アルプスに乗る。念のため指定をとったが、がらがらであった。 


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