本籍地への旅   風見 梢太郎 
    1998/03/01:「随筆・エッセイ」−「随筆・エッセイ・覚え書き」

子どもの入学手続きに必要な書類の中に「戸籍抄本」というのがあった。そんなものはすぐに手に入るのだろうと思って、出勤途中に区役所の出張所に寄ると、「静岡県の戸籍抄本などうちでは扱っていない」とのこと。戸籍謄本をファックスで取り寄せてもらった覚えがある、といいかげんな事を言って食い下がってみたが、「そういうことはやっていない」とつれない返事である。どうすればいいのかと聞くと「郵送でやるしかない」とのこと。やりとりの日にちを尋ねると、早ければ三日、最悪一週間かかると言う。入学手続きの締め切りまであと三日。間に合わない。目の前が真っ暗になる。「この電子時代に郵送しかないとは何事だ」と言おうと思ったが我慢した。よく考えれば手続きを知らない自分が悪いのだ。 本籍地の役場に電話して事情を話し何とかしてもらえないか、と頼む。「金は後から払うからすぐに送ってくれ」というと、「本人または依頼を受けた人がとりに来るか、依頼書を郵送してくれなければ戸籍抄本はだせない」との答え。それならば静岡に行こうと決心する。道順を聞くと、東京から新幹線をつかって新富士で乗り換え三時間半かかるとのこと。どんなことをしても入手しなければならぬ。妻も子どもも今日はもう家を出ているので、私が行くしかない。会社に電話して休みをとる。 富士駅に着いたのが十一時半。身延線の発車時刻まで一時間以上ある。何もすることがないので、正面にそびえる雪をかぶった富士山を眺める。スケッチブックがないので描くことができない。ただただその威容に感激して眺め入るばかりだ。沼津出身の芹沢光次郎の小説の中には雪煙の飛ぶ夕方の富士の凄さが出てきたが、さもありなんと思う。紺紫の山肌と、白い絵の具をこすり付けたような鋭さを持つ雪面のコントラストが見事だ。 二両編成の列車の右側に席を取ると、窓からは富士が見え続け、列車が動くにつれ山の形が微妙に変化する。やがて列車は山の中入り込み、富士山は見えなくなった。 目的のS町は、展望のきかぬ谷あいの小さな集落だった。本籍地でありながら、私ははじめてここにきた。父が成人すると同時に父の一家はこの地を離れ名古屋に移り住んだので父自身がこの地と縁がうすくなったようだった。おまけに父が早く亡くなったので、この地と私たち家族との間はますます縁遠くなってしまった。 役場は川をわたってすぐのところにあった。戸籍抄本を手にして役場を出ると私はほっとして、あらためてあたりを見渡すゆとりができた。しかしなんという寂しいところだろう。こんなところで父は育ったのだろうか。父は陽気でおよそ心配事を持たぬ性格だったので、父とこの地が結びつかない。今日は曇っているのでこんなに寂しく感じるのだろうか。父の話の中に出てきたことのある大きな川の河原は荒れ果て、濁った水が渦をまいている。線路に沿った道の両側の店はすぐに尽き、その先は民家がぽつり、ぽつりとあるばかりだ。私が父を早く失ったように、父も祖父を早く失った。父を頭とする三人の子どもと祖母とのつつましい生活がこの村のどのあたりで営まれていたのか、それさえ見当がつかない。 どうせ休みをとったのだからどこかに寄っていこうか、という気持ちがふと生まれた。身延線で甲府まで出て、中央線で東京にもどる手もあるな、と思った。父が見たであろう身延線沿線の風景を自分の目にもっと焼き付けておきたい気がした。駅に近づくと警報機が鳴り出した。来た列車を逃すとまた一時間待たねばならないのかもしれない。どちらの方向であっても来た列車に乗ってしまおうと思ってホームに駆け込むと、富士方面に行く列車が入ってきた。