・ 自己紹介、文学とのかかわり、比較的遅かった。
・ 作文得意、理科と国語、変なとり合わせの好きな子ども、田舎、英語も文学作品がでてくると俄然強かった。
・ 進路、迷わなかった、高度経済成長の直前、大量に技術者を育てる時期、宣伝
文学が自分の専門になるとは思わない
・ 文学全集、図書館、 夏休み、アルバイトするか、一日中ゴロゴロしていた。
・ 学生時代、1960年の終り
・ 研究がやってみたい、向いているだろう
・ 1971年就職、
・ 通信会社の研究所の状態、六十年代の半ばころから反共の嵐。1964年の4・17問題による打撃、研究所の組合はそれから約六年間持ちこたえた。組合転覆直後の入社
・
・ 表立った活動はしていなかった。独身寮での活動。徹底的に親しくなる、そのなかで仲間を増やす。これはかなり成功した。大学を出て本社採用で入ると、かなり優遇された、(まあエリート社員だったんですが…)生活を共にする、ということの親密さのすごさ…。
・ 学生運動をやっていたが、就職してから活動はやらないと決めた人達、かなりいる。裏切り、密告…文学のテーマにもなる
・ 入社5〜6年、差別、これは本当にひどかった…
・ 当時の運動の先輩の言葉「楽しく過ごす工夫を」…なぜか?
背景、辞める、自殺、心身を患う。研究者、真面目、思いつめる
・もう一度自分の人生を見つめてみよう、人生を豊かにしていきたい。1976年ごろ
・ 文学…処女作「凍てる知の泉」1981年…「けぶる対岸」の原型、1983年、「ガラスの城」で支部誌・同人誌推薦作、「ガラスの城」という作品は第18期の文学教室の卒業作品として書いたもの。なぜ文学教室に行くようになったか。
見ようみまねで小説書いていた。処女作などは今読むと本当に恥ずかしい。書きつづけるが、回りの評判がだんだん悪くなる。
話はそれるが、作家を傷つける言葉ワーストスリー、
3、前の方がよかったね(だんだん悪くなるんじゃないか)
2、これ、小説?
1、 何がいいたいのかさっぱりわからない
私の作品について、ワーストスリーをいろんな人から言われる。加えて職場を描くことの固有の難しさもある…
それで、小説を少し勉強してみよう、と思って教室に通った。
1983年に初めて民主文学に「ガラスの城」が載ってから、丁度20年ですね。今年は。
・ 全国誌20作、民主文学、圧倒的に職場の問題が多い、17作、それ以外3作「就職」「二十年」「うなる山頂」、支部誌などを含め全体をみると職場が舞台とそれ以外、半々。私に関しては職場物の方が評価が高いということかもしれない。
・ 職場の現状、1990年代の中ごろから職場の空気が変わってきた。長年の闘争、電力裁判、民営化、日常的な差別なくなる、表面的には…
・ 成果主義賃金、福祉施策の大幅後退、退職強要、給料が毎年大幅に下がっている。
・
・ 最近裁量労働制の導入計画、みなし労働、7時間半をみなし労働とする、つまり残業は一切なかったことにする、とんでもない案、国会で取り上げてもらおう
・若者が職場を去るのを上司が引き止めない、(以前は大学との関係)
・ 現在、文学同盟の中でやっていること、一番の大仕事、サークル誌委員会の責任者、
毎月、山のようにおくられてくる支部誌。同人誌を読んで批評する
・ 支部誌を読んで思う事
・ 作品の内容、一番多いもの、体験をほぼそのままに書いている。あるいは…
体験の中でつごうの悪いところを少し変え、主人公を設定して小説の形にしている。
別に強く訴えたい事があろうがなかろうが関係なく書いている。こういうことがありました。読むほうは「ああ、そういうことがあったんですね」だけのものある。
・ 小説における体験の位置付け…一概に言えないが…私は、小さな体験を膨らまして、作りに作る方である。自分がその小説のい中で主張したい事が浮き上がるように、人物も場面もすべて作る。ですから、人物のモデルは一応がるが、一割も似ていない。
・ 書き始めは体験記でもいいのだが、自然にそこから離れていくはず、しかし?
・小説の材料となるものをそのまま書いているのではないか、と思われる作品がある。
・ 自分のために、極端にいうと自分のためだけに書かれた作品、自分はこんなひどい目にあった、書かざるをえない…
これは全く意味のない作品ではない。当人にとって立ち直る契機となる作品もある。書くことで癒されたり、認識が深まったりする場合もある。しかし…読み手が少しもひきこまれない場合が多い…。
・ 第一稿校で出しているのではないかと思われる作品。
(第一稿というのは、文豪といえども惨憺たるものである…)
・ 運動を書く難しさがわかっていない。普通の小説よりずっと難しい
社会活動家としての生活感情そのままが書かれている。党員を増やしてうれしかった。でも… 「宗教団体」に所属する人が を増やしてうれしかった、といのと変わらないのではこまる。そのためには、運動の正しさ、役にたつそのたち方、かけがえのない存在、役割、そういうものが伴っていなくてはならないが…
・特定の時代の特定の人にしかわからない作品では困るかもしれない
・ 一方、題材のよさ、目線のよさ、これは社会をよい方向に変えていこうという方向で生きている人が多い集団としては当然、他の作家・評論家が真似が出来ないところ
・ 支部誌の大切さ。文学同盟の作家・評論家、位置付け、同人誌と違う、同人誌、いわゆる作家になるための手段、踏み台のようなもの、
・ 支部誌、その地域の書き手(文章が書ける人)を根こそぎ組織するような位置付けも大切。
・ 体裁、非常に美しい支部誌がある。表紙の絵、写真、挿絵、字配り、紙、お金をかけるということとまた違う。絵を書く人まわりにいるはず。
・ 作品の載せ方、トップ作品、支部で一番押し出したい作品を。到着順の方が楽だが…
・民主文学の「支部誌同人誌推薦作」に応募を!
・ 最近の若い書き手と接して
・ インターネットで若い作家とじゃんじゃん仲良くなっている。
・ 会って話してみると、気のいい好青年が多い。若者の生き難さ感じる。
エンターテインメント指向?、コンテスト指向?
・都会の同人雑誌、
・ いかに我々の文学が知られていないか、我々の文学がかれらに影響を及ぼしていないか、思い知らされる
・ 彼らの目指しているものとわれらが目指しているものがかなり違う、いわゆる作家になりたいと思っている人が多い。
演劇関係…津上忠、押すな押すな
・自分もその方向で行こうかな、と若者が思うには、お手本が必要。いわゆる作家…もう少し峰が高い方がいいだろう。世間的な意味で…
・ 一方、平瀬誠一氏の同人誌の体験、多喜二百合子賞の祝賀会、同人誌などの弱肉強食。
今の文壇の作家、出版社に依存、出版社が育てている。同じ力の人が10人いたら、だれか一人を選んで、金をかけて大宣伝して本を売る、そういうことで成り立っている世界。
私たちの場合には、そういうスタイルと違っている。吉開さんも同じ体験
・
・最近、面白い経験あり…花房さんの本のこと、同窓会メールで話題に
・ まだ主流は、本であり雑誌である。図書館に民主文学関係の作家の本をリクエストするようにしている。みなさんにも可能な方にはお願いしたい。小さな努力の積み重ねでいくしかないのかもしれない。
・ 民主主義文学運動、支部、地域の運動、作品が一番の基礎になっている。さきほどの文壇・同人誌の話をしたが、文学同盟というのはたとえば、100人の作家志望の人がいれば、100人を育てる団体。息長く文学をやっていこう、という人達にとってこれ以上の団体はない。
文学会を大事にして、意気高く、我々の文学を世に広く出していこうではないか。