引き潮     
 

 右膝の焼けるような痛みで私は目覚めた。施療室の中は静かだった。石の壁に小さく穿たれた窓から赤い夕日がわずかに差し込んでいた。耳をすませたが、隣の礼拝堂からも修道士たちの居住棟からも何も聞こえてこなかった。この修道院に関わるすべての人が島を抜け出して避難したのだろう。それならそれでよいのだ。私はすがすがしい気持ちになって寝返りを打った。骨折した膝がまた激しく痛んで、私は思わず声をあげた。声は壁に反射して不気味に響いた。
 シャルパンティエ副院長も避難なさったのだろうか。私はただそれだけが気がかりだった。都市からなだれ込んだ群衆が農民と一緒になってこの修道院に押し寄せてくるという噂が伝わってくると、院長と副院長はシャルパンティエ修道士を臨時の副院長に任命し、自分たちはさっさとこの島を出て雲隠れした。シャルパンティエ殿は修道士たちの行く先を決め、旅支度をさせ、写本や大切な書類を避難させる手はずをととのえた。シャルパンティエ副院長のご命令で、修道院の宝とも言うべき写本を書庫から運び出す作業をしていた時、私はうかつにも踏み台から落ちて頭を打った。同時に右足の膝の骨が砕けた。私は施療室に移され、一人ベッドに横たわる日々を過ごすことになった。
 私が心配していたのは自分の体ではなかった。私は骨折を知った時から、この島を出ることは諦めていた。干潮時には陸続きとなるこの島を出るのに、修道士たちは自分の足を使った。皆についていけば足手まといになるばかりである。私はこの建物の中に留まる覚悟をしていた。いきり立った人々も、もしかしたら動けぬ一介の修道士を見逃してくれるかもしれない。もう片方の足を折られるくらいで許してもらえるかもしれないのだ。
 私が気に病んでいたのはシャルパンティエ副院長のことだった。シャルパンティエ殿は責任感の強いお方だった。院長や幹部たちがいなくなった今、シャルパンティエ殿は一切の責任をとって死を覚悟しておられるのではないか、と私は思ったのだ。
 シャルパンティエ殿には特別に世話になった。私はもともと修道士を目指していたわけではなかった。十二歳の時、私の育った村が黒死病でほぼ全滅し、辛うじて生き残った祖父に連れられて私は放浪の旅に出た。私たちは巡礼者の群れに紛れ込み、この修道院にたどり着いた。食堂で振舞われたパンとぶどう酒を口にしてすぐに、祖父は息絶えた。それで私は一人になってしまった。私を哀れんだ修道士たちが、私がここに留まれるよう助力してくれた。修道院には修道士だけでなく日常の雑務を行う者がいた。私は建物の修理をする作業者としての訓練を受け始めたが、体が弱くよく熱を出して倒れた。シャルパンティエ殿はそんな私を施療院に入れて休ませ薬を処方してくれた。シャルパンティエ殿は医学や薬学に通じており、修道士の病気を治す仕事もやっていたのだ。
 シャルパンティエ殿は当時、四十なかばであった。恰幅のよい大変陽気なお人だった。私が気に入ったようで、暇を見てラテン語とギリシャ語を教えてくださった。私は元々勉強が好きだったので上達は早かった。私はシャルパンティエ殿から何か教えていただくのが嬉しくてしようがなかった。シャルパンティエ殿は私を子どものように思ったのか、しきりに抱き上げたり頬ずりしたりした。
 やがて私は建物の修理をやめ、修道士として写本を行うようになった。十年ほど前のことだ。修道士の間では誰かが誰かの庇護者のように振舞うことは固く禁じられていたので、シャルパンティエ殿が皆の前で私を特別扱いすることはなくなっていたが、二人きりになるとシャルパンティエ殿はひどく打ち解けた態度を見せた。
 

 ドアが勢いよく開いて、灯りを翳した人が入ってきた。
「フレール・カニエール、具合はどうかな」
 シャルパンティエ殿の声だった。フレールとは兄弟を意味するこの国の言葉で、修道士たちは名前の前にフレールをつけて呼びあっていた。
「ありがとうございます、フレール・シャルパンティエ、ずいぶんよくなったようです」
 私が答えると、シャルパンティエ殿はカンテラを壁にかけてベッドに近づき、私の額に手を当てた。
「おう、熱はさがっておるな」
 シャルパンティエ殿はそう言って柔らかな表情を見せた。
「もう、行ってしまわれたかと思いました」
「私がそなたを見捨てていくことがあるものか」
 シャルパンティエ殿は大きな声で笑った。
「いえ、フレール・シャルパンティエ、むしろあなたには早くここを逃れていただきたかったのです」
「何を馬鹿な」
 シャルパンティエ殿は窓に近寄った。
「小さな船を手に入れたのだ。そなたを運ぶためにな」
「私がこの島から出られるのですか」
「そうだ」
 私は嬉しかった。その嬉しさは、私は自分の命が助かることよりも、シャルパンティエ殿が自分のために骨折ってくれたことによるものだった。
「あなた様も一緒に船でこの島を離れるのですか」
「いや、そうはいかん」
 シャルパンティエ殿は首を振った。
「さあ、急がねばならんぞ」
「はい」
 私は納得できないまま返事をした。
「あの火が見えるかな」
 シャルパンティエ殿は南の窓に顔を向けた。私はベッドから下りようとしたが体がふらついてうまくいかなかった。シャルパンティエ殿が傍に来て、私の脇をささえてくれた。私は左足に体重をかけてようやく立ち上がった。窓に近づくと、大きな焚き火が二つ。その周りに無数のタイマツが揺らめいているのが見えた。
「もう人が集まっているのですね」
「タイマツの数が急に増えてきた。潮が引けばすぐにここに押し寄せてくるだろう。さあ、私が背負うから、肩につかまりなさい」
 シャルパンティエ殿はそう言って私の足元にしゃがんで背中を向けた。
「あなた様に背負われるなど申し訳なくて」
「そんなこと言っておる場合ではない、さあ」
 そう言ってシャルパンティエ殿は首をひねって私の顔を見上げた。
 私は頷き、倒れこむようにシャルパンティエ殿の背中にもたれかかった。シャルパンティエ殿は立ち上がると、左手を私の尻に回し、右手にランタンを持って歩き始めた。
 

 納骨堂を抜け、太い柱の林立する礼拝堂を抜け、シャルパンティエ殿は歩き続けた。大きな背中を通して伝わってくるシャルパンティエ殿の鼓動がだんだん早くなった。シャルパンティエ殿の一つ一つの苦しげな呼吸がまるで自分のもののように思われた。足がちぎれるのではないかと思うくらいの痛みは、シャルパンティエ殿の苦しげな様子を肌で感じるうちにいつしか消えていた。シャルパンティエ殿の僧衣の背中は汗でぬれ、それが私の僧衣の胸に染み込んできた。しかし、汗の匂いはしなかった。
 ベネディクト派の修道士の僧衣は頻繁に洗濯するわけではないので、たいていの修道士からは汗臭い匂いがただよってくるのだが、シャルパンティエ殿からはついぞそのような匂いが漂ってきたこたことはなかった。むしろいつも爽やかな人の心を落ち着かせる香りがほのかにただよっていた。薬草に詳しいシャルパンティエ殿が何かそのようなものを体に塗りこんでいるのではないかと私は思った。
 迷路のような小さな部屋を行きつ戻りつしているうちに、人がやっと通れるほどの狭いらせん状の階段があらわれた。シャルパンティエ殿は体を斜めにして一段、一段に足を止めながら慎重に降りていった。
「こんな階段があったのですね」
「ここは要塞として使われていた時期があったので、こんなものつくったのだろう。思わぬ時に役にたつ」
 百段も下りただろうか。小さな石の空間の先に幅の広い階段があり、その階段は水の中に続いていた。壁には小さな蝋燭が揺らめいていた。階段の端に小さいが見るから堅牢そうななボートが舫ってあるのがぼんやりと見えた。
「二週間分の食料と水が積んである。そなたの僧坊にあった大切そうなものも積んでおいた」
 シャルパンティエ殿はボートに歩み寄って言った。 
 「何もかも、本当にありがとうございます。何とお礼を申し上げてよいのやら」
「私に礼などいらん。神に感謝しなさい」
 シャルパンティエ殿は慎重にボートに乗り込んで身を屈め、オッと声を出して私を背中からおろした。私は仰向けに船の床に倒れた。
「フレール・シャルパンティエ、このまま、この船に乗って二人でこの島を逃れることはできないのでしょうか。お願いです。そうしてください」
「そうはいかんのだ」
「なぜでございますか。院長も幹部たちもみんな逃げてしまったのに、あなた様一人がここに残って農民たちの責めをうけるのは理不尽でございます」
「そんなことは最初からわかっておる。ただ、私はここに残って農民たちに謝りたい」
「何を謝るのでございましょう」
「彼らからこの修道院が生活の糧を取り上げたことについてだ」
「我が修道院が領主から寄進された土地である以上仕方がないことではありませぬか」
「この修道院の所有する領地では、税の取立てがことのほか厳しかったのだ。農民の出身のそなたであれば、農民の恨みがわかるであろう」
「それも院長様たちのなさったこと、あなた様が責めを負うべきものではありません」
「しかし、農民たちから取り上げたもので、私たち修道士は生きてきたのだ。祈りをささげ、神をたたえ、写本をしたとはいえ、やはり、私たちは働かずに農民たちが作ったものを取り上げて生きてきたのだ」
「でも、農民が修道院に差し出したものは、天国で10倍になって返ってくると言われているではありませんか」
「それは、税を取り立てる方の都合のよい理屈だ。聖ベネディクトの教えはもともとそういうものではなかったのだ。自ら働いて自らの糧を得るそういう生活をしなければいけなかったのだ」
 シャルパンティエ殿が、この修道院の生活が、聖ベネディクトの戒律に反していると考えていたことは、何かの拍子に感じることがあったが、はっきりと口にされたのはこれが初めてであった。 
「それから、何としてもこの建物を破壊しないように頼まなければならないのだ」
 シャルパンティエ殿はきっぱりと言った。
「さあ。もう時間がない。船を出すぞ」
 シャルパンティエ殿はそう言って私に顔を近づけた。
「フレールに神のご加護がありますように」
 私たちはお互いの頬に口をつけて修道士としての別れの挨拶をかわした。シャルパンティエ殿は身を屈めたまま船から下りた。
「よいか、潮が引くにつれてこの船は自然に門をくぐって海にでる。あとは月明かりで北の島を見定め舵を切るのじゃぞ。とりあえず櫂は使う必要はない。引き潮が船を運んでくれる。島についたら、碇を下ろして、次の満ち潮を待て。それから、様子を見て東の海岸にそって北に行くのだ。いくつかの小さな村がある。どこにも教会がある。もちろんベネディクト会ではないが力になってくれるだろう。半島をぐるりと回り海岸線にそってすすむと大きな川の河口に来る。その川をさかのぼれば都に着く」
 シャルパンティエは大工あるいは船大工という意味を持っていた。シャルパンティエ殿はバイキングの子孫で船大工の家系だったのだろうか。私はふとそんなことを考えた。
「さらばじゃ、フレール・カリエール」
 そう言ってシャルパンティエ殿は綱を解き船の艫を強く押した。天井の低い暗い水路をボートはゆっくりと進み始めた。
 

 私が再びシャルパンティエ殿に会ったのはそれから五年後、この国の首都においてであった。
 革命によってこの国では修道院の制度が廃止されたので、私は生きていくために働かねばならなかった。幸い私は中等学校でラテン語教師の職を得て、学校に付属する教師用の宿舎に寝起きしていた。私の右足はあの時の骨折が元で十分に動かなくなっていたが、杖があれば日常生活に支障はなかった。
 ある晩、私が食事を済ませて宿舎に帰ると、戸口に身なりのよい小太りの老紳士が立っていた。
「何かごようでしょうか、ムッシュ」
 私が訊ねると老紳士は懐かしそうに私を見つめた。老紳士は口ごもりながらフレール、フレールと繰り返した。
「シャルパンティエ、フレール・シャルパンティエではありませんか」
 私は驚いてそう叫んだ。
「フレール・カリエール、やはりそうでしたか。探しましたぞ」
 そう言ってシャルパンティエ殿は私を強く抱きしめた。シャルパンティエ殿の首筋から昔と同じ爽やかな香りが漂ってきた。
「ご無事だったのですね。何という幸運、そして懐かしさでしょう、さあ、中にお入りください」
 私はもどかしくドアのカギを開け、シャルパンティエ殿を部屋に入れた。
 ワインとチーズと残り物の料理で、私たちは何時間も語り続けた。あの修道院の中でシャルパンティエ殿は群集に取り囲まれたが、農民の中にシャルパンティエ殿に治療してもらった者がいて弁護してくれたのだそうだ。院長をはじめ修道院の幹部が逃げ出し、止むを得ずシャルパンティエ殿が責任者になったことに群集も同情的であったとのことだった。
 シャルパンティエ殿は今は医者として働いているということだった。大学で学びなおし正式に資格をとったのだそうだ。
「お見受けしたところ、ご家族はおられんようだが」
 シャルパンティエ殿はひどく遠慮した調子で言った。
「はあ、ずっと一人で暮らしております。まあ生徒が息子たちのようなものでして」
「この宿舎に住むのがこの学校の教師の勤めですか」
「いえ、そんなことはありません。街に住んでここに通う教師もたくさんおります」
「そうですか」
 シャルパンティエ殿は二度、三度と頷き、それから咳払いをした。
「どうでしょう、フレール・カニエール。私の家においでにないませんか。私も一人で暮らしております。私の家は二人で暮らせるくらいの広さはあります」
「あなた様とごいっしょに暮らせるなど、なんという幸せでございましょう」
 私は思わぬ提案に驚いたが、すぐに激しい喜びが胸を締め付けた。
「あの修道院の中で、私はフレール・カニエールともっと語り、もっとお互いを知り、もっと共通の時間を持ちたい、とどれほど切望したことか。しかし修道院の中ではそれは果たせませんでした。私の余生は長くありませんが、これからの生活の中であの修道院の中で失われた時間を貪欲に取り戻していきたいと思うのです。まことに勝手なお願いなのですが、いかがでしょうか」
 そう言ってシャルパンティエ殿は私の顔をじっと見た。私に異存のあるはずはなかった。                          
                              (了)