浜賀さんのこと(9)
 
 浜賀さんは永くパーキンソン病を患うセツ夫人を看病してきた。私達の目から見ると、大変なことをやってあげていたはずなのだが、浜賀さん自身は「十分なことがしてやれなかった」という思いに苛まれていたようだ。
 浜賀さんが定年退職して家にいるようになったので、夫人は今までよりもずっと介護に時間がとってもらえるものと思っていたようだ。ところが、浜賀さんには定年になったら文学に専念したいという強い思いがあったのだろう。これまで会社勤め(しかも遠距離通勤で片道二時間半かかった)や活動で自分の時間がとれず、文学をやる上で歯がゆい思いをしていたのかもしれない。比較的自分の時間が取れる環境にある人たちとの仕事量の差を苛立ちを持って見つめていたのかもしれない。いよいよ定年を迎え、浜賀さんは何よりも文学の勉強と研究に時間を費やしたかったのだろう。浜賀さんは、物を書くのに時間がかかるタイプの人である。何回も何回も原稿を書き直し、最期は徹夜して原稿を仕上げていた。「サークル誌評」などは暮れも正月も全部使って仕上げるほどだった。
 「十分なことがしてやれなかった」という思いの中に、夫人の臨終に立ち会えなかったことも大きな割合で含まれていたのではないだろうか。都立荏原病院に入院していたセツ夫人の死は突然であり、しかも早朝だったようだ。病院からの連絡は「死亡」通知だったのだ。
 友人がなくなった夫人のために本を出したりすると、ひどく興奮しておられた。自分もセツ夫人のために何かしてやらなくては、と強く思ったようである。セツ夫人の膨大な日記を出版する計画をたて、私もパソコン入力を引き受けたりした。日記には人に読まれたくないことがたくさん書かれているので、私は出版に賛成ではなかったのだが、浜賀さんは「名だたる文学者はみんな日記を公開しているではないか」と言って計画を変えなかった。本屋との交渉に入る前に浜賀さんがなくなったので、日記の出版は未だに実現していない。