浜賀さんのこと(8)
浜賀さんには軍隊の経験がある。1945年に横須賀の武山にあった海兵団に入営して、数ヶ月後に終戦をむかえたとのことだった。海兵団と言うのは、海軍の教育機関で、陸軍で言うとあの悪名高い「内務班」に相当するものだそうだ。
いじめ、制裁などがあり、さぞ大変だったことだろうと思って訊いてみると、そうでもなかった、とのこと。陸軍と海軍では随分と雰囲気が違ったのだろうか。しかも小柄な浜賀さんの配属先は「衛生班」のようなところだったので穏やかだったのかもしれない。「カッターの練習があった日はいつもより夕食が少し多かった」とか海軍は案外「合理的」で、敬礼などもは陸軍と違って簡略化されているといった話をお聞きしたことがある。浜賀さんは階段を二段ずつ上る癖があったが、海軍で習慣化されたものだそうだ。狭い艦内では階段ですれ違うのに困難があったので、階段はできるだけ素早く通り過ぎるべきものということで二段ずつ上ったのだそうだ。
横須賀港に入ってくる直前の日本の艦船がアメリカの戦闘機に襲われる様子を目撃した時の話は何度も聞いた。日本にはもう飛行機がなかったので応戦することができず、戦艦は弾幕をはって戦闘機を近づけないようにしているのだが、弾丸を撃ちつくすと、待ってましたとばかりにアメリカの戦闘機が襲いかかって撃沈したのだそうだ。
終戦の前後は、「幹部は隠匿していた物資を私物化して運び出した」と憤慨しておられた。
何にしても戦地に行く前に終戦となって命拾いした世代である。
浜賀さんの年の人(1926年生まれ)を境にして、軍隊に行ったかどうかがわかる(徴兵によらず志願の場合は浜賀さんより若くても軍隊経験がある人もいる)。数年前に生れていると戦地で死ぬ確率はかなり高かったはずだ。
浜賀さんとお付き合いしていると、軍隊、戦争、戦後の苦難を乗り越えてきた人の度胸のすわり方はやっぱり違うな、と感じることが時々あった。