浜賀さんのこと (5)
 
 浜賀さんがドクターから「一人暮らしはもう無理だ」と言われてから、私はできるだけ一緒にいる時間を長くしました。浜賀コレクションと言われる膨大な資料や書籍を使ってまだやらなければならない仕事が残っているということだったので、何とかそれをお手伝いできれば、と考えたのです。ヘルパーさんが一日に一時間半来てくれました。ヘルパーさんに昼の食事を食べさせてもらい、やっていただける人には簡単な夕食を作っていただきました。会社の帰りに浜賀さんのところによって一緒に食事をし、一緒にテレビを見ていろんな話をして、お仕事を少し手伝い、翌朝の食事の支度をして終電近くに帰宅する生活が続きました。
 私は母を介護していた時、食事を作った経験があり、食事を作ることには慣れていたのですが、浜賀さんにはなかなか満足してもらえるものが作れませんでした。ヘルパーさんも苦労していました。というのは、浜賀さんは小さい時から上等なものを食べていたせいか舌が肥えていており、またセツ夫人も料理が得意だったのでずっとおいしい物を食べていたからです。
 外食も度々お付き合いしたのですが、どの店でも「うまくないな、ここは」と言われました。唯一の例外は「天屋」でしょうか。揚げたての天ぷらがおいしかったのでしょう。
「食は文化」と言われるので、おいしいものを食べなれていることは良いことなのですが、夫人があまりに料理が上手だと一人暮らしになった時に大きな落差を感じるのでちょっと考え物です。
 私自身はあまり食にこだわりがなく、何を食べてもおいしく感じてしまうので、料理人には不向きのようです。浜賀さんが「おいしい!」というものを作ってあげることができず申し訳なかったと思っています。