浜賀さんのこと (4)
浜賀さんとお付き合いするようになってから強く感じたことは、都会育ちと田舎育ちの違いということでした。浜賀さんは生れは千葉ですが、ごく幼い時期に東京に移られ、東京の真ん中でずっと暮らしてこられました。東京の文化を満身に受けて少年時代、青年時代を過されたといってよいと思います。私の方は北陸の小都市に生まれ、中学の時に兵庫県に移り、就職で東京に出てきたので、東京の文化に接したのは二十台と言うことになります。
浜賀さんの子ども時代のお話を聞きますと、少年向け科学雑誌を読みふけったり、科学機器の店に出入りしたり、丸善で高価な本を買い求めたり、銀座の画廊を巡ったり、展覧会に出かけたり、そういうことがごく当り前に行なわれていたようです。私の方は、放課後は校庭で遊ぶか、野山を駆け回るか、海や川で遊ぶことに熱中しました。教科書以外の本を買ってもらうことはめったになく、読みたければ学校や町の図書館を利用しました。
子どものころから東京の文化に浸って暮らしてきた蓄積のようなものが、芸術作品を鑑賞する上での浜賀さんと私の違いになっているように思います。また、浜賀さんのお父さんが電鉄会社の重役だった関係か、お母さんが素封家の出だったせいかわかりませんが、子どものころに軍人や政治家の集る席に呼ばれ、その人たちの可愛がられた記憶があるとのことでした。
ほとんど引越しをせずに池上に住んでこられたので、その地の変貌については実感を持って話しておられたのを思い出します。今は住宅地になっているあたりですが、浜賀さんが越してこられた時はまったくの原っぱだったそうです。そのうちにポツポツと家ができはじめ、いつしか住宅街になったとのこと。家の周りを散歩すると、ここには昔だれそれが住んでいた、と有名人の名を口にされました。さすが東京、有名な人の住いがすぐ近くにあるんですね。