浜賀さんのこと(11)

浜賀さんが自力で生活できなくなってから、いわゆる介護のようなことを約二年間やらせてもらったのだが、この時の経験は私の人生の中に置いて非常に貴重なものとなった。
知人たちから「よくそんなことやるな」とか「親でもないのに信じられない」という言葉を聞いた。しかし、浜賀さんの介護に関しては、自分を犠牲にしているとか苦しい思いを我慢して介護している、という気持ちはほとんど生じなかった。老人特有の病気になったとは言え、そして介護とは言え、浜賀さんと一緒に何かするのが私にはとても嬉しかったのである。これは不思議な体験だった。
そう言えば、私は昔から人の世話をすることが好きだった。独身寮にいた時、友人が病気になると、食べ物を買ってきて食べさせたり、病院に連れて行くのを、生き生きとしてやったことを覚えている。母を介護した時には、母は私に、介護の仕事に着いたらきっと成功するだろう、と言った。
浜賀さんを介護した時の気持ちは、それにプラスアルファがあったような気がする。浜賀さんと私は一緒に山に登ったり、いっしょに画廊を回ったり、また文学会の仕事を協力してやり上げたりした。また、若いころの話を聞き、日記を見せてもらったりして浜賀さんの過去についても熟知していた。いろいろなハンディがありながら懸命に生きてきた浜賀さんの人生への尊敬と愛情のようなものが私の中に渦巻いていた、とでも言えばよいのだろうか。