墓 石   
 
 私の通った高校は、戦前からある古い学校で、変な名前のついた変な行事がいくつかあった。「耐寒登山」というのもその一つで毎年二月に、一年生と二年生の全員が六甲山を縦走する訓練である。「耐寒登山」の前、半月余りは、授業が短縮になって放課後にトレーニングのためランニングがあった。「耐寒登山」は三人一組で行動し、三十キロの山道の完走を目的にしていたが、体力のある連中は到着順序を競っていた。
 その年の「耐寒登山」に、僕は島田君というとほうもなく連動神経の鈍い男と組むことになってしまった。僕のクラスでは誰と組むかは自由とし、クラス委員の僕が司会をしてそのことを相淡するためのホーム・ルームを開いた。気のあった連中や足に自信のあるもの同士が仲聞づくりをやって、あっというまに十五組のチームができあがり、島田君とちょっと変っている山形君が取りのこされた。それで必然的に僕とその二人が組むことになったのだが、山形君は風邪をひいたとかで、結局その行事に参加しなかった。
 
 「耐寒登山」の当日は晴れていたが風の強い寒い日だった。山の峰を乗り越えてくるベールのような薄い雲は、形をくずしながらすぼやい動きを見せていた。なだらかなアスファルトの道を歩き続けると、阪神地方の白い町並みがだんだんせりあがってきた。
 島田君は太った体をもてあまし、顔を真赤にして苦しそうに歩いていた。どんどんほかのチームが僕たちを追越していって、広いアスファルトの道からそれて山道に入るころにはまわりには他に誰もいなくなった。
 急な登りをすぎて、緩やかな登り道と平担な道とが交互に現れる尾根道にさしかかった時、少し曇った空から落ちてきた細かい雪が、熊笹の上でかすかに音をたてた。やがてコースが再びアスファルトの道路にはいると、雪が激しくなってきた。葉を落とした細い枝がびっしりと谷を埋めつくす北の斜面から、雪が風に追われて大きな縞摸様となって吹きあがってきた。雪は凍った道路に落ちるとこなごなに砕け、風に吹かれて再び湯気のように空中に舞いあがった。山全体がゴーッとうなりをたてはじめ、たちまち視界がきがなくなった。
 そのとき、目の高さに何が大きな不気味なものが見えたような気がした。なんだろう、そう思って、僕はじっと目をこらした。しかし、吹付ける雪にそれは姿を現わさなかった。もう少し行けばまた見えるかもしれない、そう思って、僕は足を早めた。半月形の大きな灰色の建造物が降りしきる雪のなかにぼうっとかすんで見えた。
 僕は振返って島田君に声をかけようとしてドキりとした、島田君の姿が見えないのだ。僕は夢中で来た道を走りながらもどった。胸の鼓勤が耳の後ろまでせまってきた。もし、島田君に何かあれば僕の責任だ。道が急に曲がって下が急な崖になっているあたりを、僕は大声を出しながら行ったり来たりした。
 思い余って僕は崖に張り出した松の枝につかまって下をのぞこうとした。
「危ないぞ」
その時、後ろから西先生の声が飛んできた。
「あいぼうがいないんです」
 僕は声のした方に怒鳴りがえした.。
「大丈夫だ、島田君はここにいる」
 すくに西先生が島田君とならんであらわれだ、
「こら二人とも失格やなや。どうする、これから急ぐか」
 そう言って、西先生は目を細めて腕時計を見た。西先生は耐寒登山のいわばしんがり役で、この先生に追いつかれることは規定時間以内にゴールに入れないことを意味していた。僕が目で島田君に合図をおくると、島田君は力なく首を横にふった。
「そんなら、この先の茶店で少し休もか。島田君はえろうバテとるみたいや」
 そう言って、西先生は先にたって歩き始めた。切り通しの道を登りきるとまわりがやや明るくなって、正面に茶店が現れた。
 
 店の中はすいていた。僕たちは奥まった畳の間に陣取って、甘酒をすすった。島田君は甘酒を飲み終えると、畳の孔に大の字になって動かなくなった。水滴で曇った窓ガラスを通して、峰を越えてきた雪が深い谷に落ちていくのがかすかに見えた。体が暖かくなると、僕はあらためてさっき見た不思議なものが気になりはじめた。
「先生、僕さっき変なものを見たんです。とっても大きくてお椀のような形をした不気味なものやったんです」
「ああ」
 と言いなから西先生はナップザックを引き寄せ、中から取り出したチョコレートを机の上に投げだした。
「あれは、バラボラアンテナや、米軍のな。この山の一番高いところに建ってるんや」
「パラボラって電波を出すやつですか」
「そうや」
「米軍のアンテナいうたら、ここからアメリカまで電波とばしてるんですか」
「まさか、いくらなんでもマイクロ波はここから直接アメリカまでは飛ばん。日本の中の米軍基地の間を結ぶ回線なんや」
「ここの電波はどこにいってるんですか」
「東は箱根の大観山、そこから座間、府中、横須賀、西の方は呉の灰ケ峰から福岡の背振山、そこからわかれて、一つは対島をへて韓国のチャンサンヘ、もうひとつは鹿児島から沖縄の嘉手名基地につながっているんや」
 西先生はそう言って、くもった窓ガラスに地図を書き始めた。僕は西先生が授業中に話してくれたことを思いだした。大学にいたとき、広島と長崎に原子爆弾がおとされ、先生は物理を学んでいた者として大変な衝撃を受け、平和運動に飛び込んだということだった。
「日本の山も空も海も米軍がわがもの顔や、危険なことやな」
 西先生は苦々しい表情になってそう言った。その時、カウンターの中で小さく聞こえていたラジオが三時の時報をうった。そろそろ行こうか、と西先生が島田君に声をかけた。
 
 三人が山裾のゴールに着いた時には、もう大きく陽が西に傾き、寒気が足元をはいのぼってきた。名簿で名前を確認してもらうと、どっと疲れがでて、僕は枯れ草の上にすわりこんだ。ふと目をあげると、さっきのパラボラアンテナが形のない点となってなだらかな峰にりんと立っていた。夕映えの冬空の中でそれは墓石のように見えた。