「朝鮮の虐殺」
私が父を展覧会にさそったのは、私なりに目論見があった。父が患っているレビー小体型認知症は、鮮やかな幻覚が生じることに大きな特徴があり、いるはずのない人物が部屋にいたり、自分の住んでいる家の様子がどこか別の場所に見えたりする。もちろん通常の認知症と同じように物忘れは激しく、しょっちゅう物が見つからなくなる。あったはずのものが見当たらなくなると、幻覚によって見える人物のせいにする。現実にいる人が盗ったと言わないだけましだが、警察に電話したりするのでやっかいなことになる。
脳の中にレビー小体というものが出来て、それが幻覚を生み出すのだが、もちろん詳細なメカニズムはわかっていない。絵を観ると脳の中の視覚分野に関係するところが活発に働き、何か病気によい影響があるのではないか、と私は考えた。それで「展覧会に行ってみないか」と誘うのだが、父はなかなか行くと言わない。父の絵の好みは私と違っていた。私はモネやセザンヌといった印象派の絵が好きなのだが、父は写実的な要素がある絵を好まなかった。父が特に好きなのはピカソで、専門書を何冊も集めるほどの熱中ぶりだった。おりしもその秋、国立新美術館にピカソ展がやってきた。私が誘うと父は二つ返事で「行きたい」と言った。
開催初日の土曜だったが、意外にも会場はすいていた。一見奇妙に見えるピカソの絵は日本では案外人気がないのだろうか。あるいは夕刻であったためだろうか。とにかく私たちは人気のない会場で十分にピカソの作品を鑑賞することができた。父は上機嫌だった。いくつかの絵について私に詳しい説明をしてくれた。説明は的確であり、幻覚は生じていないようだった。いつもの険しい顔が穏やかになっていた。私は自分の目論見が成功したのではないか、と心がはずんだ。
父は特に「朝鮮の虐殺」という大きな絵が気に入ったようで、絵の前からなかなか離れようとしなかった。ロボットのような兵士が女性や子どもに銃を向けている奇怪な絵で、私にはどうしてもその良さがわからなかった。
一時間かけて作品を見終った時には夕暮れがせまっていた。父は非常に満足げだった。少し休もうということになって、私たちは、外にはり出した木の床に並べられたテーブルについた。初秋のすずしい風が吹きぬけていった。
芝生の庭をはさんで、フェンスの向こうには雑草が生い茂っていた。
「危ない、伏せるんだ」
突然、父はそう言って床に寝転んだ。
「どうしたんですか、突然」
「早く伏せるんだ、弾が飛んでくる」
父のは必死の形相だった。私はつられて床に膝をついた。
遠くのテーブルにいた若者のカップルが怪訝そうな顔をして私たちをながめた。
「行ってしまったようだ」
そう言って父は起き上がり、上着についたほこりをはらった。
「奇妙な恰好をしておった」
父ははき捨てるように言った。私は、さっき見た絵の中の兵士が草むらに見えたのだろうと気がついた。
戦争の絵が出品されている展覧会に父を連れて来るのはやめよう、と私は思った。