霧の権現岳 





 小淵沢あたりから眺める八ヶ岳の南端の山々は、なだらかなすそ野が駅のすぐそばから始まっており、いかにも挑発的である。電車でこのあたりを通るたびに、いつか登ってみたいと思っていた。 
 その日は、山の手線の一番電車に乗り遅れたので、谷川岳は諦めて中央線沿いの近くの山に登ることにした。
 小淵沢で小海線に乗り換え、甲斐大泉で下車。権現岳への最短ルートだが、出発が遅れたので、権現までは行けないだろう。天女山あたりをうろついてみようか、体調がよければその先少し登ってみようか、と思う。駅前で買い物をして十時出発。
 一時間かけて天女山に登ったが天気が悪くて何も見えない。欲求不満である。時間もあるので権現への道を登る。
 高山植物 が咲き乱れて実に美しいが、ホタルブクロとニッコウキスゲ以外は名前がわからない。トンボやチョウチョがたくさんいる。霧が出てきてあたりが暗くなり、数メートル先が見えなくなる。幻想的な雰囲気である。網をもった髭面の男が霧のなかからいきなり現われたのでドキリとする。蝶を捕るのだそうだ。
 登りはじめたところが高かったので、大して登ってないのだが、低山とは違う植生が楽しめる。ダケカンバの大木の曲がりくねった幹が目立つ。すぐに標高二千メートルに達した。 霧で濡れた葉から滴がしたたり落ち、雨のような音がする。霧の中を登りに登る。
 前三ツ頭から三ツ頭までの間、一瞬霧が晴れ、一面の雲の上に紺色の山の頭が見えた。美しいものである。富士山も見えた。三ツ頭山から、権現、編笠がみごとに見えるはずなのに、曇っていて全くだめである。時計は2時半。案内書には権現までの往復は二時間と書いてある。日没が遅いので頑張れば行けそうだが、足が限界に近い。
 しばらく休んで甲斐小泉に降りる道をたどる。もうあたりには全く人の気配はない。足でもくじけば、ここで夜をあかすことになるな、などと余計なことを考える。
 八ヶ岳のすそ野は長い。やはり並みの山と違う。飛び跳ねたり小走りになったりして急いだが、コースタイムの二割増し。 歳を感じる。
 駅についた時は六時を過ぎていた。

                      (98年7月20日)