デイ・サービス 母がデイ・サービスに通うようになったのは、亡くなる一年ほど前からである。母は施設に入ることをどうしても承知しなかったので、人手のない昼間は余分な金を払ってヘルパーさんを頼んでいたのだが、金が続かなくなったのでデイ・サービスに通うことになったのだ。母はデイ・サービスのことを「学校」と呼んだ。体操をしたりゲームをしたり絵を描いたりするので、母の頭の中では学校に思えたのだろう。あるいはデイ・サービスという言葉が覚えられなかったのかもしれない。デイ・サービスに行っても相変らず妄想がひどく、「男の人がつきまとう」とか「自分だけ仲間はずれにされる」とか言ってデイ・サービスに行きたがらなかった。東京に勤めを持つ私がまとまった日数母の面倒をみられるのは、五月の連休と夏休みと正月休みである。私が帰省すると、母はいつにも増してデイ・サービスに行くのを嫌がった。帰省すれば、私は一日中家に居るので、母がデイ・サービスに行かなくてもいいのだが、母の面倒をみている姉たちから、毎日デイ・サービスにやるようにしてくれ、と強く要請された。私が帰省している間デイ・サービスを休むと、その後が大変だ、と言うのだ。私は、嫌がる母を着替えさせ、食事を摂らせ、持ち物をととのえてデイ・サービスのバスを待つのだが、このタイミングがなかなか難しい。余り早く支度をととのえると、母はバスを待つ恐怖に耐えられず、腹が痛いと言ってトイレに行ったまま出てこない。もちろん遅すぎると、母を急き立てるため最後は大きな声を出すことになる。私が東京に帰る日の朝、私がどんなに声をかけても母は床から起き上がろうとはしなかった。「疲れたのか、お母さん」「いいや、そんなことない」「デイ・サービスに行ってる間に僕が帰ってしまうのが心配なんだろう」私が問うても母は答えない。「さっきな、学校から電話があった」「そう、何だって」母が電話に出ることはないとわかっていたが、聞いてあげなくてはならない。「あのな、今日はお盆の最後なので学校は休みにしますって。だから今日はいかんでいいんだって」「ああ、そう」デイ・サービスは年中無休である。休みになるはずはなかった。しかし私は、「行きたくない」といわずに、休みになったと電話があった、と言った母の「工夫」に笑ってしまった。壊れかけた頭で、お盆の最後の日を私といっしょに過すために懸命に考えたのだろう。私は降参した。「そう、それなら、今日は僕と一日過ごせるね。明日はちゃんと行こうね」私がそう言うと、母は顔を輝かせて飛び起きた。