握手

 



 昼休みが終わりかけていたので社員食堂はもうすいていた。賄いのおばさんたちが隅の方にかたまって遠慮がちに食事をしていた。私はカウンターで定食をうけとり、小柄な半沢の後について窓際の席についた。大きな窓の下にはふもとまで続く山の斜面が広がっていた。半沢の案内で三十ばかりある研究室にビラを配り、ところどころで演説したので、私は疲れて頭の芯が抜けたようになっていた。私はすぐに箸をとらず、斜面を埋めた木の葉が風をうけていっせいに翻るのをながめていた。 「ずいぶん演説がうまくなったじゃないか」
 向かいの席に座った半沢が私の茶碗にお茶を注ぎながら言った。
「いや、どうもだめですね。ただ、今週にはいってから私の研究所のあちこちでやりましたから、少しなれましたかね」
 私の組合役員への立候補はもう五年近く続いていた。反共的な体質をもつ組合なので、私たちは徹底的に排除され、一番末端の役員になることもできなかった。それでも私たちは選挙があるたびに立候補した。関東一円に散らばる研究所が一つの選挙区を形成しているので、選挙期間になると立候補者たちは休暇をとり、手分けしてあちこちの研究所に立候補の挨拶をかねてビラをくばってまわった。私はもともとこのS支所に入所し、組織整備で都心のK研究所に移った。だから、今日のようにS支所にくる時は懐かしくもあり少し気楽でもあった。
「立派な活動家になったもんだ」
 半沢は澄んだ細い目で私を見据えた。半沢の額は相変わらず狭かったが、短く刈り込んだ髪はもう白くなっていた。日焼けした顔のところどころに剃り残した髭があったがそれも白かった。半沢は一口一口かみしめるようにゆっくりと食べ始めた。その食べ方にどことなく品(ひん)があった。
「ここにずっといたら、やっぱりこんなにはならんかっただろうな」
 半沢は湯飲み茶碗を口にもっていってため息をついた。私のいるK研究所はD通信社の研究所の中では一番共産党の活動の活発なところだった。私のような立場で組合の選挙に立候補する人間もK研究所が一番多かった。
 半沢は半分食べたところで箸をおいた。半沢は昔からあまり食べなかった。私と一緒に食事をする時には、食べ始める前にいつもトレーを私の方に押しやり「浅野君、少し手伝ってくれないか」と言った。今日半沢がそう言わなかったのは、久しぶりに会ってまだ親しさがもどっていないせいなのだろう。あるいは、私がもうそんなにたべられる年齢ではなくなったことを考えてのことかもしれなかった。
 白い柱にかけられた四角いスピーカーから五分後にバスが出るとアナウンスが流れた。私が箸を置こうとすると「車で送っていくからゆっくり食べなさい」と半沢が言った。
「いいよ、送ってくれなくても。次のバスでもいいんだから」
「次は二時だ。全く不便だからなここは。俺が送って行く」
「でも、職場抜けるのはよくないから」
「いや、昼から休みとってあるんだ。女房が今、病院で検査してるんだけど、迎えにいかなきゃならんからな」
「リウマチ?」
「ああ」
「よくないの」
 うん、うんと言いながら半沢は病状を話さなかった。よほど悪いのだろう。私がここにいたころから、半沢夫人はリウマチを患っていた。手にも足にも薄い膜をかぶせたような感触があるのよ、と夫人が私に話したことがあった。
「じゃあ、駐車場で。十五分に」
 そう言い残して、半沢は席を立ちトレーをカウンターに戻して食堂を出ていった。私は残りのご飯をかきこむと、もう一杯お茶を飲のんでから立ち上がった。
 二階の出口から歩道橋のような通路をわたると広い駐車場に出た。駐車場には車がびっしりと並び、強い日差しをうけて輝いていた。冷房の効いた建物からいきなり外に出たので、首からも背中からも汗が吹き出してきた。私は日差しを避けて建物の陰に入った。そこから見上げると十階建ての新しい建物は威圧感があった。エンジ色の枠にはめこまれたハーフミラーの窓ガラスが冷たく銀色に光って不気味だった。こんなところでおそらくほとんど一人で活動を続けてきた半沢の奮闘に私はふと胸がつまる思いがした。
 すぐに半沢がカバンを手にしてあらわれた。
「あれが俺の車」
 半沢は駐車場の一番端にあるワンボックスカーを指さした。きっと夫人を病院などへ運ぶためのものだろうと私は思った。ドアをあけて車に乗り込むと、煙草の匂いが鼻をついた。
 真っすぐな海岸道路を車は走り続けた。次々とあらわれる白っぽいレストランのまわりにはソテツやヤシなどの熱帯の植物が植えられていた。窓から吹き込んでくる風にはもう秋の気配が感じられた。半沢は私の家族のことをぽつり、ぽつりと尋ねた。子どもの話になると半沢の反応が少しにぶくなった。私は半沢に子どもがいなかったことをあらためて思い出した。
 半沢はハンドルから左手を放して胸のポケットから煙草を取り出した。吸ってもいいかと聞いて、私が頷くと半沢は一本口にくわえ、フロントパネルにあるヒーターのボタンを押し込んだ。カーステレオからは古めかしいジャズが聞こえていた。ヒーターが小さな音をたてて半分飛び出すと、半沢はそれを引き抜いて、くわえた煙草に火をつけた。
「来年から俺、案内できないんだ」
 半沢は顔を窓にむけ煙を吐き出しながらちょっと困った表情で言った。
「半沢さん、ひょっとして定年?」
「ああ、そうなんだ。来年の三月」
「オー、ノー。気がつかなかったなあ。まだ二、三年あるような気がしてたけど」
「あっと言う間だったな」
「大丈夫、案内なしでもまわれるよ。正当な選挙活動なんだから。M支所なんかも案内なしで回ったよ。それにここは知り合いも多いから」
「そりゃあそうなんだがね」
 半沢は珍しく気弱な調子で言葉をにごした。私には半沢の考えていることがわかった。半沢は後継者がつくれなかったことを気にしているのだ。私は半沢に対して何かひどく申し訳無いことをしたような気持になった。私がK研究所に移ることに決まった時、半沢は「寂しくなるな」と暗い顔をした。S支所は若い活動家が極端に少なく、半沢は私に大きな期待をかけていたのだった。
「あんたにあげようと思ってな」
そう言って半沢は目を前にむけたまま、足元のカバンをさぐって紙片をとりだした。「パラボラ」と名前のつけられた共産党の職場新聞だった。
「よくだしますね。大変でしょう。人もいないのに」
「うん、まあ不定期だから」
「半沢さん定年になると、これも出なくなるの」
 半沢はそれには答えなかった。
「まだ、半年ある。何とかする」
 そう言って半沢はアクセルを踏み込んでスピードをあげた。やがて道路は海岸からはなれてなだらかな丘陵地帯に入りこんだ。道路から別れて右に入る道があらわれた。
「ここ、T崎の入り口?」
「ああ、そうだ。昔遊びにきたな」
 半沢は車のスピードをゆるめた。
「行くか」
「うん、時間は大丈夫なの?病院の方」
「ああ、三時までに行けばいいから」
 半沢はハンドルを大きく左に切って岬への道に入りこんだ。すぐにアスファルトの道が砂利道にかわった。道の左右の畑は風よけのためか背の低い笹のような植物の生け垣で囲われていた。右手の畑の先はちょっとした谷のようになって落ち込んでいたが、谷の底にも畑がつくられていた。やがて小山のむこうに灯台の先端があらわれた。
 私がS支所にいたときは、まだ土曜も半日の勤務があった。昼近くになると、時々半沢から一緒に車で帰ろうという電話がかかってきた。半沢は海岸道路の途中で寄り道しながら、私を独身寮に送り届けてくれたり、時にはそのまま半沢の家まで行って夕食を食べさせてくれたりした。S支所にも激しい思想差別がもちこまれていて、私は入所わずか三年で仕事を取り上げられ、まわりの人と口をきくことさえ困難な状態になっていた。私の入党は大学卒業の直前であり、入所後も表立った活動はやっていなかったのだが、会社のスパイ網は私が党員であることを見逃さなかった。半沢も研究の主流からは外されていたが、無線関係に広い知識を持つ半沢は便利屋のような存在として全く仕事からほされるという状況ではなかった。半沢は仕事をとりあげられた私のことをひどく気にかけていた。
 でこぼこした狭い駐車場に着くと車が大きくバウンドして止まった。車を降りると磯の匂いがした。土産物と釣りの餌を売る小さな売店の前をすぎるとそこから道が二つに別れ、私たちは崖下に降りる道をたどった。細い急な道を下りきると、斜めにかたむいた黄土色と黒の地層がサンドイッチのようになって広がっていた。でこぼこした歩きにくい地層を私と半沢は波打ち際の方に歩いていった。岩場の中に深い亀裂があって、海がそこに入り込んでいた。沖の海は群青色だったが、岩の間にはいりこんでくる海の水は青緑色だった。
「通信学会の論文、読んだよ。内容は俺にはわからんが、とにかくよかったな。妨害なんかあって大変だったんだろうな」
 半沢は岩に手をかけ、足元でゆっくり上下する海をのぞきこみながら言った。
「ええ、でも何がなんでも発表させない、というのとは違いますね、今は」
「組み込まれてるのか、プロジェクトなんかに」
「いえ、基本的には、今も一人でやってます。ただ計算機は使えるし、予算も少しですがついてるんです」
「そうか、よく頑張ったもんだ」
 半沢はそう言って一人で何度もうなずいた。
 K研究所に移ってからも相変わらず思想差別はひどかった。それでも、K研究所では同じ年代の活動家が自主的に集まって技術の基礎的な勉強会や研究の方法論を検討したりする機会に恵まれた。一つの論文を発表するために二年も三年もかけて会社の妨害と闘い発表を勝ち取るということもしばしばおこなわれていた。
「私が差別されはじめて苦しんでたとき、いろいろアドバイスしてもらって、有り難かったですよ」
「何か説教がましい事を言ったかな、俺。よく覚えてないが」
 記憶力のよい半沢が覚えていないはずはなかった。半沢がてれているのだろうと私は思った。
「研究所の仕事だけが人生じゃないぞって」
「そんなこと、言ったかなあ。言ったとすれば釈迦に説法だったな」
 大きな波が岩にぶつかり、岩は頭だけ残して海中に没した。波が引くと岩肌が真っ白になるくらい水が噴き出た。
 昔、半沢がここに私を誘った頃、私はひどく神経を苛立たせていた。学生時代には高層大気圏の状態を調べる大規模なレーダー施設で研究を続けてきた私は、S支所ではマイクロ波による見通し外通信の研究チームに組み入れられた。半島の先端にある実験施設で私は数十キロはなれた島への通信の実験に従事していた。突然研究チームからはずされ、実験施設に立ち入ることを禁じられると、私は毎日何をやっていいかわからなくなっていた。私は共産党員は研究でも先頭に立たなければならない、と思っていた。しかし、一日中机に座ってだれとも口をきかない生活が三月、半年と続くと、私の頭はそれまでのようには働かなくなってきた。もの忘れが激しくなり、集中力がなくなった。一人で専門書を読んでいても内容がなかなか頭にはいってこなかった。研究で先頭にたつどころではなくなっていた。
 半沢は、研究のことはまあ当面いいではないか、長い目で自分の人生を豊かに生きることを考えるんだ、と言った。半沢は職場の人と仕事で結び付くことを重視する男だったので、私には半沢の言葉が意外だった。会社が本気になって妨害すれば、そう簡単にまともな研究が続けられるものではないことを半沢は知っていたのだろう。思想差別が激しくなってから、半沢と同じ年代の活動家が何人も研究所を去ったと聞いたことがあった。心身を患って先の見通しのないまま研究所を辞めた人もいたようだった。今から思えば、研究ができないことで自分を責め、自分を追いつめていくことのないようにと半沢は気を配っていたのだった。
 半沢の家は一階のほとんどが書庫になっていて、日常的な生活には二階が使われていた。書庫にある本は自然科学と社会科学の本が多かったが文学や美術の本もかなりあった。半沢は古いアルバムを取り出して自分の若い時の写真を見せてくれた。半沢は研究所員としては変った経歴をもっていた。比較的裕福な会社員の家庭に育ったが、戦争で父親が職を失ない、長男である半沢は戦後すぐにD通信社の前身であるT省に就職した。半沢は通信施設で機械の修理をしていたが、社内教育機関で訓練をうけている時、たまたま研究所から出向いていた教官に見いだされ研究所に引っ張られたのだった。正規の学校教育の期間が決して長くなかったことや半沢のその後の暮らし向きを考えると、半沢の膨大な蔵書は生きていくことへの並々ならぬ志の高さを表しているように思えた。半沢は書庫を案内しながら「自然科学を勉強し、社会科学を勉強し、人間についてもいろんなことを学んだ。こんな面白い人生はないな」と言った。 「おっ、あそこにアジがいるぞ」
 半沢は海の中を目で追いながら声をあげた。私は目をこらしたが海面が光ってよく見えなかった。
「釣り、やるの、今でも」
「いや、もうやらない、家をあけられんからな」
 昔、半沢はここで釣りをした。私もやってみるように言われたが、私は釣り針に刺されたゴカイがもがき苦しむ姿をみるのがいやで釣りは一度しかやらなかった。半沢も無理にはすすめなかった。
 私たちは波に削り残された堅い地層の固まりを避けながら肩を並べて歩いた。だだっぴろい磯を左に回りこむとコンクリートの土台にがっしりとすえつけられた灯台が見えはじめた。さっきは頭だけしか見えなかったが全体が見えると灯台は巨大だった。
 半沢の家に行くようになってから、私は自分のもっている知識がひどく偏った貧弱なものであることに気がついた。私は中学と高校では陸上競技をやっていたのであまり本を読んでいなかったし、大学に入ってからは通信工学の勉強に熱中した。党員としての最低限の社会に関する知識さえ卒業間際に慌ただしく学んだにすぎなかった。仕事に追いまくられなくなったこの時期に、さまざまな知識を身につけてみようか、と私は思った。私のもとめに応じて、半沢はいろんな本を貸してくれた。私はとくに社会科学と文学に興味をもった。職場における思想差別はいっそうひどくなっていったが、だんだん広がって行く知識が、私の心にある種の余裕のようなものを生み出していった。
 風が出て来た。岩に打ち寄せる波のしぶきが霧のようになって私たちのところまで飛んで来た。私はそろそろ帰ろうと半沢に言った。
 車にもどってから、半沢はあまりしゃべらなかった。車は短いトンネルを二つ抜け、すぐに防潮堤が延々と続く海岸に出た。  駅がちかくなって道路がだんだん混んできた。私は半沢が病院へ行く時間が気になった。交差点で車が止まった時、私は「ここで降りる」と言ってドアの取っ手に手をかけた。
「いいんだ、もうすぐだ」
「いや、病院、遅れるといけないから」
「大丈夫だ」
 私がドアを開けると、半沢は待ってくれと小さく叫んだ。
「今日はいい一日だった。ありがとう」
 そう言って半沢は体をよじり右手を差し出した。