アルプス越え  
 

 ドアをノックするといつもの陽気な声で返事があった。部屋に入ると僧院長は私に向かって微笑みかけた。院長の顔は陽に焼け、いくぶんやつれていた。暖炉には赤々と火が燃えていた。
「フレール・ピエリーニ、留守中、何か変わったことはなかったですかな」
 院長はグラスに赤いワインを注ぎながら尋ねた。フレールというのは、この小さな僧院で修道士が互いを呼び合うときに付ける敬称だった。
「特に変わったことはありません。若い修道士たちもみな元気です」
 私は院長の次に歳をとっていたので留守中を任されていたのだ。
「それはよかった」
 院長はそう言って私にグラスを手渡した。グラスからは芳醇な香りが漂ってきた。院長は、写本の元になる宗教書を買いつけるためにフィレンツェに出かけていたのだが、ついでにワインも良いものを仕入れてきたようだ。私は、こうして美味しいワインを飲みながら、旅から帰ってきた院長の話を聞くのが好きだった。窓からは、緩やかに下る細い道の向こうに夕日にそまった雪嶺が高々と連なっているのが見えた。
「もうホスピス(避難所)で泊まる旅人も少なくなる季節じゃなあ」
 旅の話が一区切りつくと、院長はそう言って私のグラスにワインを継ぎ足した。ホスピスはこの僧院に隣接して作られた建物で、峠を越える旅人に食事と宿を提供するための施設だった。私は風変わりな四人連れの男たちのことを話しておこうと思った。
「幸い遭難者もおりませんでしたが、二週間ほど前に、ちょっと変わった四人連れが泊りました」
「変わった、というのはどんな風にじゃ」
「五匹の騾馬に大きな荷物を満載しておりました」
「それは難儀なことだ。こんな険しい山の中をそんなに荷物を持ってのう。商人だったのかのう」
「それが、そうではなく、何やら身分の高いお方たちのようでした。大変立派な絵をお持ちでした」
 ほう、と言って院長は飲みかけたグラスをテーブルに置いた。私は院長の求めに応じて詳しく話すことになった。
 その一行がホスピスに着いたのはもう日が山に隠れ、刺すような冷気が忍び寄ってくるころだった。四人はいかにも疲れきった様子だったので、私は荷物を騾馬から下ろすのを手伝うことにした。私が、しっかりと麻布でくるんだ四角い平たい物を持とうとするそうすると、老人が丁寧に断り、自分で大事そうにそれを部屋に運んでいった。四角い平たいものは三つあって、私の背丈ほどのものが一つ、その半分くらいのものが二つあった。
 私は、挨拶を兼ねて食事の時間やこのホスピスの規則を説明するために彼らに割り当てられた部屋に行った。彼らは先ほどの四角い平たいものの紐を解き、中身が損なわれていないかどうかを確かめていた。それは板に描かれた絵だった。彼らの取り扱い方から判断して、よほど大切なもののようだった。
 私はあらためて四人の顔を見た。一行のリーダーは六十を過ぎたと思われる白髯の老人だった。二人は若者で、二十台と三十台だろうか。どちらも美しい顔立ちをしていた。もう一人は世話係の老僕だった。彼らは家族のような強い信頼と愛情で結ばれているように見えた。
 麻布の間から垣間見えた絵は人物画だった。大きな絵は、大部分が麻布に覆われたままだったので、よく見えなかった。小さいほうは、一枚は婦人の半身像、もう一枚は半裸の男の絵だった。絵の中の男は、そこにいる年上の若者によく似ていた。この男をモデルに描いたのだろう。老人は婦人の肖像画を特に大事にしているように見えた。老人たちは名乗らなかったので、私も敢えて名前を聞くことはしなかった。
 院長は立ち上がり蝋燭に火をつけた。もう部屋の中は暗くなっていたのだ。窓の外の峰々も、空と区別がつきにくくなっていた。
「そうか、それで、その婦人の絵はどんなものだったのじゃ」
 院長はひどく興味を持ったようだった。
「私がこれまでに見たこともないような、不思議な絵でした。黒い服を着た婦人は手を胸の前で組み、わずかに微笑んでいました。机の上に置かれ、斜めになっていたにも関わらず、婦人の目は私を見つめているような気がいたしました。それは婦人の絵でしたが、どことなくその老人にも似ていました」
「どこへ行く、とは言ってなかったか」
「はあ、はっきりとはわかりませんが、若い男たちの間ではフランス語が話せるかどうかが話題になっていました」
 院長は意味ありげに視線を宙に漂わせた。
「有名なお方なのですか」
「おそらくな。やはり、あの噂は本当だったようじゃのう」
「どのような噂でございますか」
「イタリア最高の画家が、フランス王の招きに応じたという噂を聞いたことがあった」
「しかし、フランスに行くならばもう少し南の峠を越えた方がよいのではありませんか。雪も少なく、峠もゆるやかですから」
「それはそうだが、南の道は岩壁に穿たれた狭い道が続く。谷側は絶壁じゃ。人の背丈ほどもあるような絵を運ぶことは難しいことを知っておられたのではないかな」
「なるほど、それにしても荷物が多かったですな」
「荷物が多かったということは、もうミラノやフィレンツェに戻らぬということだろうなあ。故国を捨て、言葉も風習も違うフランスを終の棲家とお決めになったということだ」
「そう言えば、出発の朝、風格のあるあの老人は名残惜しそうにイタリア側の景色を眺めておられました」
「フレール・ピエリーニ、二週間前と言ったかな、その四人が泊ったのは」
「ええ、たしかそれくらい前でした。あとから記録をもってまいります」
「そろそろ、フランスの領土に入るころじゃのう」
「そうでございますな」
「そうか、あの絵が、あの世界の至宝が、ついにフランスに渡ったか」
 院長はそう言って愉快そうに笑った。院長はフランス人だった。