Top47都道府県 献血巡り山形

山形

2021年6月6日
179回目 血小板


生まれがすぐ近くの県だったのだけど、山形県って今回が初めて行ったんじゃないか?という気がする。第一、山形市の正確な場所が分からなかった。
山形県というと新庄市、酒田市のイメージが強いので、改めて地図を確認して、意外と内陸で南の方の内陸部にあんだなと思ったほどだ。。

山形までは山形新幹線で移動。日本国内では最初に整備されたミニ新幹線だ。在来線区間のレール幅を標準軌にして新幹線が走っているので、普通に
踏切があったりする。今回、山形への移動に使った新幹線は途中で列車交換があったのだが、行き違う列車も新幹線だったのは流石という感じだった。

山形駅の表側と裏側での発展具合に大きな差があるとか、駅前の目抜き通りから1本脇に入ると急に発展度合いが落ちるとか、地方都市ならではの
空気を纏っていた。褒めているのかどうか微妙だが、前橋市と同じ匂いを感じる都市だった。

献血ルームは8時40分開場だった。8時30分に行ってみたが誰もいなかったし、開場時にはもう1人が来るだけだった。朝から並ぶ強者は少ないようだ。
中は木を基調にした落ち着いた雰囲気だったが、モンテディオ山形の横断幕やグッズが置いてあったりして、雰囲気が合わないなぁという感じだった。
漫画や雑誌が置かれていない献血ルームというのはすっかり少なくなった気がするが、本が無い献血ルームだった。時々あるハーゲンダッツが貰える
献血ルームだったのだが、ここはケースが置いてあって自由に取るスタイル。一応、ケースの蓋には献血者のみである旨の注意書きはあるが、特に
スタッフが見守っている雰囲気はなかった。大丈夫なんだろうか?

シーフテストは相変わらず無いのだけど、絶滅危惧種だろうか。献血にあたり、かなり丁寧にカルシウムの説明を受けた。検査採決の後にアルミホイルに
手分包したであろう錠剤を5錠の他、本採血中にカルシウムのドリンクを渡された。他の献血ルームではドリンクだけだったりするのに、どうして
こんなに気合が入っているんだろうか。ちなみに、問診の前に小さな使い捨てカイロを渡された。冬場なら分からないでもないが、夏場に渡される
というのはなかなか珍しい気がする。

献血のベッドは14だったと思う。ベッドの配列が歪な形をしていたので、一望することができず、多分というくらい。針抜後はバンドで強く締めた
後で包帯に切り替えるというもの。特に時間は測っていなかったので適当なんだろう。包帯を巻くときに針が刺さっていた場所には脱脂綿の塊を置いて
圧迫の効率を上げていた。面白いなぁ、と思って見ていた。

東北ということで方言を期待していたのだが、意外なほど言葉が綺麗な人ばかりだった。献血ルームの受付の人と看護師の語尾に少しだけ残っている
感じだったので、これに関しては期待外れだった。



山形新幹線。車両の型こそE3系で今と一緒だが、色が銀色に緑のラインのイメージが強かったのだが、
こんな色になっていた。オシドリをイメージしたカラーリングだとか。

で着いた山形駅。街が発展している側。想像以上に綺麗な駅舎だった。所謂橋上駅で、2階が駅を貫く
通路になっている。撮影は2階部分と同じ高さのベディストリアンデッキから。

駅の中には県知事がさくらんぼの顔ハメ状態になっていた。知事、何してるんですか・・・。

駅の通路部分。列車が着いたタイミングはもっと人が多く通っているんだけど、タイミングが悪いと
こんな状態。

山形県庁。集合体恐怖症(トライポフォビア)の人には苦しい建物かもしれない。整然としていて
なかなか美しいと思ったんだけど。

定礎そのものは無かったが、竣功の碑があった。サイズも定礎くらいの大きさなので代わりにこれを。
定礎も大体は竣工日が書かれているので、同じだろう、と。

「献血ルームSAKURAMBO」の外観。入口からして木を基調にしている、見た目に美しい献血ルームだ。

駅近くの霞城セントラルというビルの24階が展望ロビーになっている。そこからの眺めがこんな感じ。

これが展望ロビーの全貌。四角いビルの角1つ分が展望スペースになっている感じだ。

フロアマップ。エレベーターを出て必ずお店の前を通らないと展望ロビーに行けないという構造。
設計ミスか?とさえ思った。

霞城公園の中にある山形市郷土館。城跡そのものは石垣しか残っていなかったので割愛するが、
郷土館の建物が素敵だったので。

その他色々、見かけたものを

ご当地マンホールの蓋。紅花なんだろうけど、その細かさに驚いた。結構あちちにあった。

こんな感じの木の間を抜ける歩道の下にあったのが・・・

落枝注意の文字が。こんな言葉あるのか?と思ったら「らくし」と読むことがあるらしい。
単独では変換されない。ちなみに、「枝」の部分は「雪」の上に貼って文字を変えていた。

幼稚園バス。単なるラッピングではなく、本気で造形していることに驚いた。犬の他にネコミミの
バスもいた(そちらは奥に駐車されていたのでミミしか見えなかった)。

ナショナルの電池の看板。古いので記録として残さなくてはと思った。潰れたプラモデル屋にあった。

時期が時期だからこういう看板も出ている。いつまで続くんだろう・・・。

フラフラ歩いていて到達した最上義満歴史館の前にあった像。

吊革に捕まりながら携帯電話で話している人かな?と思った。

違う角度から見てみると、左手は三つ編みの髪の毛を携えて前の方に出ていた。

この最上義満という人、霞城公園にも像があったりするのだけど、誰??
最上川に名前が残っているのかなな?という気がするが、誰なのかはさっぱりだ。


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