安らぎの場所

人にはそれぞれ安らぎの場所があるものである。
私も、もちろんホッと息をついて安らげる空間を持っている。
私の場合、その場所はトイレ。
トイレという空間は独特なものがあり、なぜか落ち着くのだ。
しかし、トイレならば何処のトイレでも、というわけでもないらしく、自宅と事務所のトイレ以外では、思ったような落ち着き感を得られない。
そこで、あの独特な落ち着きは何処から来るのかを私なりに考えてみた。

まず、トイレを公衆便所と自宅のトイレの2つに分けてみた。
そして、最初に気が付いたことは、明るさの違いである。
公衆便所は広い場所を照らさなくてはならないので、普通の蛍光灯が点いていたりするが、自宅のトイレは狭いので、1つの電球でとても明るくなり、しかもその電球が暖色系だったりして、なお暖かみを持たせてくれたりしている。
私が自宅のトイレのドアを開けるときなど、まるで「ウエルカム!」と言ってもらっているような気分にさせられるものだ。

それから、やはり広さは重要なポイントだろう。
広すぎるトイレはとにかく落ち着かない。
しかし、これがトイレではなく、普通の部屋の場合は狭いと圧迫感があったりして、居心地が決して良いものではないのだ。
どうやらトイレに関しては逆のようで、ある程度狭くなければ落ち着きは望めないということになる。
実に不思議なものである。

さらに公衆便所と自宅のトイレとの違いを考えてみたところ、回転率も落ち着き度に影響を及ぼしていることがわかった。
公衆便所は当然のことながら回転率が高く、次から次へと人が入れ替わり立ち代わり出入りして、慌しい。
これが落ち着き度を著しく下げているのである。
自宅のトイレならば家族が使うだけなので、トイレが空室になっていることの方が多くなるはずである。
となると、誰か1人がトイレに閉じこもっていても、そのことに気付くにはかなりの時間を要したりする場合だってあり得るのだ。
自宅のトイレは、思う存分落ち着けるのである。

ここまで色々とトイレで落ち着ける理由を探してきたのだが、忘れてはならないことがある。
トイレで落ち着く理由の基本にあるものは、清潔だということなのだ。
そして、水洗だということ。
当たり前だと思っているだろうが、その当たり前が非常に大切なのである。
よくよく考えてみると、水洗であることのありがたさを感じずにはいられないはずなのだ。

トイレとは、生きている限り関わりを絶つことは難しい場所だと思う。
私は、そんなトイレに親しみを持ち、安らぎの場所をこれからも求めていくことであろう。
そして、もっと良い関係でいられるよう、お互い持ちつ持たれつでいきたいものである。