音の奴隷

人は音の奴隷だ。
と言っても、実際には時間に突き動かされ、右往左往しているのだと思うのだが。
何分時は無色透明、無味無臭、流れているだけなのでピンとこない。
そこで、人は音によって動かされる結果となるのである。

朝、目覚ましで起こされる。これが辛い。
仕度をして駅へ向かい、電車の発車ベルで満員電車に揺られ、チャイムが鳴れば仕事や勉学に勤しむ。
お昼にまたチャイムが鳴ると、一斉に昼食を摂る。
そしてチャイムによって終わりを告げられ、開放される。
その後は自由のように思えるが、ところがドッコイ携帯がピピピ・・・。
また音によって様々な用事が発生して、動かされるのである。
やっとの思いで帰宅すると、「ただいま」の前にピンポンと、音が先に帰宅を知らせる。
食事の前にも、電子レンジや炊飯器、ヤカンなどが料理の進行具合を音で教えてくれる。
くつろいでテレビを見ている時も、音で感情を揺さぶられる。
悲しい時にバラードが流れると、人は涙する。
つまり、人は音の奴隷なのだ。

昔、パブロフの犬という法則を勉強したことがある。
チャイムを鳴らして犬に餌を与える。
それを習慣のように毎日続けると、チャイムを聞いただけで餌を与えずにはいられなくなる、というヤツだ。
つまり、人間はパブロフの犬であり、音によって動かされる生き物なのだ。
私なんぞ、その音のために青春適齢期も全て捧げているのである。
ということで、どうやら私が一番音の奴隷かもしれない。

最近、私は土鈴を購入した。
振るとカラカラと音がする。
思わず頭をカラカラと振ってしまう。
私はあなたの奴隷よ。カラカラカラ・・・。