/_ return
・Acousmatrix 7: Berio and Maderna (BVHAAST)
BVHAASTは、主にフリージャズを扱っているオランダのマイナーレーベルだが、
このAcousmatrixのシリーズは、《現代音楽》に分類されるテープ音楽を集め
たものである。このアルバム以外にも、フェラーリ、プッスールらの興味深い
作品集がリリースされている。このアルバムの聴き物は、ベリオがキャシー・
バーベリアンの声を素材にして作った『テーマ』と『ヴィサージュ』である。
1960年頃の彼女のまだ若々しい声が、電子変調でさらに凄味を増している。
・From France (montaigne: Arditti quartet edition)
アルディッティ弦楽四重奏団と、パーカッショントリオ、ル・セルクルのため
に書かれた作品によるアルバム。クセナキスのパーカッショントリオのための
『オコ』(1989)と、アペルギスの弦楽四重奏とパーカッショントリオのための
『トライアングル・セレー』(1989)に加えて、フランソワ=ベルナール・マー
シュとアラン・ゴーシンの同じく1980年代の弦楽四重奏曲が収録されている。
ギリシャからフランスに移住した2人の作曲家の圧倒的な存在感と、フランス
の中堅作曲家2人の堅実な佳品を、非常にレベルの高い演奏で楽しめる。
・H.Dufourt: Antiphysis; Ferneyhough: Funerailles; Hoeller: Arcus (ERATO)*
アンサンブル・アンテルコンタンポランのために1970年代末に書かれた作品を
ブーレーズとエートヴェシュが指揮したアルバム。最も興味深いのは、やはり
ファーニホーの作品だが、ユグ・デュフールとヨーク・ヘラーという、実力は
あるが今一歩の力強さに欠ける中堅作曲家の作品も一緒に聴けるところがいい。
この頃のIRCAMは、まだ「若い才能の墓場」ではなかったと思う。
・From Scandinavia (montaigne: Arditti quartet edition)
マグヌス・リンドベルイ、ベント・ソレンセン、カヤ・サーリアホ、ユッカ・
ティエンスーの、弦楽四重奏(+α)のための作品によるアルバム。ここでも、
アルディッティ弦楽四重奏団の手慣れた演奏が光る。彼らに限らず、1950年代
生まれの北欧の作曲家たちへの評価は、1990年代に入ってから特に高い。だが
筆者には、流麗に流れ過ぎているように感じられるのだが。リンドベルイにも
サーリアホにも、彼らの1980年代の作品の緊張感はもはや望めそうにない。
◎Secret Symmetry (CRI)
ピアノとテープ音響のための作品集。バビット、ダヴィドフスキーら、コロン
ビア大学電子音楽センターを拠点にする、アメリカのアカデミック電子音楽を
代表する作曲家やその弟子たちの作品が中心だが、このCDの最大の聴き物は、
湯浅譲二の代表作『夜半日頭に向かって』(1984)である。彼はカリフォルニア
大学サンディエゴ校で13年間教鞭を取っていたが、このアルバムでピアノを
弾くアレック・カリスは同僚だった。ホワイトノイズと自然音をコンピュータ
処理した瞑想的な音響と、作品への共感にあふれたピアノの対話が美しい。
◎20 ans de musique contemporaine a Metz vol.6 (col legno)
フランス・メッス現代音楽祭の20周年記念盤。特に第6巻には、第1〜5巻
(5枚組)の最高水準に匹敵する作品が揃っている。クセナキス『ネシマ』と
カーゲル『儀式』という両大家の力作に、モーツァルトのクラリネット協奏曲
の編成と時間構造を借りてノイズで埋め尽くした、ラッヘンマンの頂点をなす
傑作『アッカント』、そしてまだソロアルバムこそないが、実力は同年代でも
トップクラスのフランシスコ・ゲレーロによる、クセナキス全盛期の管弦楽曲
を思わせる『サハラ』。前衛以降の音楽を1枚で俯瞰できる好選曲である。
補遺(気になる作曲家30名)
30名という数に深い意味はないが、本文で紹介した56名と合わせて、この程度
がインフレにならないぎりぎりの数だろう。ただ、情報不足もあって、日本以外の
アジアの作曲家は殆んどエントリーできなかったが、そこを正当に評価した時には
計100名程度になると思われる。また、本文も含めて1950年代に生まれた作曲家
までしか挙げていないが、これ以降の世代は、むしろ「21世紀の作曲家たち」と
みなしたい。アンダーグラウンドミュージックも、現在はジョン・ゾーンから大友
良英にかけての世代が中心になって動いており、ここで線を引くのは妥当だと思う。
なお、本文の作曲家たちと殆んど差がない5名には、特に☆印を付けておいた。
・Elliott Carter (1908--, アメリカ合衆国)
アメリカ・アカデミック作曲界の重鎮。新古典主義から出発し、セリー技法を
用いた極度に複雑な音楽で個性を発揮した。特に、弦楽四重奏曲のシリーズが
充実している。現在の評価は過大だと思うが、無視はできない存在である。
・Yun Isang (1917--95, 韓国/ドイツ)
ドイツ前衛語法と韓国伝統音楽の息の長い旋律を融合したユンの独自の音楽は、
韓国当局に拉致された結果有名になったことを差し引いても、高く評価したい。
前衛の時代以降に、《新ロマン主義》を真に受け過ぎたのは気の毒だった。
☆Betsy Jolas (1926--, フランス)
・Jean Barraque (1928--73, フランス)
フランスの前衛世代ではブーレーズだけが脚光を浴びてしまったが、この2人
は特に注目すべきだろう。バラケの音楽は、厳しさではブーレーズを上回って
いたのに、当時の主流とは異なるセリー技法の使い方をしていたというだけの
理由で不当に低く評価され、結局早逝してしまった。ジョラスも、女性作曲家
というマイノリティ故のハンディを背負っていたが、セリー技法を柔軟に解釈
した透明な書法は前衛末期から力強さを増し、近年は舞台作品も多い。
☆篠原眞 (1931--, 日本)
パリ音楽院仕込みの技術を生かしてシュトックハウゼンの助手を務めつつ書き
上げた篠原の1960年代の前衛作品は、どれも極めて質が高い。にもかかわらず、
CD化されているのは、皮相な日本回帰に陥った近作ばかりで残念である。
・Sylvano Bussotti (1931--, イタリア)
・Niccolo Castiglioni (1932--97, イタリア)
ノーノ、ベリオ世代以降のイタリアで、まず脚光を浴びたのがこの2人である。
ブソッティは、図形楽譜やエロティックなアクションの指示など、分かり易い
コンセプトで1950年代から注目されたし、カスティリオーニは、セリー技法に
よる透明なテクスチュアを古典の歪んだ引用で台無しにする独自のスタイルで、
前衛末期から頭角を現した。ある意味では、先行世代よりも*イタリア的*な
作風の2人だが、結局色物にすぎなかったという見方も、否定はしにくい。
☆三善晃 (1933--, 日本)
パリ音楽院のエクリチュール(『ピアノソナタ』)に無調をブレンドしていき
(『ヴァイオリン協奏曲』『弦楽四重奏曲第2番』)『チェロ協奏曲第1番』
(1974)でピークに達した三善の歩みは、師デュティユとよく似通っている。
・Krzysztof Penderecki (1933--, ポーランド)
本稿の大きな目的の一つはもはや役割を終えた*大家*を整理することにあり、
ペンデレツキの処遇には迷ったが、『ルカ受難曲』(1962--66)までの非伝統的
記譜法によるトーン・クラスターの独自な響きは捨て難く、名前は残した。
・Hans Zender (1936--, ドイツ)
・Paul Mefano (1937--, フランス)
指揮者としては、前衛の時代の進歩主義的な音楽史観では切り捨てられてきた
シェルシやバラケの作品を積極的に紹介してきたツェンダーとメファーノだが、
このスタンスは作曲家としての彼らにも共通しており、前衛の遺産を批判的に
使いこなした2人の音楽は、もう少し注目されてもよいはずだ。ツェンダーの
方が音楽の身体性や表現性に、メファーノの方が新奇な音響世界の開拓に力を
入れているのは、ドイツとフランスの現代音楽の傾向の差を反映している。
・Frederik Rzewski (1938--, アメリカ合衆国)
・高橋悠治 (1938--, 日本)
前衛の時代に優れたピアニストとして活躍したが、作曲家としては政治参加の
経験を通じて前衛とは距離を置いた活動を続けているという点で、この2人は
極めて似通っている。作品に即興的要素が顕著なのも、演奏家出身ならではの
共通点だろう。しかし、ジェフスキーはミニマル的な響き、高橋はアジア的な
旋法音楽を志向しているという点は異なっているし、高橋の音楽の方が概して
抽象性が高いのは、クセナキスに師事していた*前史*のせいだろうか。
・Jean-Claude Risset (1938--, フランス)
デジタルコンピュータ音楽の草分けであるリセの作品は、どれもグリッサンド
や鳥の鳴き声などの伝統的な素材が多用された平易なものである。だが、その
後のコンピュータ音楽界に、彼以上のイマージュの持ち主も見当たらない。
・小杉武久 (1938--, 日本/アメリカ合衆国)
ミニマル系即興音楽奏者として世間で名高いのはテリー・ライリーだが、筆者
は彼のキーボードよりも小杉のヴァイオリンに軍配を上げたい。小杉の音楽は
パフォーマンス的な要素が強いので、CDよりヴィデオで体験してほしい。
・Emmanuel Nunes (1941--, ポルトガル)
・Julio Estrada (1943--, スペイン)
・Frank Denyer (1943--, イギリス)
ヌネシュとエストラーダは、ポルトガルとスペインという現代音楽後進国に生
まれたおかげで、前衛技法と民族音楽を融合させた独自の語法を周囲の雑音に
悩まされずに作り上げることができた。デニヤはイギリス人ではあるが、尺八
の音色に魅せられ、尺八をアンサンブルの中心に据えた作品ばかり書き続けた
ため、国内では孤立した存在だった。近年、この3人の評価は急速に高まって
おり、前衛以降の時代には、前衛の時代とは対照的に、連帯ではなく孤立こそ
が優れた音楽を生み出す条件なのかもしれない。だが、本文でも高く評価した
アペルギス、モネ、ディロンらの一匹狼としての根性の据わり具合と比べると
甘さが感じられるのは、あえて自ら選んだ孤立ではなかったせいだろうか。
・Peter Ruzicka (1948--, ドイツ)
・Walter Zimmermann (1949--, ドイツ)
《新ロマン主義》の世代の直前の、東西ドイツの《最後の前衛》と言えるのが
この2人である。20代前半ですでに数多くの委嘱と録音をこなしたルジツカ
と、民族音楽やフェルドマンの研究に多くの時間を割き、作曲はマイペースで
進めたW.ツィンマーマンのスタンスは大きく異なっているが、かたやアッサン
ブラージュ的な過剰な引用で、かたや民族音楽研究を生かして、新ロマン主義
とは一線を画した形で作品に調性を取り入れていった点は共通している。
・Michael Levinas (1949--, フランス)
新奇な音響を作り出す才能では、《スペクトル楽派》第一世代で際立っていた
レヴィナスだが、音楽より音響を志向する姿勢への評価は今一つだった。だが、
同僚の大半が調性音楽に転向した今日、彼の変わらぬ姿勢は貴重である。
☆Francisco Guerrero (1951--, スペイン)
☆Kaija Saariaho (1952--, フィンランド)
コンピレーションアルバムでも名前の挙がった2人だが、上記100枚に特に
近い存在として特筆したい。1980年代半ばまでのサーリアホの作品は、生楽器
のハーモニクスと電子音響の織りなす女性ならではのエロティシズムが衝撃的
だった。それだけに、IRCAM病と言う他ない、その後の穏健路線は悲しい。
ゲレーロの作品は、筆者はまだ2〜3曲を聴いたのみであるが、その強靱さは
到底まぐれ当たりとは思えず、今後の展開が楽しみな作曲家の一人である。
・Wolfgang Rihm (1952--, ドイツ)
リームは《新ロマン主義》の顔役だが、19世紀音楽への無批判な回帰の不毛
さにもいち早く気付き、1980年頃には*新表現主義*という趣の無調的作風に
移行した。彼の垂れ流し量産音楽は《現代音楽の負の肖像》と言えそうだ。
・Uros Rojko (1954--, スロヴェニア/ドイツ)
・南聡 (1955--, 日本)
古典的形式感を逆説的に利用する戦略や、反復を異化の手段として多用する点
など、ロイコと南の語法には共通点が少なくない。スロヴェニアと日本の西洋
伝統音楽への距離は、案外同程度なのかもしれない。これに対して、粘着質な
持続が持ち味のロイコとシニカルでドライな浮遊感の南という対照的な音楽の
性格は、今日のドイツ前衛の中心地フライブルクに居を構え続けるロイコと、
東京の喧騒を離れて北海道の山荘に仕事場を移した南の違いなのだろうか。
・Luca Francesconi (1956--, イタリア)
・Alessandro Solbiati (1956--, イタリア)
シャリーノ以降のイタリアで目立つ作曲家といえば、まずはこの2人だろうか。
フランチェスコーニはベリオ、ソルビアティはドナトーニという、多くの弟子
を誇る有名作曲家に師事した。前者はベリオの助手を務めていたこともあって
師のコピーのような作風だが、衰えた師の代役を果たしていると言えるのかも
しれない。一方後者は、師の模倣に終始するドナトーニ弟子の大半とは対照的
に、師の苦手な長い持続に冴えを見せ、一歩抜け出した存在と言えそうだ。
・Gerard Pesson (1958--, フランス)
・Richard Barrett (1959--, イギリス)
今日のフランスの作曲家としてしばしば紹介されるのは、ユレル、ダルバヴィ
ら《スペクトル楽派》第二世代だが、彼らの電子音響に耽溺した金太郎飴的な
音楽よりも、生楽器のニュアンスを生かしたペッソンの個性的な音楽に筆者は
期待している。バレットは、《新しい複雑性》の最も若い世代に属しているが、
決して流行の後追いではなく、複雑な書法を10弦ギターやマンドリンなどの
非伝統楽器に適用することで、極めて異様な音世界を生み出し続けている。