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Steve Reich (1936--, アメリカ合衆国)
○It's Gonna Rain, Come Out, Piano Phase etc. (ELEKTRA/NONESUCH)*
◎Music for 18 Musicians (ECM)*
《ミニマル音楽》を代表するライヒから、新たな時期区分を始めることにする。
音をオブジェとして扱う感覚は、前衛の世代にはないものである。『雨になり
そうだ』(1965)『カム・アウト』(1966)という、複数のテープループの速度を
変えて再生することで生じるモアレ効果を聴く作品の後は、単純な調性的音形
の反復で同様の効果を得る『ピアノ・フェイズ』(1967)『ヴァイオリン・フェ
イズ』(1967)を作った。そして、アフリカで付加リズムの原理に基づいた民族
打楽器音楽を学び、『ドラミング』(1971)『手拍子の音楽』(1972)に応用した。
その後の彼は、アンサンブルの音色構成に興味を持つようになり、作品の編成
は大規模になっていく。『18人の音楽家のための音楽』(1974--76)は、彼の
あらゆる要素が総合された代表作である。だが、以後の彼は、伝統的な和声を
利用した作風へと移っていき、《ミニマル音楽》らしさは希薄になっていった。
近年の空疎な大作志向は、もはやフィリップ・グラスといい勝負である。ただ、
『シティ・ライフ』(1995)の開き直ったポピュラー志向は、新境地かも?
Cornelius Cardew (1936--82, イギリス)
・The Great Learning (mode, 2CDs, in preparation)
イギリスの作曲界は非常に保守的で、一時期は一見前衛的だったP・M・ディ
ヴィスやバートウィッスルにしても、前衛技法を単なる効果として用いていた
にすぎなかった。これに対して、若くしてシュトックハウゼンの助手を務め、
やがて政治参加の経験を通じて彼の姿勢を批判し、AMMやスクラッチ・オー
ケストラの結成などオリジナルな活動を展開したカーデューは、イギリスでは
例外的な存在である。『大学』(1968--70)は、彼が毛沢東主義に傾倒し始めた
時期の作品で、曾子の大学篇をテキストに、即興的フレーズを繋いでいく。
Hans-Joachim Hespos (1938--, ドイツ)
・Dschen, Point, Conga, Profile, Harry's Musike, En-kin, Go etc. (cpo)
ヘスポスの作品は、一聴すると即興性の強い阿鼻叫喚のパフォーマンスに聴こ
えるが、実際には細部まで精密に書き込まれている。彼はシアターピースへの
関心も強く、これと同じ要領で演奏者の動作まで厳密に指定した作品を数多く
書いている。この創作姿勢は、同じくシアターピースの大家のアペルギスとは
対照的である。ここでは、CDでの聴取を前提に通常の室内楽作品を選んだが、
この場合にも、叫び声や唸り声から演奏者の身体の存在が強く感じられる。
八村義夫 (1938--85, 日本)
○ブリージング・フィールド、ドルチシマ・ミア・ヴィタ他 (ALMコジマ録音)
極めて寡作で、現代音楽界の流行にも安易に乗らなかった八村は、まだ国際的
には殆んど知られていないようだが、一切の妥協を排した彼の音楽の厳しさは
比類がない。このアルバムでは、晩年の室内楽作品の沈黙に彩られた高いテン
ションをまず聴きたいが、前衛の時代に三和音やアフリカの民族音楽を大胆に
取り入れたピアノ独奏曲『彼岸花の幻想』(1969)も極めてユニークである。
Heinz Holliger (1939--, スイス)
・Scardanelli-Zyklus (ECM, 2CDs)
オーボエ奏者として、クラシックの世界では押しも押されぬ地位を築いている
ホリガーは、作曲家としてはまずブーレーズの書法を継承して、『オーボエ・
ヴィオラ・ハープのための三重奏曲』『7つの歌』などの優れた作品を20代
で書き上げた。その後の彼は、演奏者の呼吸のあり方に強い関心を持つように
なり、音楽は調性的な性格を強めていった。ヘルダーリンのテキストに基づく
連作『スカルダネリ・ツィクルス』(1975--91)は、この変化の過程で少しずつ、
15年以上にわたって書き継がれた、前衛以降の時代の彼の代表作である。
Meredith Monk (1942--, ペルー/アメリカ合衆国)
・Our Lady of Late (WERGO)
キャシー・バーベリアン、平山美智子ら前衛の時代に活躍した声楽家たちは、
他人の作品を歌うだけだった。しかし、1970年代に入ると、自作の演奏を活動
の中心に据えたヴォイス・パフォーマーが続々と現れた。モンクはその代表格
で、なかでも1973年に録音されたこのアルバムは、あえぎ声や絶叫にあふれた
過激な音世界ゆえ10年以上も陽の目を見なかった。グラスハープの持続音に
乗って、声のテクニックが駆使される。以後の彼女は、ヴォーカル・アンサン
ブルを結成して舞台作品に取り組むが、音楽としては穏健になっていった。
Horatiu Radulescu (1942--, ルーマニア/フランス)
・Byzantine Prayer, Frenetico il longing di amore etc. (ADDA)
前衛不毛の地ルーマニアに生まれたラドゥレスクは、ヨーロッパ各地を回って
自らの求める音楽を探し、フランスに腰を落ち着けてスペクトル楽派の運動に
遅れて参加した。だが、彼のこの回り道は決して無駄ではなかった。早くから
この運動に参加していたパリ音楽院の秀才たちの大半が垢抜けた調性音楽へと
退行していく中で、彼は微分音のうつろう独自の音楽を今日も書き続けている。
彼は、現代におけるシェルシの後継者と言えるだろう。フルートアンサンブル
のための作品を集めたこのCDでも、彼の個性は余さず発揮されている。
Brian Ferneyhough (1943--, イギリス)
○La chute d'Icare, Etudes transcendantales, Mnemosyne etc. (ETCETERA)
《調性の復活》に象徴される《新しい単純性》の流行へのアンチテーゼである
《新しい複雑性》運動を代表するファーニホーは、極端に複雑な音楽で演奏家
を能力の限界まで追い込んだ時に出現する張り詰めた美を、『ユニティ・カプ
セル』(1975, フルートソロ)、『時と動きの練習曲I』(1971-77, バスクラリ
ネットソロ)などの1970年代の独奏曲で、純粋な形で取り出すことに成功した。
1980年代の室内楽を収めたこのCDにこのような極度の緊張感はすでになく、
1990年代の作品でさらに顕著になる古典的構成への志向が現れ始めている。
Georges Aperghis (1945--, ギリシャ/フランス)
○Recitations (montaigne)
クセナキス同様、ギリシャからフランスに亡命したアペルギスの創作は、シア
ターピースやオペラが中心で、CDで聴けるコンサートピースだけでは、彼の
全貌は推し計れない。しかも、彼のシアターピースは、パフォーマーとの共同
作曲という色彩が強く、伝統的な西洋芸術音楽の基準だけでは論じ尽くせない。
この女声ソロのための『朗唱』(1978)でも、演奏家に任されている部分は多く、
この録音には同じ曲のさまざまな解釈が収められている。とはいえ、いたずら
に特殊唱法に頼らずに多彩な音楽を展開する才能は、やはり只者ではない。
Gerard Grisey (1946--, フランス)
・Talea, Prologue, Jour contre-jour etc. (ACCORD)
ミュライユと並んで、IRCAMを拠点にするスペクトル楽派の顔として君臨
しているグリゼーの、今のところ唯一の作品集。ソロ、アンサンブル、管弦楽
とさまざまな編成のための作品が集められているが、総じて高い水準を保って
いる。彼は、スペクトル楽派の中では*長持ち*している方だが、インパクト
が強いのは、『プロローグ』(1976)をはじめとする初期作品だけである。
Tristan Murail (1947--, フランス)
・Couleur de mer, L'Attente, 13 Couleurs du soleil couchant etc. (ACCORD)
スペクトル楽派の作曲家たちの中で最も脚光を浴びたのがミュライユで、CD
もすでに5枚を数える。実際、『忘却の領土』(1977)『夕暮れの13の色彩』
(1978)『ゴンドワナ』(1980)といった生楽器のみによる初期の作品群は、音響
スペクトル分析の経験が的確に生かされた素晴らしいものだった。だが、電子
音響への興味が増すにつれて、肝心の音楽自体はしだいに調性的で単純なもの
になっていき、近年の作品は、もはや音響技術者の余技としか思えない。
Marc Monnet (1947--, フランス)
・Patatras!, Rigodon, Les tenebres de Marc Monnet etc. (Harmonic-->ACCORD)
○Pieces rompues (montaigne)
パリ音楽院を中退してカーゲルに師事したモネの経歴は、同世代のフランスの
作曲家たちの中ではかなり異色である。音色よりも演奏の身体性に強い関心を
抱き、室内楽を中心に創作を行っているあたりに、師の影響が強く感じられる。
1枚目のCDは1980年代半ばの室内楽作品を集めたもので、墨絵のような渋さ
と息の長い持続に独特の味わいがある。2枚目のCDはさらに幅広く、1982年
から1994年までの室内楽作品が収められている。いずれの作品も一聴した印象
は地味だが、実は非常に高度な演奏技巧を要求しており、その意図は《新しい
複雑性》派と通じるものがある。LP時代の録音なども聴いてみると、現代に
おいては実に驚異的なことに、近作になるほど大胆で刺激的になっていること
がわかった。まだ日本では知名度の低いこの作曲家を、強く推薦したい。
近藤譲 (1947--, 日本)
◎忍冬 (フォンテック)
○鍵盤楽器作品集 (ALMコジマ録音)
集団即興から音楽活動を始めた近藤は、旋法からチャンス・オペレーションで
音を選択して作った*旋律*に基づく《線の音楽》を1973年に提唱した。彼は
やがて、この方法論で得られる音世界を、純粋に感覚的に作曲しても得られる
ようになった。『視覚リズム法』(1975)や『歩く』(1976)に始まるこの作風は、
しだいに和声的な厚みを増し、『忍冬』(1984)や『アンティローグ』(1985)で
一つの頂点に達した。その後しばらくの間の作品には迷いのようなものが感じ
られなくもないが、1990年代に入ってからは吹っ切れたようで、再び《線》が
かつてなく無調的な響きの中で現れている。特に、近作の『早春に』(1993)や
『ペッティア』(1993)では、抽象的な発想が音楽として自然な形で定着されて
いる。大半の作品の委嘱と初演が海外で行われている近藤の創作の全貌は見え
にくいが、彼の音楽の独自性は、これらのCDだけでも十分わかるはずだ。
Salvatore Sciarrino (1947--, イタリア)
・Piano sonata I-IV, De la nuit, Anamorfosi etc. (Dynamic)
◎I Capricci per violino, Un' immagine di Arpocrate (ACCORD)
シャリーノの作品は、大きく2つの系列に分けることができる。ピアノソナタ
第1番〜第4番や『ヴァイオリンのためのカプリース』(1976)などの、比較的
単純な楽想を一筆書きにした(ただし、一見音数は無茶苦茶に多い)作品群と、
『アポクラーテの心象』(1979)『夜の寓話』(1982)『ローエングリン』(1984)
などの、錯綜する夢の世界をそのまま音楽にしたような作品群である。また、
『ヴァイオリンのためのカプリース』でパガニーニ『24のカプリース』を参照
し、『一晩中』でラヴェル『夜のガスパール』を引用しているように、古典の
参照や引用も頻繁に行われている。いずれにしても、彼の作品はわかりやすい。
玄人筋では批判も多いが、この《前向きなわかりやすさ》は貴重である。
Claude Vivier (1948--83, カナダ)
・Prologue pour un Marco Polo, Bouchara, Lonely Child etc. (Philips)
カナダ生まれながらシュトックハウゼンに師事し、ヨーロッパ前衛の中で作曲
活動を始めたヴィヴィエだが、彼が音楽的なアイデンティティを見出したのは、
1976年にアジア各地を放浪して民族音楽を研究してからである。アジアの旋法
をヨーロッパの感覚で再構成した独自の音楽は、《調性の復活》の紋切型とは
無縁である。舞台作品として構想されたマルコ・ポーロをめぐる連作を収めた
このCDは、彼の早すぎた死とともに失われた可能性の大きさを伝えている。
James Dillon (1950--, イギリス)
○Ignis noster, Helle Nacht (montaigne)
ファーニホーやマイケル・フィニシーらとともに《新しい複雑性》の作曲家の
一人とみなされていたディロンだが、彼らが歴史主義の袋小路に入り込んだ今、
物語を介さずに深層心理に直接働きかけてくる、クセナキスにも似たディロン
の音楽の独自性は明白になってきた。スコットランドの片田舎で全くの独学で
作曲を始めたという経歴によるものなのか、ロックにも造詣の深いバランスの
取れたスタンスによるものなのか、ともかく彼が1990年代まで生き残った数少
ない才能の一つであることを、この2つのオーケストラ曲は伝えている。
西村朗 (1953--, 日本)
・光の環、星曼茶羅、光の鏡 (フォンテック)
『弦楽四重奏のためのヘテロフォニー』『ケチャ』などの作品で20代にして
ヨーロッパの作曲賞を相次いで受賞し、30代には3回の尾高賞を得て、若く
して確固たる地位を築いた西村だが、真価が発揮され始めたのは、幾分表面的
なアジア志向から脱却したその後の作品においてだろう。このCDには、この
変化の過渡期にあたる管弦楽作品が収められている。特に、オンドマルトノと
グラスハープのための二重協奏曲『光の鏡』の妖しい魅力に耳を傾けたい。
Pascal Dusapin (1955--, フランス)
○Fist, Hop', Musique capative, Aks, Niobe etc. (2e2m)
クセナキスにも「唯一の弟子」と認められたデュサパンは、20代半ばで既に
ヨーロッパを代表する才能とみなされ、『ニオベ』(1982)でその評価を決定的
にした。彼のこの時期の作品は、どれもはち切れんばかりの才能が溢れていた。
ところが、1987年頃から調性的要素を用い始めた途端、雲行きが怪しくなった。
フランス革命二百周年記念オペラ『ロメオとジュリエット』は、自作の引用と
オペラの常套的アリアのごた混ぜとなり、いまや「乱作で才能を浪費している、
少し休んではどうか」という批評すら現れている。華の命は短かったのか。
Michael Jarrell (1958--, スイス/オーストリア)
・Assonance IV, Congruences, Rhizomes etc. (Ades/IRCAM)
IRCAMでスペクトル楽派の影響を受けた作曲家の大半は、多かれ少なかれ
調性的で古典的な作風に回帰してしまう傾向が、近年特に顕著である。しかし
ジャレルは、今のところ貴重な例外と言えそうだ。それまでは端正だが習作の
匂いが抜けきらなかった彼だが、IRCAMに滞在した1990年頃を境に音群を
自在に操作して多層的な音楽的時間を作り出せるようになった。このCDには、
この転換期の室内楽とコンピュータサウンドのための作品が集められている。