/_ return
Harry Partch (1901--76, アメリカ合衆国)
・And on the Seventh Day Petals Fell in Petaluma etc. (CRI)
空き缶や切れた電球といったガラクタで世界に1台しかない楽器を作り、オク
ターブを43分割したアカデミックな世界からは相手にされそうもない作品を
書いて、物好きな学生を集めたアマチュアアンサンブルと演奏旅行をしていた
インディーズなルンペンのオッサンからこのリストが始まるのは、実に愉しい。
もっとも近年は、アカデミックにも高い評価を得つつあるという。このCDは、
幅広い作曲年代の多彩な編成の作品を集めた、パーチ入門には最適の1枚。
Luigi Dallapiccola (1904--75, イタリア)
・Canti di prigionia, Il prigioniero (SONY)
ドイツ/オーストリアやフランスと並ぶ音楽大国のイタリアだが、今世紀前半
には、未来派の騒音音楽の一時的なブームを除いては、前衛的な音楽は殆んど
作られていなかった。以下で紹介する3人は、その草分けと言える存在である。
特にダラピッコラは、旋律的で親しみやすい。『囚われの歌』は、彼が12音
技法を取り入れ始めた時期の作品で、無調的旋律とグレゴリオ聖歌が交錯する
響きが面白い。オペラ『囚われ』は、第2次世界大戦の体験が反映されたシリ
アスな作品。以後の彼はウェーベルンに傾倒し、抽象的作風になっていく。
Goffred Petrassi (1904--, イタリア)
・Invenzioni, Serenata, Grand septuor etc. (BONGIOVANNI)
この人は、ダラピッコラよりずっとドライ。戦前は新古典主義的作風で多くの
作品を発表し、戦後に12音技法を採用してからも、乾いた叙情は健在である。
イタリアのアカデミックな世界でも大御所的な存在で、90歳を越えた現在も、
《ペトラッシ・コンクール》という国際作曲コンクールの審査委員長を務める。
このCDには、初期の傑作ピアノ曲『インヴェンション』から、代表作『セレ
ナータ』『大七重奏曲』を経て近作まで収録されており、バランスが良い。
Giacinto Scelsi (1905--88, イタリア)
◎Quattro pezzi per orchestra, Anahit, Uaxuctum (ACCORD)
○5 Quatuors a cordes, Trio a cordes, Khoom (Salabert/Actuels, 2CDs)
○Canti del capricorno (WERGO)
・Tre canti sacri, Pranam II, In nomine lucis etc. (Solstice)
シェルシの音楽ほど、人によって評価に開きが大きなものはない。イタリアの
貴族に生まれ、ピアノの即興演奏を得意としていたが、アカデミックな教育を
受けていない点や、イタリアで最初に12音技法を導入したが、第2次大戦後
に精神衰弱で長期入院し、以後の作品はトランス状態での即興に基づいている
点などが、ストレートな評価を妨げてきた。そして、最大の問題は、即興演奏
の録音を第三者に譜面化させるという、独自の*作曲*法が死後に暴露された
ことである。伝統的な西洋音楽の基準では、このような方法で作られたものは、
もはや《シェルシ作品》とは言えない。だが、作曲プロセスへの評価と作品へ
の評価は、別であるべきだろう。少なくとも、*シェルシ・ブランド*による
声のための作品と弦楽器のための作品の力強さは、いまだ他の追随を許さない。
管弦楽曲の静と動の頂点をなす『アナイ』と『ウアクサクタム』、バルトーク
に匹敵する弦楽四重奏曲全集、平山美智子の声の超絶技巧のための『山羊座の
歌』は、音楽ファンなら誰でも持っていたい内容だし、室内楽作品の録音にも、
演奏者の作品への共感が伝わってくる優秀盤が揃っている。特にこのSolstice
盤は、無伴奏合唱曲やオルガン独奏曲も含む幅広い選曲が魅力的である。
Dmitri Shostakovich (1906--75, ロシア)
・7 Romances on Poems of Alexander Blok etc. (DECCA)*
○Sonata for Violin and Piano, Sonata for Viola and Piano (Melodiya)*
スターリン時代の古典的作品がポピュラーなため、クラシックの作曲家とみな
されがちなショスタコーヴィチだが、少し検討すれば立派に現代音楽の作曲家
である。早熟な彼の20代のオペラ『鼻』『ムツェンスク郡のマクベス夫人』
は当時の最も進んだ音楽の一つに数えられるし、「雪解け」以後の晩年の作品
の充実にも目を見張るものがある。1960年代末には、『弦楽四重奏曲第12番』
『交響曲第14番』『弦楽四重奏曲第13番』で12音技法を見事に使いこなして
いるが、ここではその前後の作品を選んだ。『アレクサンドル・ブロークの詩
による7つのロマンス』の精緻な書法と深い表現性も、『ヴィオラとピアノの
ためのソナタ』の澄みきった彼岸の世界も、20世紀後半ならではの調性音楽
として永遠に記憶されるに違いない。本稿では近年の《調性の復活》の潮流を
繰り返し批判しているが、それは決して調性を否定したいからではない。この
ような*本物*をまず聴いておけば、その理由は自ずと明らかなはずだ。
松平頼則 (1907--, 日本)
・ピアノと管弦楽の為の主題と変奏、催馬楽によるメタモルフォーズ (東芝EMI)
○源氏物語による3つのアリア、二星 (ALMコジマ録音)
松平頼則は、総音列技法・管理された偶然性といった戦後前衛の語法を、雅楽
を通じて全く独自な形で再構成し、90歳を超えた現在でも緊張感にあふれた
音楽を書き続けている、日本で最も偉大な作曲家である。それなのに、代表作
すら殆んど録音されていないのは実に悲しい。本来なら、本稿でもブーレーズ
やノーノに匹敵する扱いをしたいのだが。『主題と変奏』(1951)は、戦後の数
年間はフランス的な典雅な作品を書いていた松平が、雅楽を直接的に素材にし
始めた時期の作品で、各変奏に新古典主義・ジャズ・12音技法など異なった
様式が用いられている。この作品で雅楽と12音技法の相性の良さに気付いた
彼は、以後この方向をさらに深めていった。『源氏物語による3つのアリア』
(1990)は、ここ十数年来の*恋人*奈良ゆみの声を想定した連作歌曲の一つで、
あくまで西洋楽器だけで雅楽の響きを生み出すことにこだわってきた彼が笙と
琴という邦楽器を初めて用いた、キャリアの中で極めて特異な作品である。
Olivier Messiaen (1908--92, フランス)
・Quatuor pour la fin du temps (ADDA)
メシアンは今世紀で最も重要な作曲家の一人だと言われるが、本当だろうか?
『時の終わりのための四重奏曲』『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』『トゥー
ランガリーラ交響曲』といった野心的な作品を戦中戦後の混乱期に書いた以外
には、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスをはじめとする錚々たる
弟子たちを売り物にして喰っていただけではないだろうか?とはいえ、EIC
主席奏者たちによるこの非常に優れた録音で、筆者は彼を幾らか見直した。
John Cage (1912--92, アメリカ合衆国)
・Works for Percussion (WERGO)
○Sonatas and Interludes for Prepared Piano (CRI; mode)
◎16 Dances (BMG/RCA)*
○Freeman Etudes, Books 1-4 (mode, 1+1CDs; Newport classics, 2CDs)
ケージについては、いまさら紹介することは何もない、と書きたいところだが、
彼をめぐる現在の状況は、《禅》《偶然性》といった言説だけが一人歩きして
音楽自身が忘れられてしまった、甚だ不毛なものに感じられる。彼は何よりも、
プリペアド・ピアノという新しい楽器を発明して『3つのダンス』(1944--45)
『ソナタとインターリュード』(1946--48)をはじめとする美しい作品を数多く
残した作曲家として記憶されるべきだし、打楽器アンサンブルによる『構成』
『架空の風景』の連作のようなめざましい実験を初期から行っていた。そして
『16のダンス』(1950--51)は、彼の《偶然性の音楽》は、決して禅や易との
出会いだけに触発されたものではなく、音楽思考の段階的な発展の帰結だった
ことを示している。《偶然性》の時代にも耳を傾ける価値のある作品は少なく
ないが、浜辺で貝殻を拾うように音を集めていた彼の本来の姿勢が戻ってきた
のは、プラスチック板のセットやインストラクションだけを指定した譜面から
確定譜面に立ち返った1970年代後半以降である。この変化を「退廃」「堕落」
などと切り捨てる言説は、シェーンベルクに師事した青年時代から一貫して彼
の中に流れてきたものを見落とした表面的な見解である。晩年の彼は、「俺は
《ケージ》なんかにはなりたくなかったんだ!!」とこぼしていたという。ズー
コフスキー、ネギシー、アルディッティという錚々たるヴァイオリニストたち
との交流から生まれた傑作『フリーマン・エチュード』(1977--80//89--90)の
厳しくも豊かな世界は、彼が本当に聴きたかった音楽の一つに違いない。
Conlon Nancarrow (1912--97, アメリカ合衆国/メキシコ)
・Studies for Player Piano vol.5 (WERGO)
青年時代はジャズトランペッターとして活躍し、スペイン市民戦争に志願して
2年間を戦い抜いたナンカロウだが、この経歴から*共産主義者*とみなされ
て政府から弾圧されたため、やむなくメキシコに移住した。複雑なポリリズム
を多用した彼の作品は人間の演奏限界を超えており、やがて彼は自動ピアノの
ための作曲に専念するようになった。練習曲集のシリーズは、番号が若いうち
はジャズの残り香も漂っているが、このCDに収められている1980年代の作品
になると、無理数比のリズムカノンなどの抽象的な思考に支配されている。
Benjamin Britten (1913--76, イギリス)
・Curlew River (DECCA)*
『青少年のための管弦楽入門』が有名すぎるために平易な作風と思われがちな
ブリトゥンだが、能『隅田川』を中世以来の《教会寓話劇》の様式に翻案した
『カーリュー・リヴァー』(1964)では、同時期の『無伴奏チェロ組曲』に共通
する半音階書法が効果的に用いられて、能の舞台に通じる緊張感の高い音空間
が実現されている。彼は以後もこの厳しい作風を保ち続けた。長い歴史を持つ
機能和声自体は優秀な語法であり、彼のような決然とした姿勢を持っていれば、
現代においてもこのような優れた作品を残すことは、十分に可能である。
Henri Dutilleux (1916--, フランス)
○L'Arbre des songes, Tout un monde lointain... (DECCA)*
・Sonate pour piano, Ainsi la nuit etc. (ERATO, 2CDs)*
パリ音楽院の伝統のもとで、戦後間もなくは『ピアノソナタ』(1947)『交響曲
第1番』(1951)といった*正統的クラシック音楽*を書いていたデュティユが、
『交響曲第2番』(1959)『メタボール』(1964)などの管弦楽曲を経て、チェロ
協奏曲『遥かな遠い国....』(1968--70)、弦楽四重奏曲『夜はかくのごとく』
(1976)、ヴァイオリン協奏曲『夢の木』(1980--85)といった無調音楽の傑作に
至ったのは、アルチザンがアーティストとしてのアイデンティティを見出して
いった過程としても興味深い。この2つの傑作協奏曲を1枚に収めたCDと、
上記の代表作の他に奇妙な味の近作も収められた室内楽作品集は、メシアンと
ブーレーズの蔭で不当に低く評価されてきた巨匠を知る出発点にふさわしい。
柴田南雄 (1916--96, 日本)
・追分節考、宇宙について、冬の歌 (ミュージカルノート)
柴田の音楽は、音楽学者の顔とは切り離せない。1970年代初頭までの、欧米の
前衛技法の啓蒙を主眼にした作品は、バルトークやマーラーの紹介者としての
顔にあたる。これに対して、『追分節考』(1973)以降の日本の民衆音楽を素材
にしたシアターピースは、民衆音楽の収集に奔走したもうひとつの顔を見せて
くれる。もっとも、後者のタイプの作品を多く書くようになっても、『ゆく河
の流れは絶えずして』『宇宙について』といった、グレゴリオ聖歌からポスト
モダンまでの音楽様式を併置した《博物学的》な作品は作曲し続けていた。
Bernt Alois Zimmermann (1918--70, ドイツ)
・Die Soldaten (TELDEC, 2CDs/2LDs)*
◎Requiem fur einen jungen Dichter (WERGO; SONY)
ブーレーズやシュトックハウゼンら、戦後前衛を代表する作曲家たちの僅かに
上の世代にあたるB.A.ツィンマーマンは、新古典主義の作曲家としてキャリア
の第一歩を踏み出したため、イデオロギー的な前衛の時代には《折衷主義的》
と決めつけられ、正当に評価されなかった。彼はこのような不遇な状況の中で、
「時間は円環状の構造を持ち、過去と未来は現在で交錯する」という音楽史観
を発展させて、過去の音楽やポピュラー音楽の引用を前衛語法をアマルガムに
してパッチワークする独自の作風に達した。オペラ『兵士たち』(1957--65)は、
複数の情景が舞台上で同時に進行する中をスライドやサーチライトが飛び交う
スペクタクルである。彼が作曲家として活動を始めた当初から構想していたと
いう『ある若き詩人のためのレクイエム』(1967--69)では、世界各国語による
演説や街頭デモの録音を背景に、バッハのカンタータから『ヘイ・ジュード』
に至る多彩な引用が行われている。このような豊かな*物語*を目と耳で確認
するのは楽しいが、彼自身の音楽は、思いのほか単調で灰色な印象がある。
Galina Ustvolskaya (1919--, ロシア)
・Piano Sonatas 1-6 (hat hut: Ustvolskaya 3)
◎12 Preludes, Compositions I,II,III (megadisc)
グバイドゥーリナ、シュニトケ、ペルトら、旧ソ連の作曲家たちが近年脚光を
浴びているが、最年長にして最重要のウストヴォルスカヤは、少なくとも日本
ではまだ殆んど注目されていないようだ。彼女は第2次世界大戦直後にショス
タコーヴィチに師事したが、むしろ師の方が彼女の作品に影響を受けて、後期
の厳しい作風に到達できたという。西側で早くから知られた旧ソ連の作曲家の
多くは、ヨーロッパ前衛を通過した上でそこにポストモダン的要素を加味した
*馴染みやすさ*が評価された側面があるが、彼女の場合は、ヨーロッパ前衛
音楽がソ連に伝わる以前からの作風を保ち続けている。それを一言で言えば、
《調性の暴力性の具現化》ということになるだろう。《調性の復活》で*現代
音楽*は親しみやすくなった、などという妄想を彼女は鋼鉄のハンマーで叩き
潰す。創作の全時期に散らばったピアノソナタを順に聴いていくことで彼女の
作風の変遷を把握し、その暴力性の頂点をなす連作『作品I−III』(1970--75)
(特に第2曲「怒りの日」が壮絶)を聴けば、音楽史の見方が変わるはずだ。